自分一人がだらしないなんて誰にも迷惑かけてないし、別に誰にも影響ないでしょ。
そんな風に思ってる人に出くわしたことはありますか?
有吉尚子です。こんにちは!
やたらとため息をつく人が側にいたら別に息によって直接的に何か起きていなくても、不愉快ですよね。
合奏やアンサンブルなどお互いのコミュニケーションが必要な場面でもそれは同じこと。
真剣にやりたいとは思ってないし練習してくるのはイヤ。
そんな人が隣にいたら何だか自分のテンションも落ちていってしまうことってありますよね。
そこで真剣にやっている人が自分の音楽的な充実のためにちゃんとしてほしいなと望むのはよくあること。
そしてそれを相手に押し付けるのは自分勝手であるということはすでに何度か書いています。
ところで。
音楽を真剣にやりたい!という設立メンバーの熱い意図に賛同して集まってきた仲間の中にあまり真剣ではないしノラリクラリとやれたら満足な人が紛れ込んでしまって当初の目的通り音楽を真剣にやりたい人の迷惑になる。
これ、何が問題だと思いますか?
わたしは目的の違う人をそのコミュニティに迎え入れてしまったことが原因だと思います。
「そんなこと言ったって人数がたくさんいなきゃオーケストラは出来ないし仕方ない」そんな風に思うでしょうか。
ちょっと立ち止まってみましょう。
音楽より飲み会に興味のあるたくさんのノラクラプレーヤーと一緒に演奏をしたいのでしょうか。
あなたが真剣に演奏を楽しみたいだから飲み会はどうでもいいというのと同じく、同じ目的を持っていない人はあなたの目的には興味がないんですよ。
あなたが何を目指していようと飲みたいだけの人はあなたや他の仲間と飲みたいだけなんです。
本当に音楽を真剣にやりたい!と思う仲間とアンサンブルをしたいですか?
それなら早くたくさんの人数が集まりやすい「当団は厳しくありません。ゆるく一緒に楽しみましょう」なんていう募集のかけ方は詐欺みたいなものです。
ではアンサンブルや合奏団体が「ちゃんと練習する熱心に音楽に向き合いたい仲間募集」ということで集まっていたらどうでしょうか。
そんな募集のコピーだと厳しそうだし参加し続けるのは大変そうなイメージになります。
オーディションを設けていたらそれだけで真剣でない人は尻込みしてしまうでしょう。
そこにはやる気はないしコンサート本番よりも打ち上げでお酒を飲むのが楽しみで参加している人が紛れ込むという可能性は少なくなりますよね。
時間はかかっても同じ目的の仲間とアンサンブル出来る環境を整えるというのはひとつの選択肢です。
真剣でなくていいからとにかく早く人数を集めたい!それならそのコンセプトで団体は運営されてしかるべき、わたしはそんな風に思います。