「成長しきった!学びきった!」と思う時、成長の潜在力が失われ始める。
そんな話を聞いたことはありますか?
有吉尚子です。こんにちは!
今回はアレクサンダー・テクニーク原理の発見者であるF.Mアレクサンダーさんの本から印象に残った言葉のご紹介です。
もう充分やりきったと思う時は自分の足りないことやこれから発展する余地が見えなくなっている時なんだそう。
言われてみたらそれはそうだな、と思わされますね。
何もせずに放っておけば知識は古くなるしスキルは落ちていく。
そして時代は進んでいくし、技術は発展するし、新たな世代が生まれてくる。
現状維持をしようと思うならいつまでも成長し続けるつもりでないとあっという間に古くなり劣化して置いていかれる、ということだそうです。
こわいですねー。
でもその通りですね。
演奏技術が何もしなかったら劣化するのは当然ですが、楽譜の解釈なんかも「昔一度やった」なんてことにあぐらをかいていたらあっという間に陳腐化しますよね。
だって昔の自分が読み取って感じたことは今の自分が感じることとは別物なんですから。
「昔やった通り」では「誰かがこうやってたからそれをそっくり真似する」なんてことと同じになってしまいます。
いつも新鮮な感覚で演奏していたり何度聴いてもいつも魅力的な演奏をする人は、毎回音楽と出会いなおしたりしているんですよね。
円熟した演奏家の表現が若い頃とは違っているけれどどんどん深みが増す、なんていうのはそういうことなのではないでしょうか。
「学びを完成させたなんていう到達点はまったくない」
「自分が知ってることに満足している人は最も知覚力の鈍い人であり、不幸で不満を持つ人である」
なんて言葉も印象に残っています。
これで完成だとかもう充分だとかそんな傲慢で怠惰な思考にいつの間にかなってしまわないよう気を付けたいものだなと感じました。