「楽典、昔ちょっとやったからどんなものかは知ってる」
そんな風に言ってしまう人ってせっかくやったはずの理論が演奏に全く結びついてないことがとても多いのです。
やったはずならわかってるでしょ、と思うかもしれませんがそうでもないのが不思議なところ。
でもこれって実は結構あるあるだったりするのです。
なぜそんなことが起こるかと言うと楽典の問題をただパズルのように解いて行っただけだから。
特に実生活に結びつけることのないゲームのような感覚でしょうか。
演奏に関係のないパズル感覚では音階や音度にどんな意味があって演奏するときに何を心がけたいのかなんてことはわかるはずがありませんよね。
だから「ここが減七の和音なのはわかる。でもだから何なのかわからない」なんてことが起きるのです。
減七の和音だってわかったなら着地点はフレーズの中のどこでどんな風に着地するのか、ゴールへ向かうときのニュアンスやテンポの揺らし方や音色などどう演奏するのかを考えられます。
そこに結び付けられないなら減七だとわかること自体には何の意味もないのですね。
書いてある文字がAなのかBなのかそれともCなのかわかっても、それだけで英語の本が読めるわけがありません。
ストーリーを理解するにはまずは単語や文法を知らなくては。
初心者はその単語や文法の部分がわからなくて音楽のストーリーが読み取れていないことにはすぐに気がつくことができます。
でもベテランになればなるほど昔ちょっとかじった程度のことにあぐらをかいて全てわかったような気分になってしまいがち。
わかっていないことをわかっていると思い込んでいたら改めて学ぶことなんてできるわけがありませんよね。
だから全然やったことがない人より「ちょっとやったことある」なんてパターンが一番わかってないことに気がつかなくて危険なのです。
何事もそうですがただ年数を重ねただけで身につくことなんてそんなになく時間をかけて適切な学びをするから「長年の経験」が意味のあるものになるのですね。
せっかく時間を積み重ねるのなら意味のある積み重ね方をしていきたいものですね。