わたしがレッスンの場面でも日常生活の中でも時々心配になってためらってしまうのが、
「こんなにいちいち説明したらまるでバカにしてると思われるんじゃないかな?」
ということなのです。
前回の記事で他人(自分以外)に察してもらうとか当たり前を共有できてると期待しないで自分に出来る手を尽くすことを書きました。
でもわかりきってることをクドクド説明するのはもしかしてちょっと失礼だったりするのでは?
なんて気がしちゃう瞬間もあるのですよね。
これを読んでる方はよくいただくご感想やコメントから察するに頭の回転が速くて周りに気配れるタイプが多いでしょうからきっとわかってもらえると思います。
とはいえ自分以外の人というのはどんな前提で生きていてどんな考えで日々過ごしているのか確実にわかるわけではありません。
逆にわかったらすごいですよね。
それは家族や親子でも同じ。
「この話は何度もしてるからわかってるはずだ」
「これはいつもやってることだし納得してくれてるんだろう」
そんな風に思っていたのにある日まったく理解されて無くて言われたからやってるだけだったとわかったらガックリ来ますよね。
でもその白目を剥きたくなるガックリが自分のもっていた「期待」に気づくチャンス。
思った以上に通じてないし想像以上に伝わってないというのを前提に言葉を尽くし手を尽くすというのはやっぱり大切なのではないかと思います。
バカにしてると思われたくなければ伝えることを減らすのではなくて「一応念のために言うけどね」と逆に言葉をプラスしていく方が思ってることが伝わる可能性が高くなって行くかもしれませんよね。
ある程度の年齢でいい大人になって「察してちゃん」でいるのは恥ずかしいこと。
でも意外かもしれませんが高齢の男性なんかには特に察してちゃんが多いのですよ。
「こんなの常識だろ」
「見てわかんないのか」
「自分で考えろ」
そんなのは周りに対する甘えです。
わかってほしければ自分から手を尽くしてコミュニケーションを円滑にしていきたいものですね!