音程やリズムの正確さにとらわれて表現されている本質が見えなくなることがあるのは自分を投影しているから、ということを前回書きました。
もうひとつ音程リズムの表面的な要素に気を取られて音楽そのものが聴けなくなる原因があるのです。
それは音程リズム以外の音楽を構成する要素が何なのかを知らないこと。
音色とか音量とかそんなことは分かりやすいので特に教育を受けていなくても無意識でも自然と耳が向くでしょう。
それ以外にフレーズの運びや全体の構成や勢いや描こうとしているイメージやその他にも音楽は聴き手によっていくらでも深みが感じられるものなのですね。
なんのこっちゃ?という気がしたらこう考えてみるとどうでしょう。
音楽といえばテレビから流れるものだけしか触れる機会はないし、さほど興味も無いという人の場合、「お!いいな!」と思うのは懐かしい唱歌や過去のヒット歌謡ということは結構多いです。
これ、いい音楽かどうかの判断基準が「知ってる曲かどうか」だけだからなんですね。
もちろん音楽に詳しくなくても知らない曲でも新しいジャンルでも楽しめる耳の開けた人もいます。
でもそうじゃない人も当然います。
良い悪いではありませんが、耳の使い方が人によって違うということなんですね。
もうひとつ、学生の頃に吹奏楽に打ち込んでそれ以降ほかのジャンルには触れてこなかった人の場合。
吹奏楽の定期演奏会でやった「ディスコキット」や「宝島」はすごく興味を持って聴いても新作委嘱作品なんかには全然興味が無い、なんてこともありますね。
これも「知ってる曲だから好き」という判断基準を持ってるひとつの例です。
音程やリズムしか聴けないのもこれと同じ事なのですね。
せっかく日々の忙しい中で生演奏を聴く時間とお金を投資するのなら一回の演奏からできるだけたくさんのものを聴いてこれからの自分の演奏の肥やしにしたいですよね。
たとえ聴いていて何か引っかかるトラブルがあったとしても、それ以外にどんなことが聴こえて自分の耳を広げてくれるだろう?なんて思いながら触れてみると、同じ演奏からでも見えるものは全く変わってくるものです。
ひとつのことにとらわれて自分で世界を狭くするのはもったいないことですね。