ちゃんと練習はしているのになぜかうまくいかないこのフレーズ、
致命的なミスになるほどじゃあないんだけどなんだかいつも吹きにくいパッセージがある、
他の人とは大丈夫なのにこの人と合わせる時だけ緊張する、
そんな大問題ではないけれどいつかは解消したいことってそのままにしているとずっと心に引っかかり続けるのですよね。
そんな小さな違和感が積み重なってやがて苦手意識になっていき、苦手意識が膨らめばいつしかコンプレックスに。
長く演奏してきている方は何かしらそんな風にもやもやを抱えたまま楽器を吹いてるのではないかと思います。
長く演奏してきて全く何の悩みもない人なんていませんよね。
それはあなたが頑張ってる証拠。
初心者のときには見えなかったもっともっと遠くの景色が見えるようになったからこそ、そこへ行きたくなるのですよね。
なんにも頑張ってない人には解決したいことなんて別にこれといって無いでしょう。
ただ上っ面の「それっぽい」を目指してるんじゃなくて自分の心を掘り下げるように音楽に向き合ってるからこそ、前に進みたいけど進めないときにジレンマを感じるのですよね。
それくらい真剣に演奏を深めたいと思ってる方は気になってることも具体的だしとっても繊細なレベルでの変化を求めてるのもよくわかります。
「あるあるな間違いと正解」
「一般的に良いとされる奏法」
なんて薄っぺらいものじゃなく本当に自分に合った吹き方やほんのちょっとの、でも大きな違いを生む考え方の転換なんかが欲しいのですよね。
そんなそれぞれ個別のケースでの奏法の可能性を知ったり微細な変化を体験して演奏の幅を広げたりするのはアレクサンダーテクニークの強みと言えるでしょう。
人体の構造や心と脳の働きをちゃんと知った上で個別のケースに還元していくのは、本を読んだり誰か有名奏者のうまく行ったケースを真似するなんてことではありません。
自分の身体は自分の経験や思考はどういう習慣を持っているのか、そんなことを理解した上で演奏するときのアイデアを増やし場面によってその都度うまくいきそうな方法を選べるようになるのは、自分に合うかどうかわからない他の誰かのためのアイデアを丸呑みするのと全然違いますよね。
小さな違和感や大事故ではないけどいつもうまくいかずミスをする、なんてことは実は自分には合っていないやり方をしてしまっているからかもしれません。
わたしたち大人奏者はがむしゃらに言われたことを何でもやっていればいつかそのうち上手くなっていく学生とは違います。
全く別の身体と経験と思考を持つ他の誰かのために提案されたことを無検証に取り入れたりせず、ちゃんと情報を取捨選択できる目と判断力を養う姿勢をいつでも持っていたいものですね。