前回の記事ではバッハが登場
するまでのことをご紹介しました。
有吉尚子です。こんにちは!
今回はその続きです。
バッハは1685年
神聖ローマ帝国うまれ。
この頃、
日本では徳川綱吉の時代です。
聖トーマス教会で典礼のときの
伴奏オルガンを弾いたり
聖歌の指導や指揮をしたり
しました。
作曲では対位法や通奏低音、
それに和声的なことも取り込み、
それまでに存在した音楽の要素を
これ以上ないくらい
洗練させました。
これがその後の音楽の
土台となっています。
バッハの次男であるカール・
フィリップ・エマヌエル・バッハは
プロイセン王でありアマチュアの
フルーティストでもあった
フリードリヒ大王の
お抱え音楽家でした。
フリードリヒ大王は
ハプスブルク家のマリア・テレジア
と結婚したかったのですが
うまくいきません。
その後ヴィヴァルディのパトロン
だった神聖ローマ皇帝の
カール6世の死をきっかけに
オーストリアへ攻め込み、
周辺諸国を巻き込みつつ
領土争いの戦争を行ったそう。
オーストリア継承戦争ですね。
その後も7年戦争など
ヨーロッパでは領土争いが続きます。
芸術に理解がありその庇護もした
フリードリヒ大王の宮廷では、
ゴテゴテしたバロック音楽に対して
より洗練された古典派音楽への
先駆けとなるギャラント様式が
流行っていました。
それは後の古典派の大作曲家、
ハイドンやベートーベンに
影響を与えました。
ある時カール・フィリップ・
エマヌエル・バッハが
父である大バッハを
フリードリヒ大王に紹介したとき、
フォルテピアノ
(現代のピアノになる前の
古い鍵盤楽器)
で即興演奏するようにと
フリードリヒ大王が大バッハに
与えたテーマから作られたのが
有名な「音楽の捧げもの」
だと言われていますが、
それは後世の人の作り話だとも
言われているそうな(笑)
ちなみにフリードリヒ大王は
あまり豊かでない土地でも育つ
ジャガイモの栽培を奨励し、
人気が無ければ自分で
食べて見せたりもし、
ジャガイモ栽培を広めることで
当時の食料事情を
改善させたそうです。
今ではドイツ料理に
欠かせないジャガイモ、
そういうことで土地に定着
したんですね。
世界の歴史の中でどんな風に音楽が
変わって来たのかを見てみるのも
おもしろいものですね!
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