ソルフェージュは大切だと言われていてもどうしても「つまらない」「役に立たない」という見方も根強いもの。
確かに学校などで点数を取るためのお勉強としてだけソルフェージュをやっていても演奏現場では大した意味がありません。
ではなぜソルフェージュが大切と言われ出来るとどんなメリットがあるのか、トレーニングとしてどんなことができるのかを考えてみましょう。
もくじ
ソルフェージュはつまらない
ソルフェージュのトレーニングと言われて思い浮かぶのは聴音の書き取りや新曲視唱などでしょうか。
子供時代や受験時代に仕方なくやったつまらないトレーニングを思い出す・・・という方もいらっしゃるでしょう。
確かに試験や入門のレッスンで行われるソルフェージュは採点がしやすいよう、単純でシンプルな課題が中心となっているためつまらないかもしれません。
そして試験や入門レッスンなどでは繊細なニュアンスを聞き取れてるかどうかではなく聞こえたものがドなのかレなのか音程がわかってる、ということで大抵は充分です。
ドかレかわかるだけのソルフェージュは意味がない
とはいえ本当に演奏や指導の現場に出たら、採点しやすく作られた課題で良い点が取れるだけでは全く意味がありません。
日常会話でたとえるなら、「雨」か「飴」かはわからないけれど「あめ」という言葉が聞き取れる、それだけではコミュニケーションに困るでしょう。
雨が降って花が元気になるのが嬉しいのか、
通勤電車で濡れた傘が増えて迷惑なのか、
飴が食べたいから頂戴と要求されてるのか、
私たちは普段細かな抑揚をきちんと聞き取って理解しています。
音楽でもそれは同じこと。
では具体的に演奏の場面で繊細なニュアンスが聴き取れていないとどんなことが起きるでしょうか。
ニュアンスが聞けないと・・
演奏の中で繊細なニュアンスが聴き取れていないと、仲間が付けている演奏の抑揚に合わせることができずアンサンブルから置いていかれてしまいます。
置いていかれてることに気づくことが出来るのなら、次は修正することも可能でしょう。
ズレに気付いて修正できるなら二回目に音を出した時にはきちんと合わせられるので大丈夫。
ではもしも、ズレてることに気付けてすらいなかったら・・・
いちいち仲間から指摘されなければ修正することもできない、そんな人は面倒くさいのでもう次は誘ってもらえないかもしれません。
自分の認識できないレベルで足りてないことがあるかもしれないというのは怖いものですね。
音楽をする上で、感覚の目盛りが細かいことはとても大切なことです。
音程の高い低いなどの大雑把なことがわかるからって油断はできないかもしれませんよ!
ソルフェージュは感覚を研ぎ澄ますトレーニング
などとここまで怖いことを言いましたが、感覚の目盛りは大人になってからでも研ぎ澄ますことはできるもの。
注意して周りのニュアンスまで聴こうという意図のある方は、注意のポイントさえ明確にしておけたら必ずちゃんと細部まで聞こえるようになっていくものです。
きちんと聴こえていれば相手に合わせるのか逆にギャップを出すために相手と違うことをするのか、という選択もできたりなどアンサンブルはより楽しくなっていくかもしれません。
もしも後輩や生徒さんなどにアドバイスをする機会があるのなら、高い低い速い遅いなどチューナーやメトロノームを使えば誰にでもわかるようなことでなく、細かなニュアンスを聴いてそれにどう反応するのか、という感覚の研ぎ澄まし方を含めたことまで伝えてあげたいものですね。
耳コピするほど上手くなる!
ここまで耳を鍛えるのが大切、というお話をしてきました。
耳を鍛える方法としてよく取り上げられるのは「耳コピ」などと言われる所謂マネをすることです。
的確に音を聴けるよう耳のトレーニングを受けていれば、憧れの奏者のマネをすることはきっと簡単なことでしょう。
素敵だなと思う演奏のコピーをすることはジャズのアドリブの練習だけではなくクラシックでもよく使われる手法です。
「マネが上手な人ほど上手くなる!」
「上手い人は耳コピが得意」
というのは本当なのです。
なぜ耳コピで上手くなる?
ではなぜ耳コピをすることで上手くなるのでしょうか。
それは正確にそっくりにマネをするためには細かなニュアンスを聴く耳とそれを自分の楽器で再現するコントロール技術が必要であり、やっていくうちにそういったことを身に付けていくことができるから。
もちろん上っ面だけなぞるモノマネでは上手くなるわけがありませんが、精度の高いマネを出来るということはそれだけの耳と演奏のスキルが備わっている証拠でもあるのです。
個性は無からは生まれない
とはいえマネと言われると
「誰かのマネばかりもなんだかなあ」
「わたしは個性を大切にしたいから」
「自分オリジナルの表現を見つけたい」
そんな声もあるでしょう。
ここでいう耳コピやマネをするというのは引き出しにアイデアをストックするためでもあるのです。
「好きにアドリブでルバートしていいよ!」
「自由にやってみて!」
などと言われても初めはどうしたらいかわからないことがほとんどでしょう。
テンポをどう動かせる可能性があるのか、音量や音色はどういう変化をつけることができるのか、そういうたくさんの歌い方のサンプルを聴いて知っていれば自然な欲求として出てくるもの。
しかし何事もまったく初めてのときは、色んなサンプルを自分の引き出しに入れることからスタートします。
空っぽの引き出しから「何か良いもの出して来なさい!」と言われたって無理なのです。
目の前のフレーズを先生が演奏してあげて、マネしてごらんというのはとても有意義なレッスンになるものです。
個性はその様々なサンプルが自分の知識経験となってから自然に組み合わされて作られるもの。
まったくの無から生み出すものではありません。
「感じたように演奏する」って何を感じるの?
自然に自分なりの歌いまわしが確立されてくると「感じたように演奏する」ということがテーマになってくることも多いでしょう。
さきほど述べてきた耳コピ・マネをすることというのは、耳を育て再現技術を磨く以外にもうひとつ別の効果もあります。
「型破りというのは基本になる型を身に付けてるからできるのであってそうでなければただの形無しだ」
という言葉を聴いたことはあるでしょうか。
意外かもしれませんが、音楽は感覚だけの芸術ではありません。
たとえばアフリカの打楽器と人の声だけを使った音楽に触れて生きている人には、西洋音楽は意味不明です。
美しいとさえ思わないでしょう。
むしろ、リズムが甘くて居心地が悪いはずです。
音楽は洋の東西を問わずある程度の共通認識があってこそ伝わるものです。
「感じた通りの表現」というのは、濁った音は不安で緊張感があり透き通った音はホッとする、など基本的な共通認識が身についてからの話。
濁った和音から透明な和音に安定を求めて進む、という西洋音楽では当たり前の進行も
「濁っている音がカッコいい!」
「それが持続するほどがクールだぜ!」
という民族には通用しません。
耳コピで感覚を身につける
そして何の前提知識も文化的な背景もない状態で初めて楽器を持った時に、西洋音楽の演奏に必要とされる和声がどこでどう進行しているか、和声の中でどうやってフレーズを運ぶか、というような分析をするのは現実的ではありません。
それよりもまずはわかっている人の演奏をコピーすることで感覚的に身に付けるのが手っ取り早いものなのです。
ということで、まずはアナリーゼをできる人がどういう風に解釈しどう表現するかということが実演されてるCDなどの音源を徹底してマネしてみるというのはとても大切な練習方法ということが出来ます。
ぜひ普段のレッスンや練習の参考にしてくださいね!