詳細は忘れてしまいましたが以前ピアニストの中村紘子さんの本か何かの記事かでとても納得させられることをおっしゃっていたのを目にしたことがあります。
言い回しなどは記憶が曖昧なので正確ではありませんが、「最近の新しい曲は頭脳的に数学的に作られたものが多いけれど、それらが一回きりの上演になってしまうのは演奏家に快感を与えないからである」というような内容でした。
少し前の近現代作品についての言及の様で色々な捉え方があるでしょうが、わたしはこれは作品がどうこうという意味ではなく「演奏者がわけがわからないし面白くないと思っているのに観客が受け入れてくれる訳がない」ということとして受け取りました。
奏者が良さを理解せずに演奏するからお客さんウケもイマイチ。
だからもう二度と取り上げられない、ということかと。
演奏する人が作品の魅力をわかってないのにそれが聴く人に伝わるはずがないですよね。
そして作品の意味がわかって良さを紹介するためには、楽譜から情報を受け取るスキルも必要になります。
「何にも努力はしません、でも感動させてください。」
そんなのはおかしな話です。
それは映画だって漫画だって同じで、作品の魅力は受け取る準備のある人にしか受け取ることはできないということではないでしょうか。
現代の作品も着眼点がわかったらとてもおもしろいものが、どこに注目したらいいか知らないというだけで「意味がわからないからキライ」と思ってしまうのはもったいない。
わたしは自分主催のイベントではない依頼コンサートでもできるだけ近現代の作品を1曲は取り入れるようにしています。
シューマンやブラームスなどロマン派の作品や童謡や季節の歌などのわかりやすい曲がある中で、「あの現代曲が一番好きになったよ!」という感想を頂くことも実は結構あります。
そういうときはやっぱりすごく嬉しいもの。
演奏者が「楽しい!素敵でしょ!」と思って演奏した場合、ちゃんと伝わるものなのだなと思います。
触れたことのないジャンルでも複雑そうな曲でも、食わず嫌いは本当にもったいないですね。