「モーツァルトはこんな様式」
「シェーンベルクならこう演奏する」
そんな風に楽譜を見た瞬間に決め込んでしまってはいませんか?
こういう思い込みはこれまでにたくさん勉強してきて知識のある方に起こりがちなことかもしれません。
モーツァルトならソナタもオペラもどれもこれも同じ演奏の仕方で果たして本当に良いのでしょうか。
現代曲ならば無機質でさえあればそれで良いのでしょうか。
そんなわけありませんよね。
先入観を持たずに真っさらな心で目の前の作品と向き合う、それは現代での人間相手のコミュニケーションと同じことかもしれません。
「この人はこういうタイプだから」
「こう対応すれば喜ぶだろう」
そんな風に生身の相手ではなく自分が想像したタイプ別対応法で接すれば、良い関係が築けるわけではないどころか反感を買ってしまうこともあるのと似ているのでないでしょうか。
たとえば「女の子だから甘いものが好きなんでしょ?パフェおごってあげるよ」なんて決めつけて良い顔をしようしとても、相手が甘いものが苦手だったらどうでしょうか。
そんなのは相手を見ておらず自分の理想や勝手なイメージを投影しているにすぎませんから、「不快なオッサンだ」と思われるのがオチでしょう。
しかし意外にも実は、目の前の作品からどんな印象を受けるか一切の定義を保留してただ向き合う、ということはプロ奏者でもしていないことも。
それまで出会ってきた作品、今までに知り合った人、そういう自分の過去の経験からの延長での想像に目を向けるのと、目の前にある作品や人がどんな風なのか常に新鮮に向き合うのとは、まったく別のことです。
それは奏法や会場の響きについても言えるし、同じ作品に時間を開けて取り組むようなときにも言えます。
決めつけず定義を保留するのは、自分がどう反応するか事前に決めずアドリブで対応することとある意味で同義なので、最初は勇気がいるかもしれません。
それでも新しい曲を演奏する時は心を開いて、改めて新しいものと出会う姿勢をもっていたいですね。
こういう先入観に縛られないオープンな姿勢を持つためにも、アドリブ演奏のトレーニングは役立つものですよ。