上手な人はたくさんいるのに、わざわざ自分がこれをやるのって何か意味があるのかな?
上を見ればキリがない、それならもっと上手な人がやればいいのであって、自分ごときが演奏することなんて求められていないのでは?
そんな気持ちになってしまったときにモチベーションを保つためのヒントを書いてみました。

評価されるのが楽しい
「褒められるから面白い」「勝てるから演奏する」そんな風に考えて演奏をしていると、いつか自分より優れたプレイヤーが出てきた時に苦しくならないでしょうか。
もしかしたら「後世に足跡を残す」とか「社会に衝撃を与える」なども同じかもしれませんね。
コンサートで取り上げた作品が後世に残らないで忘れ去られたら?
社会に衝撃なんて起こせず気にも留められなかったら?
そんなことを目標にしていたら演奏なんて続けられないのではないでしょうか。
褒められることは心の報酬
一説によると報酬のためにしていることは、その報酬がなくなりとやりたくなくなってしまう、ということがあるそうです。
犬のトレーニングではないんだから・・とも感じますが確かにそうかもしれません。

例えば、誰かに喜んでもらうためにやっていたことは、段々それが当たり前になって喜んでもらえなくなったらしたくなくなるでしょう。
自販機にお金を入れてもジュースが出てこなければ、お金を入れたいとは思わない。
音楽でも同じかもしれません。
コンクールで勝つことや仲間から賞賛されることは、言ってみれば心の報酬なのではないでしょうか。
楽団が解散してしまったりコンクールで勝てなかったりしたら、音楽をやりたくなくなってしまうのでしょうか。
その答えはもちろん人それぞれで、何が正しいという話ではありません。
他人の反応に依存する
これらの他者との比較や他人からの評価で自分のやっていることを肯定するのは、自分のコントロールできないものに価値基準を依存する思考です。
誰か自分より上手な人が現れた途端に自分の価値が揺らいでしまいます。

それは不安定で怖くて、健康的な思考ではないでしょう。
誰しも年を取っていくし状況は変わり続けるもの。
誰にも負けないように練習し続ける、そんなことは現実的ではありません。
あのイチロー選手だって引退したのですから。
一生勝ち続けるなんて幻想です。
誰かより優れているから価値があると考えていると、いずれ負けてあなたにとっての自分の価値が暴落する時が来るでしょう。
そのときには心がポッキリ折れて音楽を手放してしまうでしょうか。
誰かに勝つことや他者より優れていることを目指してはそうなるかもしれません。
わかりやすい勝ち負けに価値基準を依存しない
それでは、あなたが演奏する意味を誰か他人に求めない場合、自分にとってどういう価値があるのでしょうか。
例えばパズルを夢中で組み立てる子供は組み立て終わった完成物が欲しいのではなく、ばらばらになった絵を並べるのがおもしろいのでしょう。
わたしたち大人の楽器奏者に置き換えてみると
・名作に触れて普段関わりのない世界を味わうのが興味深い
・技術的に音楽的にチャレンジが必要な作品に取り組むことで充実感が得られる
・リハーサルを重ねてどんどん作品を掘り下げて演奏をブラッシュアップする作業自体が楽しい
そんな風に勝ち負けとは関係なく喜びをもたらしてくれる要素が演奏行為にはあるものです。
あなたは演奏することの何が好きで音楽を続けていますか?
あなたの人生における音楽の意味
さて次に、もう少し大きな目で演奏することの目的を見てみましょう。
演奏すること合奏すること自体の楽しさを味わうことにどんな意味があるのかがはっきりすると、「ただの遊びの時間」「家族に気兼ねしながら行う趣味」ではなくなって来るかもしれません。
では考えてみましょう。
楽器演奏をすることはあなたの人生にとってどんな良いことをもたらしてくれる行為なのでしょうか。
・心を健康に保つため
・日々のゴタゴタを忘れるため
・同じ志の仲間に会ってリフレッシュするため
・音楽に浸って寛ぐため
・名作に触れてワクワクするため
きっと色々出て来るでしょうが、他人に依存しない価値を考えた時に出て来るのは、どれも演奏行為があなたの人生を豊かなものにするために必要な作業だということが納得できる理由なのではないでしょうか。
その【目的】を胸に抱いて演奏に向き合う時、他人からの評価を得ようとする時とは心の温かさや安心感が全然違っているでしょう。
名誉や評価など自分でコントロールできないことに振り回されず「音楽に触れて楽しい!」「アンサンブルするのが面白い!」そんな心を大切に、心身ともに長く健康に演奏を続けていきたいものですね。

