「レッスンでどう振る舞えば良いかわからない」
「先生ってどんなことを考えているの?」
「練習できてない時のレッスンは気が重い」
そんな方のために、今回はレッスンを受けるときにどんなことを考えているとより上達につながるのか、ということを書いてみました。
もくじ
上手くならないレッスン依存症
現在、多くの音楽レッスンの現場では時間がありません。
1回30分のレッスンに準備と片付けまで含まれていたり、試験準備のために部活が休みになってしまっていたり。
「これじゃほとんど何も伝えられない!」という現場は実際かなり多いもの。
その限られた時間の中で、コンクールに勝つための対策をしたり、発表会に間に合わせるよう曲を仕上げたりしなければならないのです。
そんな場合は「基礎から丁寧に」なんて言ってる場合ではありませんから、とにかく先生が良いと思う解釈を丸ごと受け入れて、先生が言った通りの抑揚をつけて演奏する、という指導をされることは少なくありません。
でも。
そういうレッスンでは、後になって生徒が自分で楽譜から音楽を読み取って組み立てる力を育てられているでしょうか。
生徒自身で感じたことや解釈したことが客観的にどうなのか知るようなフィードバックの機会になっているでしょうか。
当教室(聴く耳育成協会/N music salon)にレッスンにいらっしゃる方は大人の生徒さんがほとんどですが、それでも最初の頃には「今の演奏はご自身ではどんな風に感じられましたか?」と質問すると「わかりません」と返ってくることが多いもの。
本人が何を感じてどう思ってるのか、何をどうしたいのかを尋ねる前に、先生が「今のは良かった」とか「どこがどうだったか」などコメントをするようなレッスンを多く受けてきた場合に、自分では何も判断せず他人からの評価を待つという習慣になってしまいがちです。
本当は先生に褒めてもらいたいのではなく自分が満足するために、自分自身が楽しいと実感するために音楽をやっているはずなのに、自分で考えないで判断を他人任せにし続けたら先生の好みに合うことがゴールになってしまいます。
盲目的に言われたことをするだけでは、レッスンに行かなければ自分がやってる音楽が良いのかダメなのか判断できないような、レッスン依存になってしまいます。
先生や審査員からの評価に依存して一喜一憂するのは、薬物中毒と似ているのではないでしょうか。
良し悪しの判断基準になる基礎として、ソルフェージュや楽譜の読み方を学ぶのにはものすごく時間がかかり、また教えるのにもかなりの根気が必要です。
「言った通りにやってごらん」方式のレッスンの方が教えるのは簡単だし時間も短くて済み、コンテストやコンクールなどでも勝ちやすいのは事実。
それでも音楽に初めて触れる子供たちや、忙しい中で情熱を持って音楽に取り組む大人の方には、コンクールの勝ち方よりもその先自分で考えてずっと楽しく音楽をするために拠り所となる、軸としての練習方法や音の聴き方、楽譜の読み方を伝えていきたいものですね。
レッスンの受け方
それではレッスンを受ける側からの視点で考えてみましょう。
普段日常の中では何気なく通っていることも少なくないかもしれませんが、あなたはどういう目的でレッスンを受けるかはっきりしているでしょうか。
もちろん人それぞれ違う目的があるでしょうが、「何となく受け続けていれば上手になるかも」と目的があやふやなままぼんやりと受けてはいませんか?
レッスンで何を得たいのかを明確にしておくと、学びが深まってより効率的にたくさんのことを身につけられるようになります。
例えば真剣に上達しようとする音大生や受験生なら、
・前回のレッスンで得た内容を一週間かけて消化するための期限として考える
・自分でやってきた練習が行きたい方向に対してずれていないかどうか確認してもらう
・次の課題を得る
といった目的を持ってレッスンを受けに行きます。
趣味でやっている方にとっては、普段は全然練習ができないからレッスンはアドバイスを受けながら音出しをする機会、というケースもあるでしょう。
知らなかったことを知って刺激を受けたい、という目的もあるでしょう。
進むべき方向性がぼんやりしてしまっているのを感じて、今後を考えるためのためのヒントがほしくて行く場合もあるかもしれませんね。
教える側と受け取る側のお互いが納得しているなら、どういう受け方が良いとか悪いということはありません。
それでも自分が何を求めて時間とお金と労力をかけて出かけていくのか曖昧では、何が受け取るべき情報なのか整理されていないので、目的がはっきりしている場合に比べると学びの質はいまいちになってしまいがち。
漫然とレッスンを受けてもただ何となく上手くなったような気分にはなるかもしれませんが、受け取りたかったものをちゃんと得られる機会になる方が先生も生徒もお互いに充実した時間にすることができるでしょう
レッスンを受ける時には「今日は何を得たくてレッスンにきた」ということを自分の中で明確にするのは大切なことです。
また教える立場の方にとっては受講者さんが今回のレッスンに何を期待しているのか、想像するだけでなく言葉で確認するのはお互いにとって有益な一手間になりますよ。
ただ習慣的に足を運んでいるだけだなと感じたら、振り返って考えてみるといいかもしれませんね。
レッスンを受けるレベル
「レッスンに行くのはもっと上手くなってから」「自分はまだ教わるほどのレベルじゃないし」という声をたまに見かけます。
これ、ちょっと不思議な考え方だと思いませんか?
出来るようになる方法を知っていてそれを自分で実践できるなら、確かにレッスンを受ける必要はないでしょう。
でも現状出来ないことがあるのは、出来るようになる手順を知らなかったり、何が上手くいってないかが自分でわからないから。
やみくもに独学で続けていればいつか「レッスンを受けるレベル」になるというのは不思議な理屈です。
人それぞれなので良いとかダメとかいうことではありませんけれど、レッスンは練習の仕方や出来ていないのがどこなのかを知るためにあります。
もしも独学でやってるうちにおかしなクセがついてしまえば、本当に上達する手順を知った時にその無駄なクセを忘れるという厄介な工程が必要になります。
ゼロからやり直すどころかマイナスからのスタートにさえなってしまうのです。
それでは時間と労力がもったいない!
効果の出る方法で練習すればすぐできるようになるのに、効果の出る方法を探すことから始めるなんてライターを使わず火打ち石で火をおこすようなもの。
音楽に限らず何事も、出来ないことがあるなら、上手くなる方法を知らないなら、余計な回り道をしたくないなら、まずはさっさと専門家に教えを乞う。
その方がどんどん先に進んでいけるものですよ。
レッスンは答えを教えてもらう場所?
レッスンを受けるとき、つい先生が何か答えをくれるのをアテにしてしまう方は多いもの。
もちろんわからないことがあるからこそレッスンに行くという場合は簡単に解答が得られたらラクですね。
でも簡単に答えだけ教わったことって、本当に使える技術として身につくのでしょうか。
もしかしたら家に帰って翌日には「あれ?なんだっけ?」なんてことになってはいませんか?
反対に、自分で考えたり探したりしたことは使える技術や知識として定着しやすいもの。
だからこそ、アレクサンダーテクニークもダルクローズのリトミックもコーチングも答えを教えるのではなく、生徒自身が答えにたどり着くための手助けをする姿勢を大切にしています。
またそれだけでなく、答えをもらうばかりなのが習慣になってしまえば、先生やトレーナーが言ったことを無検証に丸飲みすることになってしまいます。
先生と言っても骨格や性格も人によってそれぞれなので、誰かにとって良いと思うことが必ず他の誰にでも当てはまる、なんて都合の良いことはそんなに多くはありません。
先生が勧めてくれた奏法が自分に合ってないなと思ったら、自分用にアレンジするようなことも時には必要でしょう。
もしも自分に合わないアイデアをもらった時には、「それを採用しない」というのも大切な選択です。
すぐに答えをもらってそれを無検証で受け入れるのではなく、自分で考えてみる機会を大切にしたいものですね。
いつもの10倍上手くなるレッスンの受け方
レッスン中は自分が吹くことに夢中になってしまい、何か先生の言ったり吹いてくれたときに気付かない。
結構あるあるです。
合奏中でも指揮者が止めているのにいつまでも音を出し続けている人っていますもんね。
楽器を吹くのは楽しいですから、日々忙しくて練習できずレッスンで久しぶりに音を出したときについ夢中になってしまうのはよくわかります。
練習して出来るようになったことを披露したい気持ちもあるでしょう。
でも。
ただ単に自分がたくさん音を出したいということなら、レッスンではなくスタジオやカラオケで音出しをしたって良いはず。
せっかくのレッスンの機会なら、払っているお金と掛けてる時間分の何かを得て帰りましょうよ。
レッスンでは自分が吹いたことへのフィードバックはもちろんですが、先生がどんな音のバリエーションを聴かせてくれるのかも大切な「得られるもの」のひとつ。
ニュアンスや、音色の変化や、ホールではない狭い部屋で吹いた時の聴こえ方など、聴いて学べることはたくさんあります。
コンサートホールで遠くから聴いたときの残響つきの音が、すぐ目の前で鳴った時にどんな風に違った印象になるか、なんてことは演奏会に行くだけでは知ることができないでしょう。
ただしそれはぼんやり聴いていて、勝手に耳に入ってくるような情報ではありません。
音に細心の注意を払って聴こうとするからこそキャッチできる情報です。
自分の音は後で好きなだけ聴くことができますから、レッスンのときには耳を澄まして聴くことも大切にしてみても良いかもしれませんよ。
レッスンで良くなった気がしないとき
先生から薦められた新しい吹き方に変えてみたけれど、内心では「新しい奏法も古い奏法も大して変わらない気がする」と思っている。
あるあるですが、これは新しい吹き方にしたつもりでいて、実は吹き込む瞬間に無意識に慣れた古い吹き方に戻ってしまっているときに起こりがちです。
「わかってるのにできない」「意識しているのに反対のことをしてしまう」ということは、意外に多いもの。
知識として知っていても、それは実践として出来ることとは違います。
それではどんな時に新しくやってみようと思っている吹き方から古い奏法に戻ってしまうのでしょうか。
古い奏法に戻る瞬間
例えば、新しいアンブシュアにしようとして慎重にゆっくり構えて「よし吹くぞ!」という瞬間に、アジャストするためにもぞもぞと口を微調整して古いアンブシュアに戻してしまうようなケース。
そして「新しいアンブシュアも大して良くないじゃないか」と思うのです。
こう客観的に考えてみるとバカみたいですが、私たちはそれをよくやっています。
別の例で言うなら、新しい姿勢で楽器を構えようと思って準備し、楽器に息を吹き込んで音を出すその一瞬に口やお腹周りの動きに気を取られて姿勢のことを忘れたりします。
たった今やろうとしてることを忘れるなんてそんなバカな!
そんな気がするでしょうか。
でも実際にやってみると、かなり多くの方が息を吹き込む瞬間に「新しく取り入れようと思っていたアイデア」を忘れて古い奏法に戻ってしまうのです。
古い奏法に戻ってしまう理由
これは古い吹き方が反射的に出てこないように「抑制する」ということができてない場合に起こりがちです。
古い吹き方をしない方が良いと頭ではわかっていても、慣れている動きが起きるのは反射と言えるくらいものすごく速いもの。
だから一瞬でも思考に空白ができると、もうその瞬間に古いやり方で身体が動いてしまうのです。
音を出すことに集中したほんの一瞬、そこで古い動きに戻ってしまうのは自然なこと。
「原理が理解できていればもうそれはできる動きに違いない」という考えが勘違いだという良い例です。
わたしたちはわかっているだけでは、思い通りに身体を動かすことはできません。
本当に新しい吹き方をするためには、「意図を途切れず持ち続ける」ということが必要なのです。
アレクサンダーテクニークのレッスンでガイドされながら実際に試すとよくわかりますが、私たちは普段「自分が思った通りのことをできてない」という事実に気づかず、できていると思いこんでしまうことは多いもの。
「新しい吹き方は古い吹き方とあまり変わらない」とう思うのは、新しいやり方をしてるつもりで古い方法で吹いている場合があります。
身体だけでなく身体をコントロールする思考もトレーニングするのは大切なことですね。
レッスンが逆効果になる場合
レッスンを受けてそのとき指摘されたことを、直そうと気をつけていたら逆方向にやりすぎてしまうようなこともあるでしょう。
例えば、4拍子で自分は3拍目が速くなる傾向があると知ったとします。
「レッスンでは速くなりやすい箇所を気をつけるように言われたので、今後は意識して演奏していこう!」
と思って気をつけて練習して次の週にレッスンに行ってみたところ、今度は3拍目が遅くなる傾向があると言われてしまいました。
「速くならないように気を付けたからちょうどいいのでは」と思ったら逆の傾向になってしまっていた、というケース。
修正程度のバランスの問題のように感じられるかもしれませんが、実はそういうことではありません。
これはそもそもテンポキープがうまく出来ていないことが原因なのであって、生まれつき3個めの音を速く取る性質がある、というようなことではないのです。
目指したいのは3個めの音を遅く取ることではなく、全体のビートを正確に均等に刻めるようになること。
自分の陥りがちな傾向を知ってその拍を伸び縮みさせることで調節してるうちは、テンポがキープ出来てるわけではありません。
音程についても、アンブシュアなど奏法についても同じことが言えます。
「この音は高く低く」などと個別に気をつけているうちは、言ってしまえば音程感覚がまだ身についていないということ。
先生やメトロノームやチューナーからのフィードバックに盲目的に従って合わせにかかるような依存的な練習方法では、本質的なステップアップにはつながらず新たな癖を生むだけなのです。
本質を押さえたクセの直し方
問題の本質がわからないまま外部からのフィードバックに左右されているようでは、いくら気をつけてもそれによってさらに新たに偏った傾向が出てくるのは自然なこと。
他人の言いなりになって管の抜き差しをするだけの状態を脱するには、「高いと言われたから下げる」「遅いと言われたから速くする」ではなく軸となる基準を自分の中で確立する必要があるのです。
そのための練習方法としては、何かに合わせたりせず自分でこれだと思う音程やテンポを実際に出してみて、基準と比べてどうだったかフィードバックを得て微修正をし続けること。
これは「基準に合わせに行くのではなく、自分がここだと思ったポイントで音を出して基準との違いを調べる」という点で、先述した外部からの指図に盲目的に従うこととは違います。
だからこのトレーニングでは「音を出す前に自分がどこをどんな風に狙ったのか」「基準とのズレがどの程度だったのか」ということを覚えておく必要があります。
そして微修正しながら自分の中の基準を整えていくのです。
「ズレたからメーターの針が中心に寄るように動かそう」という練習とは、持つべき意図が全く逆だと言うことがわかるでしょうか。
こういう自分の中に基準を作っていく作業は、メトロノームやチューナーに合わせる練習ではできません。
ズレに気付くための聴く力
またこういう自分の中の基準を作るトレーニングには、微細なズレに気づく耳を持っていることも必要になります。
多くの音程やビート感があやふやな方は、基準と出ている音がズレているかどうか判断するためのモニタリング精度が低いことも上達の障害になっています。
「だいたい合っている」「多分大丈夫」そう甘く判断して先に進もうとするからこそ、微細なズレが修正されないままになってしまい、それが積み重なって実際の演奏の中で大きな歪みになって現れます。
それなのに「音程やテンポ感はだいたい合っていたはずだから原因は別にある」と思い込んで行き詰まるのです。
いくらメトロノームやチューナーで自力で基準作りのトレーニングをしようとしても、合っているかどうかを精度高く聴いて判断する耳がなければどうにもならないもの。
だからこそ、ソルフェージュ講師という仕事が存在するのです。
ソルフェージュを教えるために人生の多くの時間とお金と労力をかけてきている人間の耳と、何のトレーニングもしたことのないソルフェージュ初心者の耳が同じ精度を持っているわけがありません。
時間をかけずに質の良いトレーニングをするためには、まずは細かな音の違いを聴き分けられる耳を手に入れることが大切です。
レッスンで講師が考えていること
それではここからは音楽講師がレッスン中にどんなことを考えているのかをみていきましょう。
受講者さん側からするとあまり知る機会は無いかもしれませんが、意外に練習不足は気になっていなかったり、質問されることを嫌がったりはしないものです。
むしろたくさんの質問を抱えている方こそ、レッスンを進めやすく学びも深まるので歓迎しているものなのですよ。
練習不足はバレてます
日々仕事や家事に追われていると「今週は全然練習できなくて・・」ということもあるでしょう。
大人なら練習出来ない日があるのは仕方ないことであり、音楽以外に優先するべきものを抱えていることは責められるようなことではありません。
そして「練習できなくて・・」とわざわざ言わなくても、音楽講師は練習したかどうか、どれくらい集中して練習したのか、そんなことはちょっとでも音を聴いたらわかります。
それこそものの2秒も聴いたらわかるものなのですね。
「練習しました」と言っていたとしても、レッスン直前に10分やっただけなのもお見通し。
反対にすごく集中して丁寧に練習してきたときにもちゃんとわかっています。
わざわざやってないことを指摘しても何の役にも立たないので、ほとんどのコーチングスキルのある音楽講師は黙っていますがバレてますよ(笑)
レッスンに行く前には事前に自分で練習をして、その方向性が行きたい方に向かってるかどうか確認するのが一番効率的な受け方なのは確かです。
でも。
生徒さんが練習してないからといって、講師は別に何とも思いません。
ただ単に「今回は練習できていないな」と思うだけです。
そしてその時の生徒さんの状況に合わせて、役に立ちそうなことを提案するだけです。
一人でも出来ることをせっかくのレッスンのときにでやるのはちょっともったいない時間にはなってしまいますが、怒られたり呆れられたりという心配は必要ありませんよ。
ただ一つだけ心に留めていきたいのは、「その日どんなことを得たいか」という目的を受講者自身がはっきり持っているのが大切だと言うこと。
それは「丁寧にガイドされながら音出しをする」「譜読みの手順を教えてもらう」「準備の必要な楽曲ではなく奏法について探求する」「普段の練習方法について相談してみる」「前回の続きを知りたい」「先生とアンサンブルをして楽しい気持ちになりたい」など、何でも良いのです。
レッスンは魔法をかけてもらう場所ではありませんから、何の心の準備もせずに目的が曖昧なまま、ただ行くだけでは上手くはなりません。
練習できたかどうかはどうでも良いので、「その日わざわざ自分は何をしにレッスンに行くのか」それだけはっきりさせてレッスンに向かうと得られるものが格段に増えてきますよ。
レッスンで講師がして欲しいことはありません
ここまで書いてきたように、レッスンではそれぞれ課題や目的があって、それを解決するために行くものです。
そしてやりたいことは人それぞれ段階や置かれている状況によって違います。
客観的にはどうなっているかチェックしてもらいつつ練習する場として使うのも良し、何か意見やアイデアを求めるのもまた良し。
自分では何にも不都合はないけれど先生の目から見て何か提案できることがあれば知りたい、という自分についての情報集めも面白いものです。
でも。
やりたいことや聞きたいことが何にもないというのはどうでしょうか。
別段上手くなりたくはないし「こんな風に吹きたい!」という欲求も特にない、それでは学びようがありません。
人は受け取りたい情報しか受け取らないもの。
パーティーで自分の名前がどこかで呼ばれたら気がつくけれど、知らない他人の名前を耳にしても何の用もないから気づかないのと同じかもしれません。
行きたい目的地があやふやなまま「何をすればいいですか?」という感覚でレッスンを受けるのはとてももったいないことです。
教える立場としては、レッスンで生徒さんにしてもらいたいことなんて何もありません。
先生が思う通りに演奏する自分のクローンを作りたいわけでも、言うことにただ従ってほしいわけでもなく、あなたがしたいことを手伝いたいだけです。
せっかくお金も時間もかけるなら何となくレッスンに行くよりも、出来るようになりたいことや欲しい情報を自分の中ではっきりさせておくのがおすすめですよ。