有吉尚子です。こんにちは!
わたしたちは普段、無意識で情報の取捨選択をしているそうです。
必要なことは目につくし、必要でないことは見えていても気が付かないようです。
必要なことっていうのは、その人が求めてることですね。
たとえば。
どこも悪くない健康な人にどこか痛いところはありませんか?本当にありませんか?何かあるんじゃないですか?としつこく訊いてみると大抵「そういわれてみればお腹のはしっこが少し…」「髪の毛の一部がちょっとだけ引っ張られてるかも…?」などそれまで気になっていなかった些細な痛みを発見します。
逆に身体の中でラクなのはどこですか?それはどれくらいのラクさですか?と聞かれると、ラクな部分をたくさん見つけ出し、もしも少し感じていた緊張があっても「探してるラクさ」に溶け込んでいったりします。
これはアレクサンダー・テクニーク教師のミオ・モラレスさんが使っていた緊張をほどきラクさを拡大するテクニックです。
もうひとつたとえば、付き合ってる彼が浮気をしてるかもしれない!と信じ込んで相手を観察していると浮気の証拠としか思えないことをたくさん発見します。(メールの返事が少し遅いかもとか、普段なら気にならないことを)
この場合、浮気してない証拠は特に出てこないので(無罪の証明って難しいですよね)自分が探していた「やっぱり浮気してる!」という結論にたどり着いたとして、でもそれはどの角度から見ても確定的な真実ではなかったりしますよね。
反対に、何も疑ってなんていない場合、視界には入ってるはずの部屋に落ちてる長い髪の毛に気付かないかまったく注意を払わなかったりもします。
本人が本心で何を見たいか、それがその人が見付けるものを決めるのだそうです。
同じことで奏法で誰かに何か指摘されたことがあっても、自分が気にしていたことでないと言われてることがスッと理解できなかったりしますし、自分が気にしていることに対するアドバイスや情報はその有効無効にかかわらずアンテナに引っ掛かってきます。
では、本番で演奏しているときに(後で練習し直すためでなく)本当に見付けたいのは、なんでしょうか。
うまくいってない部分?
上手に呼吸ができているかどうか?
聴衆が退屈しているかどうか?
自分が楽しんでいるかどうか?
それとも音楽そのものの魅力?
何のために音楽をするのか、それを自分に問い直して、思考を選ぶ余裕の無いときに何を考えたいかをあらかじめはっきりさせておくのも練習のひとつですね!