今回はSNSでよくあるご質問やブログやメール講座の読者さんからいただいたお悩みへまとめてお返事していきます。
もしかしたら気になっていたことがこの記事一本で解決してしまうかもしれませんね。
もしこの記事内でお探しのトピックが見つからない場合は、サイドバーのサイト内検索から検索してみてください。
もくじ
無料でアドバイスをくれる人にご注意を
SNS上やメールなどで「ブランク何年の再開何年目です。どんな練習をしたらいいですか」というようなご質問をいただきます。
こういうご質問には音を聴いていなくて吹いてる様子も見ていない状態では、現状どのような演奏をしていて何がその人に必要かわからないので、残念ながら言えることは何も無いのです。
同じ曲でもゆっくり何年もかけて音を並べてみただけなのか、しっかり読み込んで練習もリサイタルをするような完成度になるまで行ったのかで全く違ってきます。
経験年数や演奏したことのある曲というのは、練習の仕方を提案するためのヒントにはならないのです。
子供のピアノレッスンなどではバイエルの次はツェルニーでその後にソナチネ集・・というようなスタンダードな進め方があるメソッドや教室も多いですが、「何年目だからこの習熟度だ」というのは大人の方には目安にはなりません。
極端な例を挙げるなら、年に1回3時間20年吹いている方と、毎日7時間1年吹いてる方では毎日7時間で1年目の方がテクニック的に出来ることは確実に多いもの。
もしも今の自分にどんな練習が必要か知りたい場合は、お近くの先生から直接レッスンを受けるのが一番おすすめです。
そういうことがわかっている演奏やレッスンの専門家は、現状把握をせずに無闇にアドバイスを行うことはありません。
プロがネット上での質問にめったに答えないのは、レッスン料などのお金が理由ではないのです。
それは適切な方向性を見極められるだけの情報がネット上に無いことと、またその状態で提案したアドバイスによって不具合が起きたときに責任が取れないから。
その後のフォローができないような場合、「答えない」「回答を断る」という反応が最も誠実な対応だとプロ奏者や指導者は理解しているのです。
しかしネット上で演奏の様子をみたり音を聴いたりしていない状態で匿名でアドバイスをしたがるアマチュアさんは少なくありません。
そういう人たちは「本来は答えられないものである」という認識すら持たず、自分の自己肯定感や言いたい気持ちを満たすだけのために無用なアドバイスをしてくることがあります。
そういうアドバイスは情報が偏っていたり不正確であることは想像に難くないでしょう。
またそういう匿名アカウントは、万が一そのアドバイスが逆効果になったりトラブルを招いても責任を取ってはくれません。
この記事も含め、本当に信頼できる情報なのかどうか、ぜひご自身の目で見極めて情報を取捨選択していってください。
それでは実際にいただいたご質問に回答していきましょう。
明確な回答のできないご質問
ここでは個別の考慮事項が多いため、残念ながら誰にでも当てはまるような回答ができないものをまとめてご紹介します。
多分質問者が求めている答えにはなっていないでしょうが、考えるきっかけにしていただければ必ず成長につながるはずです。
「美しい」音だけ出せれば満足ですか?
もう本当に多いのがこれ、「きれいな音を度出すにはどうすればいいですか?」というご質問。
一般的な回答としては音のイメージを持つこと、しっかり息を入れること、きちんとした仕掛けを使うことなどでしょうか。
私はレッスンの時によく「どんな風に吹きたいですか?」と尋ねます。
やはりお返事として多いのは「きれいに吹きたいです」というもの。
一言で「きれい」と言っても星が煌めく様なきれいもあれば、幅広く豊かなきれいもあるし、繊細で儚いきれいも、力強く艶やかなきれいも、情熱的で激しいきれいも、雑音が入らないだけの無表情で無機質なきれいもあるでしょう。
それぞれ吹き方も使う場面も違ったさまざまなバリエーションのきれいな音が存在します。
「それではその《きれい》はどんな曲のどんな場面でどんな風に綺麗なのですか?」と質問すると、結構あいまいなイメージであることが判明することも。
どんな作品のどんな場面でもただ単に「美しい演奏」しかできなければ、ショスタコーヴィチの交響曲やストラヴィンスキーの室内楽作品などはどう演奏するのでしょう?
音質がクリアで輪郭があって・・など好きで目指したい音のイメージはもちろん大切です。
それに加えて、音楽をするなら美しい以外の激しい表現や、絶望的な表現や、スケルツァンドな表情や、その他色々なニュアンスが必要でしょう。
激しかったり苦しかったりという表現と比較した時に綺麗な表現はその魅力が際立ちますが、いつも綺麗なだけではいつも無表情で面白くない美人みたいなものかもしれません。
練習する時に「どの曲の、どんな場面で、どういうニュアンスを出したいから」というやりたい表現の使い所がはっきりしているでしょうか?
「とにかくきれいにスケールをやる」という曖昧な練習は、残念ながらあまり意味も効果もありません。
《きれい》という曖昧な言葉で雑に音楽を考えず、細部まで緻密に丁寧に作っていく方が演奏が楽しくなりますよ。
楽して上手くなる方法
「楽に演奏する方法を教えてもらえませんか」というご質問もメールやSNSでいただきます。
漠然としたご質問ですが、アレクサンダーテクニークのレッスンを実際受けた方のご感想に「ラクになりました!」という言葉がよく出てくるので、そこからなのかもしれません。
では、ラクになるって実のところ一体どういうことでしょう。
むやみに使いすぎていた力を適切に使うようになったら、もちろん楽になった感じがするでしょう。
しかしそれは何思考力も力も使わず上手くいく方法を見つけたという意味ではなく、適切な努力の仕方がわかったため不必要な葛藤がなくなって、これまでに比べたらラクになった感じがするということ。
ここに到達するためには、まず何が楽でないと感じさせる要素なのか、そして「楽」の具体的なイメージはあるのかどうか、これを自分自身で考えていただく必要があります。
アレクサンダーテクニークのレッスンは、自分で問題の原因を探究していく過程を補助してもらうもの。
太った人にも痩せた人にも「もっとお腹を使って」と何もかも一括りにして雑なアドバイスする様な軽薄で効果の怪しいメソッドではありません。
質問者が何に困難を感じていて楽になりたいのか、困りごとの根源は心の問題かもしれないし、身体の動かし方の問題かもしれません。
それは「楽に演奏する方法を教えてもらえませんか」という質問からは推し量りようがないのです。
強いていうのなら、こういう質問をしてしまう方に多くありがちなケースは、「これさえやればうまくいく!」という《聖杯》のような黄金メソッドを探していること。
そんな練習の特効薬みたいなものは存在しませんし、時間をかける必要があってショートカットすることのできないものもあるでしょう。
もしかしたらありもしないものを探して見つからないことに苦しんでいる、そういう状況なのかもしれません。
「小さなことを積み重ねることが、とんでもないところへ行くただ一つの道」と野球のイチロー選手も言っています。
何かを身に付けたいと思うなら避けては通れないこともありますが、その道の通り方を教わるのがレッスンです。
通らない方法を求めたとしたら、ありえないものを探す長くてゴールのない迷路に入り込んでしまいます。
「ラクにやる」の中身が「大変なことを避けたい」なのか「チャレンジをうまく行かせる方法が知りたい」なのか、または他の何かなのかを整理するのは役に立つことかもしれませんよ。
何時間練習すればいいですか?
中高生の講座で「何時間練習したらいいですか?」という質問を多く受けます。
答えから言うと、時間数は上達とは関係ないとわたしは思っています。
1万時間練習したらプロになれるくらい熟練するという「1万時間の法則」などはよく耳にしますが、あれはただ時間をかけたら成功するということではなくて質のいい練習を積み重ねたら、という条件付きです。
テレビを観ながらロングトーンをしたり、うるさくて自分の音が聴こえないような環境で音を並べてみたり、そんな練習を1万時間やっても変なクセが付いたり音を聴かない習慣になったりするだけで上達はしません。
音大受験生や学生は長時間練習すると思われていますが、これも「1日7時間やるぞ」とか決めているわけではなくて、やりたいことが一定のレベルに達するために必要なことをやってたら結果的に長時間過ぎていたというだけのこと。
そんな経験を積み重ねて、どういう練習が実際に効果があってそのときの自分に何が必要かわかるようになってくると、目標達成のための手順を早く進められるしできたかどうかを判断する耳もできて来るのでムダな時間はかけないで良くなります。
プロ奏者でも「これが終わってまだ時間に余裕があるから別こともやってしまおう!」という人はいるでしょうが、必要なことがもう出来たのに「今日はもう3時間やると決めているから」なんて無意味にずっと同じことを繰り返す練習をする人はいないでしょう。
大切なのはどれだけ長時間練習をするかではなく、どんな練習をするかです。
その必要な練習にどれだけの時間がかかるかは、その人の技術レベルや耳のレベル次第です。
教則本のレベル
次は「教則本は何を使ったらいいですか?」というご質問。
教則本は人それぞれ段階や課題によって合うものが違うので、レッスンに通って実際に見ている生徒さんでないとこれがオススメというのは一概に言えるものではありません。
また、どんな教則本でも使い方次第で難易度は全く変わります。
例えばこんな楽譜、音符をまだ読めない子供のためのように見えますが、注意するポイントを変えると音大卒業生でも一回二回ではできない高難易度の課題になるのです。
実際にわたしのレッスンではプロで演奏活動してる方もこういう楽譜を使ってレッスンを進めますが、なかなか難しいとよく言われます。
もちろんその方のレベルに合わせて楽譜の使い方を変えるので、同じ課題を使ってソルフェージュ初体験の方とレッスンしたときに「意外と簡単でホッとしました」という感想をこともいただくこともあります。
音符がどれくらい多いかとかどれくらい跳躍してるか、そんなことだけでは教則本のレベルを表現することは出来ません。
だから教則本だけ渡して「あとは自分で練習してくださいね」というわけに行かなくて、世の中はレッスンというものがあるのです。
あなたの使っている教則本、どう選んでどういう使い方をしていますか?
具体的な奏法・練習法・指導法についてのご質問
ここからは実際のレッスンでいただいた質問など、お悩みが具体的なものへの回答です。
個別事情があってこそのお返事ではありますが、もしもこの記事を読んでいるあなたに当てはまって使えそうなアイデアがあればご参考にどうぞ。
音色の変え方
次に取り上げるのは「音色のコントロールのためにできることって何がありますか?」というご質問です。
音に変化を付けるために自分で変えることのできる要素は
・吹き込む息の量
・息のスピード
・発音(アタック)の鋭さ、やわらかさ
・身体への振動の伝え方
意外と少ないですが、これくらいでしょうか。
口の中を広く狭くなどは息の量やスピードを変えるための操作なのでここに含まれます。
優しく小さく柔らかい音にしたければ息の量は少なく、スピードはゆっくり、アタックはソフトに。
Con fuocoな感じにしたければ、息の量は多く、スピードは速く、アタックは鋭く。
ピンと張り詰めた雰囲気にしたければ、息の量は少なく、スピードは速く。
ふくよかな感じがほしければ、息の量は多く、スピードはゆっくり。
などなど。
そこに硬めの音のときは少し振動を抑えめに、柔らかめの音の時にはたくさん振動させて、など身体の共振による倍音コントロールが加わるとさらにバリエーション豊かになるでしょう。
どんな表情も突き詰めると、この息の量とスピード、アタックの鋭さ具合、身体の振動加減のグラデーションで出すのではないかと思います。
長い音で、大きく柔らかい表情から細く鋭い音への変化とか、逆に大きくて激しいところから柔らかく繊細な音への変化も、そのグラデーションの中で度合いを変えていくということ。
自分がそういう気分になるかどうかというのは出てくる音には関係ありません。
音色を変えるためにどういうコントロールをするのか、はっきり思い浮かべて吹いてみてどんな効果があったかをチェックしてみると、だんだんコントロールの方向性がわかってきますよ。
ぜひ試してみてくださいね!
初見の得意なひとの苦手なこと
「“あなたはソルフェージュが出来ていません”とレッスンで指摘されるんですが、どうしたらいいのでしょうか。」というご相談をいただきました。
ソルフェージュは生まれつきの才能だから生まれ変わらないとダメ、なんてことはもちろんありません。
このご質問を頂いたときに「もしかしてソルフェージュは教わって身につけるものだということさえ知られていないのでは」と内心びっくりしたのでした。
何となくいつの間にか出来ているという人でも「近くで練習してる人がいた」とか「親から知らぬ間に教わってた」ということがほとんどです。
歌舞伎役者一家の血が流れていれば生まれた時から人間には一切会わずオオカミに育てられても歌舞伎が出来るのか、というという話。
冷静に考えてありえないでしょう。
センスは何の苦労もない「血」ではなく、意識的にしろ無意識にしろ努力の積み重ねで作られます。
同じことで西洋音楽だけが遺伝子によって生まれつき何か伝わることはないでしょう。
もし万が一、前世からの記憶か遺伝子の奇跡によって生まれつき西洋音楽の【センス】を持った子供がいたとしても、その子が中東やアフリカなど全く違う音楽文化の地域で生まれてしまったら?
それこそ一生苦労するかもしれない悲劇です。
努力して身につけたものを【センス】とか【遺伝】で片付けるのは失礼です。
話を戻しましょう。
この「あなたはソルフェージュが出来ていません」とレッスンで指摘した先生は、ではどうしたらいいかということまでは教えてくれなかったのでしょう。
もしかしたら「そんなの単純に習いに行けばいいに決まってるし相手もわかってるはずだ」と思ったのかもしれませんね。
何がわからないのかがお互いに共有できていると思っていたらそうではなかった、というのはコミュニケーション不足でしょう。
このご相談へのお返事としては、「わたしのところにレッスンに通うといいですよ」というのはまあそうなんですが、それ以外に普段の練習や日常でも気をつけられることもあります。
その生徒さんの演奏を少し見せて頂いたところ音符は読めてそれを音にすることは問題ないのですが、前の音と次の音のインターバルがどれくらいなのかがきちんと把握できていないようで、(縦のハーモニーではなく)横の旋律のつながりとしての音程が不明確でした。
なのでこのときは「ドからレに行くときとドからミに行くときにどれくらい離れた感じがするか気をつけて吹いてみましょう」という提案をしました。
初めてのときに初見が速かったりたくさんの曲を急いで譜読みしなければならなかったりする人がよくやりがちことに、「この音はこの指」「この音はこのアンブシュア」というように音と奏法を直結させて認識していることがあります。
そうすると音符を見てから頭に出したい音をイメージする工程が抜けてしまうので、音程の前後関係はあやふやになりがち。
楽譜を見て「あ、ドだ。次はレだ。」と思ってるよりは「今のドからこれくらい離れたレの音を出そう」と思った方が、ピッチ的にも音楽表現としても正確な演奏になります。
そしてそれが「ソルフェージュのできている演奏」に聴こえるの要因の一つでもあります。
こういうひとつひとつの音のつながりを味わいながら演奏する練習はソルフェージュのトレーニングにもなりますよ。
ソルフェージュ力をつけるために何か試したい方は取り入れてみてくださいね!
自分で練習を組み立てる
「どんな練習をしたらいいですか」というご質問、これは実際にレッスンにいらっしゃった方からよくいただきます。
個別のケースを現場で実際に聴いたり見たりしてる場合は細かい練習のメニューまでご提案するのですが、もしも段階ごとに生徒さん自身で考えて組み立てられたらすごく良いだろうなといつも思っています。
段階ごとにというのは、レッスンを受けてそのときに適した練習方法がわかっても、進めていくうちに習熟度も必要な練習内容もどんどん変わるから、成長段階ごとに違う練習が必要になってくるということ。
それを更新するためにレッスンに通えるのなら問題ないでしょう。
でも遠方からだったり、本番前だけのレッスンで年に1、2回しか受けられないとなると、自分は進化しているのに練習方法はずっと更新されない、ということも起きてしまいがち。
自分にとってどんな練習が必要か、その時々で組み立てるためにはどんなことが必要なのでしょうか。
まず必須なのは
1、何が出来るようになりたいのかという望みを具体的に持つこと。
ゴールがどこなのかわからない状態で全力疾走することはできません。
出来るようになりたいことは何なのかわかっていると、それが指針になって練習方法を取捨選択できるようになります。
その上で次に必要なのは
2、そこに向かっていく手段を見つけられること。
これがネックですね。
手段はそれ自体を知ってるか、手段を知る方法を知ってるかということが必要です。
たくさん演奏を経験しているプロ奏者が自分の練習の仕方や生徒さんのレッスンの進め方がわかるのは、目標にたどり着く道筋を知っているか、その道筋の探し方を知ってるから。
ゴールに近づくための手立てを何も持っていないなら、まずはそれを手に入れる必要があります。
つまりレッスンや本やサイト検索など情報集めをするということです。
さらにあると良いのは
3、「これが上手くいかないならこのアイデアを試そう」という引き出しの数
これも大切な要素です。
選択肢がたくさんあれば、一つの方法でうまくいかなくても別のルートからゴールに向かうことができます。
しかし突き当たった問題に対しての解決策として一つしかアイデアがなければ、それが機能しなかったらお手上げでしょう。
また練習方法のバリエーションをたくさん持っていると、組み合わせたりひっくり返したりなど応用して考えることも可能になりますよ。
ただ練習方法を教えてもらうだけではなく自分で練習をうまくいくようアレンジしてみたり、自分にとって何が上手く機能して何が上手く機能しない練習なのか記録しておくというのも役に経つかもしれませんね。
もしかしたら日々の練習はただテクニックを身につけるということだけでなく、アイデアのストックをしたり、どれくらいうまくいくか試したり、という実験を兼ねているのかもしれません。
そうであればやればやるほど上手くなるしデータも増えて行くので「何をしたらいいかわからない」という状態ではなくなっていくでしょう。
つい習ったばかりの練習法や仕入れたばかりのマイブームな練習に偏ってしまいがちな方には、メモ書きでも記録するのはオススメかもしれませんね!
こんな人にどう対処したらいいですか
「こんな人にどういう風に教えたら良いですか」
という教え方についてのご相談、これは生徒さんを持った方のレッスンの場合によくあります。
「こんなことができない人、こんな風になってしまう人にどう対処したらいいか」という内容が多いのですが、なかなかお答えするのが難しい質問でもあります。
というのは話題になってる人にわたしは会ったことがないし、吹いてるところを見たことも音を聴いたこともないから。
質問者(レッスンに来てる人)のお話から判断するより他に無いわけですが、まず一番はじめにお伝えするのは話題になっている本人が変わりたいと思ってるのかどうか、ということ。
本人が大切にしている価値観を他人がどうこう言うことはできないし、自分自身が積極的に変わりたいと思っていないのならはっきり言って余計なお世話ですから。
その上で、お話がわかりやすくなるコツはこの2つを区別して考えること。
・実際に起きている事実や本人が口に出して言ったことは何か
・質問者の推測や実際に起きている事実から判断したことは何か
例えば背もたれに背中をくっつけて眉間にシワを寄せて吹いている人にアドバイスしたい、というご相談があったとします。
質問者は背もたれに寄りかかるのは悪いことだし吹きにくそうだからやめさせたいと思っています。
そして話題になってる御本人は色んな奏法を試してきて、背もたれに背中をくっつけるのが今は一番いい音になる吹き方だという結論に達したためにそれをしていて、集中すると眉間にシワを寄せるクセを持っているという場合。
「背もたれに寄っかかってるから吹きにくいはずですよね?」というご相談には手放しで同意はできません。
ここでわたしにわかる事実は、話題になってる人は眉間にシワを寄せていて背もたれに背中をくっつけて吹いているということだけ。
・寄りかかってることで演奏に悪影響があるはずだ
・寄りかかるのをやめたらもっと良くなるはずだ
・眉間にシワがよってるから快適ではないんだろう
というのは質問者の推測。
そして、
・実際どんな音が出ているのか
・寄りかかりの動きをする瞬間にどんな意図を持っているのか
・どんな風に寄りかかるまでの動きを行っているのか
・寄りかからないで吹いたときにどんな違いが生まれるのか
・御本人が寄りかかるのをやめたいと思っているのかどうか
はわからないわけです。
これで答えるのは難しいですよね。
実際に現場を見ていない限りはどんなこと言ったとしても的外れである可能性は拭いきれません。
どうしても「一般論としてありがちなケースはこんなのですよ」というわかったようなわからないようなお返事になってしまうものです。
自分以外の誰かについて相談したいという場合には、ベストな解決策は本人を連れてくること。
それがムリだとしたら、できるだけ推測を交えずに起きている事実と本人が口に出して言ったことをたくさん教えていただけるとヒントになることが見つかるかもしれませんよ。
勘違い・思い込みの多いトピック
ここからはありがちな勘違いや思い込みをご紹介しつつ解説していきたいと思います。
ソルフェージュって絶対音感ですか?
「ソルフェージュって絶対音感のことですか?」というご質問をよくいただきます。
結論から言うと、ソルフェージュは絶対音感のことではありません。
確かに微妙な音程やリズムの違いを聴き取れることは必要ですが、ドかレかわかるということよりも一緒に演奏している人がどういうことをやってるのかわかるかどうかの方が大切です。
たとえば一緒に演奏してる人が少し明るめの音程だったらどうしますか?
少しだけテンポをゆったりさせたがっていたらどうしますか?
「チューナーで測って正しいから聴こえるのとは違う音程を出す!」
「メトロノームに合ったリズムにするためにゆったりしてる人は無視する!」
そんな演奏をしてはアンサンブルはガタガタになってしまいます。
演奏現場では、仲間の出す音と自分の音の微細な音程やリズムの違いを聴き取りたいはず。
そしてお互いに譲り合い、寄り添い合うのが一緒に演奏するということ。
だからアンサンブルでは仲間の出した音と自分の出す音の関係が全てであり、絶対音感で聴き取る「基準」のピッチからどれくらいずれているのかという情報は割とどうでも良いのです。
ソルフェージュとしての聴き方のテクニックはたくさんあって一言で説明できるような単純なものではありませんが、仲間の出している音と自分の出す音の関係を知るためには、まずは興味を持って自分以外の人がどんなことを演奏してるのか耳を傾けてみることが第一歩。
よくよく注意してみるだけで聴こえることはずっと増えてきます。
わたしたち日本人にとって外国人はみんな同じ顔に見えるけれど、日本人同士であれば双子の見分けもできるというようなことと同じ。
興味を持って接したときにしかわからないけど実は着眼点を知っていれば何のことは無い、そういうお互いの違いを聴き取れる耳を持っていることが大切なのです。
基準ピッチとしての絶対音感を身につけようとするよりも、まずは興味を持ってお互いの違いに耳を向けること。
ぜひ考えてみてくださいね!
長時間の練習のデメリット
果たして練習は長時間であるほどが良いのでしょうか。
変なクセをつけるようないい加減な吹き方で長時間やるなら、とても良くこだわって短時間のほうがずっといいのは明らかでしょう。
そして最低何分なんていう目安も人によるので何ともいえません。
お昼休みに15分だけ毎日吹く、という方もいれば夜に3時間は練習するのが日課という方も、日曜に1時間だけという方も、それぞれの生活のペースの中で自分が無理なく続けられるリズムを見つけて上達されています。
専門家を目指す学生の場合は一日10時間でも集中して練習するのが楽しかったりもします。
そんな人それぞれの中でひとつだけ頭に置いておきたいのは、本当はやりたくないと思ってる時にノルマの時間だけ漫然と音出しをするのは良くないということ。
やりたくないと思ってるときには、身体も固く動きにくくなったり、やらないための他の用事を探す思考になったりします。
おまけに注意力散漫な状態で音を出すことが当たり前にもなるでしょう。
それを習慣付けてしまうことになるのは不本意なはず。
「2分でいいから吹きたい!」そんな気持ちの時なら、ほんの少しでも練習するのは役に立つでしょう。
でも「決まった時間だけ音を出さなければならない」というモチベーションのときは思い切って休んでしまう方がいいかもしれません。
結局どれくらい練習時間を取るのがいいかという質問には「本人がやりたいと思うだけ」というお答えになります。
ご自身が何をどれくらいやりたいと思っているのかというのが一番参考になるでしょう。
教則本の意外な使い方
学生のときに別の先生門下の友人にその先生のところではどんな教則本でレッスンを受けてるのか尋ねてみたことがありました。
そのとき友人が使ってると教えてくれた教則本は、当時のわたしの目から見ると簡単すぎて音大も終わり間際の四年生でわざわざやるような本ではないと感じたのです。
だから「どうしてそれをやるの?」とさらに尋ねました。
その答えは「これをinCで読んで移調してやるんだよ。難しいんだ!」というお返事。
なるほど!と思いました。
ひとつの本でも使い方を変えて何度でも学びを深めたり新しいスキルを身につけることが出来るのです。
エチュードや教則本はどの課題にもこれを学び身につけるための、というような狙いがあって書かれています。
スタッカートの練習とかフレーズ感を学ぶとか、色々なパターンがあるでしょうが、そういう意図を持って書かれた本も使い方次第で難易度や学びの濃度は全く変わります。
ただの音階練習でも指使いを覚えたり楽器の音を出すことに慣れたりする目的でやるのと、それをどう音楽的にするか考えながらやるのでは効果が違うのは当たりまえのことでしょう。
短い曲になってるエチュードでも、ざっくり一曲を通せたというのを目標にするなら30分もあれば出来るかもしれませんが、フレーズの流れをどうするか和声をどう考えるかなんてことまで含めたらとても1週間やそこらでは練習しきれません。
練習するときには、そのフレーズをどう使って自分の何を変えたいのか、意識的に取り組みましょう。
もしも何も考えずに有名なエチュードをただを通して満足して次々進んでいたとしたら、かなりもったいないですよ。
せっかくやるなら何をどう使うか考えながら練習を進めていきたいものですね!
レッスンで講師は何をみてるか
とある雑談の中で、「アレクサンダーテクニークをやってる人には他人は骨格としてみえてるの?筋肉としてみえてるの?それとも人格?」という質問をいただきました。
興味深いですね。
確かにレッスンではなく雑談や別のことをしているときでも何かの専門家が近くにいると「間違いを指摘されるのではないか」「自分の状態を観察されているのではないか」など気になってしまうもの。
ピアニストの知人が子供の授業参観に行ったときにたまたま音楽の授業で、担当の先生が緊張してしまったなんてエピソードも耳にしたことがあります。
ではアレクサンダーテクニーク教師の目からは、周りで関わる人はどう見えているのでしょうか。
まずアレクサンダーテクニークの先生になるには解剖学的なことも学んで知識として持っている必要があります。
けれど人体の仕組みだけ知っていてもアレクサンダーのレッスンはできるわけではありません。
アレクサンダーテクニークはどんな人がレッスンに来ても「正しい背骨のカーヴはこう」などと姿勢調整をするようなメソッドではありません。
その人が何をしたいのか、またどんな体格骨格か、さらにどんなことを意図してるかによって伝える必要のあることは変わります。
単純に自分がやっていることを知ることが役に立つ場合もあれば、具体的に試してみるためのアイデアが欲しい、という場合もあるでしょう。
またはレッスンでない場面ではそもそも何かアドバイスされたいとは思ってないことだって当然あるもの。
わたしたちのようなボディチャンススタジオで勉強したアレクサンダーテクニーク教師は、相手の骨や筋肉よりもその人が求めていることは何か、自分がそれを手伝えるとしたらどんな可能性があるだろうか、ということに注目しています。
だからレッスンのときに「今日はどんなことに興味がありますか?何をしたいですか」という質問からはじまることが多いのです。
もちろん「これをやるので気付いたことを何でもいいから教えて欲しい」なんてリクエストも歓迎ですが、レッスンにいらっしゃるときは何を持ち帰りたいかが明確だと学びの質もよくなるので考えてみるのもオススメですよ。
ということで身体の使い方としては「この人は何らかの事情で今はこういう使い方をしている」とは思っても、それを良い悪いで考えたり合格不合格のような目では見ていません。
「道端に石が落ちている」という思考と同じレベルで単純に「この人はこう動いている」と思うだけ、または特別の興味と必要がなければそこまで観察していないことも。
音楽家だから世の中のカラオケする人全てをジャッジしている、なんてめんどくさい人はいないでしょう。
誰しも何かしらの専門分野を持っているでしょうが、それで人より気づくことが多かったとしてもいちいちどうこうしない、それと全く同じです。
興味深いご質問だったので回答してみました。
お尋ねくださったIMさん、どうもありがとうございました♪
まとめ
ところどころ「しょうもない質問するな」というような回答内容になってしまっており恐縮ですが、本気で質問者さんのためになるように答えようとすると厳しい表現になってしまうこともあった、というだけでもちろん「質問するな」などというつもりではありません。
気軽に判断を人任せにしてしまっていたようなことに気づいたら、ぜひ自分で深く考えてみるきっかけにしていただけたら幸いです。
どんな場合にもある程度答えが決まってくるようなトピックへの回答も、これだけが唯一絶対の正解というものではありませんので、「そういう考え方もあるのか」くらいの参考で見ていただけたらと思います。
一つでもお役に立てていただけるトピックがあったら本望です。
「質問してみたい!」という方は日々のメルマガへの返信でお送りいただければ届きます。
日々たくさんのメッセージやご質問をいただいているため全部にお返事は出来ませんが必ず読ませて頂いております。
直接見ないと何ともいえない個別ケースは実際のレッスンでご相談いただいておりますが、多くの方が気になっていそうなトピックには公開記事としてお返事をしています。
質問はないけれど感想を伝えたい!という方も大歓迎です。
お待ちしていますね!