「良い音を出すにはどうすれば良いですか?」
「音を綺麗にする方法を教えてください」
そんなご相談を多くいただきます。
今回は良い音とは?正しい聴き方とは?など、音楽をする上で避けることの出来ない基本的な部分を考えてみます。
もくじ

「良い音」とは
良い音の定義
音を聴くときに「この人の音は良い」「あの人の音はイマイチ」など音の良し悪しを感じてしまうかもしれません。
ですが、その評価は果たして正しい条件のもとで行なっているのでしょうか。
たとえば、音楽ジャンルによって“良い音”の基準はまったく変わります。
クラシック音楽とジャズの例で考えてみましょう。

【クラシック(大ホール)】
・ホールの反響音が加わる
・音は無加工の生音
・遠くの席まで聴こえる吹き方
・客席は静まり返っている
・座る位置で聴こえ方が変わる

【ジャズ(ライブハウス)】
・マイクとスピーカーを通した音
・音は加工される可能性あり
・マイク乗りの良い吹き方が求められる
・ざわついた環境の中で演奏されることもある
・どの席でも同じように聴こえるように音響が調整されている
こうして比べると、同じ“音楽”でも置かれている条件がまったく違うことがわかります。
たとえば、ジャズ奏者がクラシック奏者より薄めのリードを使うことが多いのも、こういった音響環境の違いに適応するため。
たまに「ベニー・グッドマンの音は柔らかくて良いけど、カール・ライスターの音は鋭すぎて好きじゃない」といった意見を耳にします。
ですがこれは、場面の違いを無視した比較です。
それはまるで、「メリーゴーランドより飛行機の乗り心地の方が良い」と言っているようなもの。
目的も条件も違うのに、同じ尺度で良し悪しを判断するのはナンセンスでしょう。
わたしは個人的に、「この人の音が素敵だな」と感じたら、出来るだけステージに近い前方の席に座るようにしています。
ホールの反響を含んだ音ではなく、その奏者の生音がどう鳴っているかに耳を澄まして聴くと、とても参考になります。
音がどう録られて、どう加工され、どんな目的でその吹き方が選ばれているか。
それを意識して聴くようになると、耳の使い方そのものが変わっていきます。
「良い音」とは、単なる好みや印象ではなく、状況を理解した上で判断するもの。
そんな聴き方が出来るようになると、自分が演奏するときにも客観的な耳を持てるようになっていきますよ。
雑音がしないのが良い音?
近くで聴いたときに雑音がなくてまろやかに感じる音のことを良い音だと思ってはいませんか?
実はそれは、きちんと鳴ってないだけかもしれませんよ!
大きなホールの最後列まで美しく響いて聴こえる音を、近くで聴いたことあるでしょうか。
名奏者が吹いている時に近くにいると、意外に雑音に感じられるような様々な音が聴こえるものです。

ところが現実的には「雑音は悪いもの」と思っているケースも少なくありません。
そんな場合に陥りがちなのは、名奏者がステージで演奏したものをホールの最後列で聴いた印象を、狭い練習室で近くで鳴ってる音として再現しようとすること。
改めて言葉にされてみるとトンチンカンに感じるでしょう。
ですが意外に無意識にそんな音作りをしてしまうのは、CDや動画などでしか名奏者の演奏を聴いたことのない方にありがちです。
これは雑音がする方が良いとか、人それぞれ好みの問題だとか、そういう話ではありません。
どんなシュチュエーションで録音されて、どんな環境で聴いているのかを含め、理想の音イメージの解像度を上げましょう、ということです。
当然ですが、自分の耳で生で聴いたことのない音は、どんなに努力したとしても再現のしようがないでしょう。
逆に本当に良い音を生で繰り返し聴いて自分の中にしっかりしたイメージがあるのなら、もうその時点でこっちのもの!
身体というのは微細な調整を自動で行うことは得意なので、自然に音が理想に近づき寄って行きます。
動画やCDをどんなにたくさん聴いたとしても、自分の耳で生で良いものを聴く経験の積み重ねに敵うものではありません。
本物の良い演奏をたくさん聴く、それはただ単に楽しいだけでなく自分の演奏を作る土台になりますよ。
聴き方・耳の使い方
客席とステージの聴こえが違う
客席とステージでは当然ながら音の聴こえ方が違います。
ステージでは雑音があっても遠くの客席にはクリアで芯のある音に聴こえていたり、ステージで聴くと絶妙にキレイな音なのに客席には全然聴こえていなかったり。

それは吹き方や音響的な要素で起きていることが多いですが、奏者が自分の音をどういう風に聴いているかいないかでも客席での聴こえは変わります。
たとえば細かい連符が続く複雑なパッセージの時。
ピアノのペダルをずっと踏みっぱなしにしたような濁った響きで一つ一つの音の粒がまったく聴き取れずごちゃごちゃに感じる演奏と、
どんなに細かいフレーズを速いテンポで吹いても一つ一つの音はクリアでちゃんと聴き取れる演奏。
これは奏者が細かい音をちゃんと一つ一つ認識しているかどうかによる影響が大きいのです。
つまり音形で例えるなら
「ドからソまでの繋がった連符」
と思って演奏しているのか
「ドレミファソという音の動き」
だと思って演奏しているのかということ。
「ドからソまでの繋がった連符」だと思っていると、途中のレミファはただの通過すればいい音です。
ドから始まってソに行き着けば良いだけなので、通過する音を聴く必要はありません。
反対に「ドレミファソという音の動き」だったら。
途中のレミファも音形を作る大切な要素なので、きちんと自分の狙い通りに音が出て並んでいるかどうか聴かないわけにはいきません。
これが客席で聴いたら大きな違いになるのです。
長い残響のある大きなホールなら「ドからソまでの繋がった連符」はまるでグリッサンドに聴こえるでしょうが、「ドレミファソという音の動き」はちゃんとドレミファソと聴こえます。
『奏者が聴いていない音はお客さんにもよく聴こえない』とよく言われますが、良い例ですね。
「ドからソまでの繋がった連符」ではなく「ドレミファソという音の動き」と認識するスキル、それがソルフェージュ力です。
あなたが実は心の中であやふやに感じているフレーズは、お客さんにはごちゃごちゃに聴こえているかもしれませんよ。
聴き比べてみるとわかりやすいので、よかったらこちらの動画(19秒)を観てみてくださいな。
音の良し悪しの判断基準
「柔らかい音を出そうとすると鳴りが悪くなる」
「音量を大きくしようとすると音質が鋭くなる」
そんな風に音質の柔らかさと響きの抜けやすさは反比例するわけではありません。
・柔らかくて響く
・柔らかくて響かない
・固くて響く
・固くて響かない
同じ奏者でもコントロール次第でどんな音も出すことはでき、「この人の音はこういうもの」など固定的なものではありません。
そしてまた、遠くで聴いた時と近くで聴いた時の音の印象も当然違います。
さらに空間の響きの特性によっても響きは変わって来るでしょう。
同じように鳴らした音でも、空間や距離によって全く違った印象になるものです。
音の良し悪しを判断するためには、その音単体ではなくて『どのような空間で鳴らすことを想定しているのか』という情報が必要になります。

大ホール向きの良い音と、小さくてデッドなレコーディングスタジオでの良い音は、全く逆の方向性であることが当然。
年始の定番になってる格付けのテレビ番組で、入門用の値段の安いバイオリンと巨匠が作った歴史あるバイオリンの弾き比べが毎年取り上げられていますが、あれは良い例です。
広いホールでどんな響きになるかを、天井が低いデッドなスタジオで鳴らされた音を聴いて(しかも視聴者はテレビ越しで)想像するという試み。
これは音や響きの聴き方や、会場を変えたときの聴こえの違いを知らないと、正解がわからないのは自然でしょう。
比べた二つの音が同じに聴こえるという場合、もうそれは聴き比べることに興味が無いということ。
ですが耳に刺激が少なく、こもって鳴らない音を「柔らかくて素敵」と感じてしまうのは、コンサートホールでの音の聴き方を知らないから。
大きなホールで最後列までよく響く柔らかい音を、同じ吹き方で狭い部屋で目の前で聴かせてもらうとよくわかりますよ。
意外とザラザラして無骨な印象を受けたりするものです。
例えばパヴァロッティの声は、狭い練習室で聴かせてもらったら一体どう感じるでしょうか。
広いホールではこんなに豊かで柔らかな声ですが、小さくてデッドな部屋で聴けば決して耳触りの良い柔らかな音には感じられないでしょう。
逆に普段から小さくてデッドな部屋で美しく聴こえるよう練習をしていたら、ホールに行った時には発音は確実にもたついて遅れてしまうし、音質はこもって何を吹いているのかわからなくなってしまいます。
それまでに聴いたことのある音と場面のサンプルが少なければ少ないほど、音の印象を目先の感触だけで判断してしまいがち。
倍音が少なくこもってよく鳴っていない音を耳触りが良い柔らかい音だと思い込んでしまったり、よく響く鳴っている音とキツく鋭い音を混同してしまったり。
そういう色々な場面での聴こえ方のサンプルを自分の引き出しに入れるためには、コンサートに出かけるだけでなく、レッスンで先生に様々な音を聴かせてもらうのもおすすめですよ。
CDの音色は見本になる?
CDやYouTubeの録音物を聴いて「良い音だから真似してみよう!」と思うことはきっとあるでしょう。
良いと思ったものをマネしてみるのは、気づきの多いとても良い練習になります。
ところで。
CDなど録音物が出版される前に、音にどんな加工が施されるかを知っていますか?

雑音をカットしたり、音質を調整したり、響きを付け加えたり、ミスした音を他のテイクと差し替えたり、時には音程を操作することも。
他にも色々あって、職人さんの腕の見せどころですよね。
全ての録音物がこういったことを全部やっているわけではもちろんありませんが、生音を聴く時とは色々と条件が違っています。
おまけに狭いスタジオのブースでレコーディングする場合と、大きなコンサートホールで演奏する場合の、奏者の吹き方も同じではありません。
人によっては現場の環境や出したい効果によって使う道具を変えることもしばしばです。
わたしもオーケストラの本番とサントラ用のレコーディングなどでは違う楽器を使ったりします。
あなたは狭いデッドな部屋で吹いて響きをたくさん付けたものと、残響の豊かなホールで吹いたものの違いを聴き分けることは出来るでしょうか。
また、コンサートホール用の吹き方とマイク用の吹き方を同じ条件で聴き比べたことはあるでしょうか。
ウソとか誤魔化しなどではなく、商品として出来上がった音源はお客さんの手元の機械で再生されることを前提として、再生されたときに良く聴こえるよう奏者を含めた制作チームが協力しあって作っています。
それを現場で生音で聴いたら、CDからイメージした音とは全然違う印象かもしれませんよ。
見本としてマネをするのなら、商品として仕上がった録音物と、現場で出ている加工前の生音と、どちらが適しているでしょうか。
レコーディングプレーヤーになりたい人とコンサートホールで吹くソリストになりたい人では目指すものが違うのと同じことで、どちらが正解とか不正解とか言えるものではありません。
あなたは何をマネしたいですか?
セッティング(仕掛け)を選ぶ
マウスピースやリード、一生迷い続けますか?
マウスピースやリードや指かけや楽器の素材など仕掛けのことは、管楽器奏者なら必ず気になるでしょう。
音質や表情コントロールに大きな影響があるものだし、次々に新しいものが登場するし、気になってしまうのは当然ですよね。
でも。
「せっかく新しいのに替えても結局自分の音がする」
そんなことはありませんか?

これは上手な人に自分の楽器を貸して吹いてもらった時に、いつも自分が吹くときの音ではなく、吹いている人の音がするのと同じかもしれません。
それは身体の使い方がその人の音を作っているから。
色々こだわってみても、結局音を変えるのは楽器や仕掛けではなく身体のコントロールです。
それならたくさんお金をかけてやたらと仕掛けを替えるなんてバカバカしいと思いませんか?
音を変えたいのなら本当は楽器ではなく、吹き方を変える必要があるのですから。
しかも音質を左右するのは唇をちょっと余計に巻くとか、腕の角度をどうこうするとか、そんな表面的な動きではなく、軸と身体全体の微細な動きです。
だから骨格も体力も持ってるスキルも全然違う有名奏者がやって上手くいくことと、あなたがやって上手くいくことは違うのです。
自分がもっと快適に思ったように演奏するために必要な動きは、誰かとまるっきり同じなんてことはありえません。
ではどうしたらいいのでしょう。
おすすめしたいのは、自分に合う身体のコントロールを自分で見つるということです。
どんな動きをしたときに音がどう変わるか、自分自身でモニタリング出来たら、練習方法や本番での演奏はどう変わっていくでしょうか。
そんなことを出来るようになるためには、自分が今どんな奏法をしているのかを正確に知って、どんな意図がその動きを引き起こしているのか分析出来る観察眼が必要です。
アレクサンダーテクニーク講座はそういう観察眼を育てる内容になっていますので、ご自身の奏法を見直すことが出来るのはもちろん、仲間へのアドバイスも的外れでトンチンカンな口出しではない、ちゃんと役立ててもらえるものになって行きますよ。
微細な変化を観察する目、大切ですね!
一番良いリードで選んじゃダメ
マウスピースやリガチャーなど楽器の仕掛け(セッティング)ってどれくらいの頻度で替えるでしょうか。
どれくらい吹くかにも、予算にも、近くに楽器屋さんがあるかどうかにも左右されるものですが、仕掛けは出来れば定期的に買い替えるのがおすすめです。
というのは、消耗品であるパーツは日々変化して劣化し続けているものだから。

毎日会う人の髪がいつ伸びたのかわからないように、日々気付かないくらいの微細な変化には自分が順応していってしまい劣化に気が付かないのです。
マウスピースやリガチャーは、毎日吹いたら3ヶ月くらいでもう全く変わってしまいます。
そして気が付かないうちにそれに慣れ順応していき、劣化した仕掛けを吹くための奏法になっていきます。
劣化に合わせて奏法を変え自分の身体に負荷をかけてしまったり、感覚が淀んでいくのを防ぐ意味でも、定期的に仕掛けを変えていくのは大切です。
また仕掛けを新しくするときには、出来るだけ今まで使っていた古いものに似ていない個体を選ぶのがおすすめ。
吹きやすさとか音の好みの問題ではなく、古い仕掛けで育てたリードは切ったり削ったりしていなくても、使っている仕掛けに合うようにいつの間にか調整されてしまっています。
そのリードで選んだ新しい仕掛けが古いものに似ているのはごく自然なこと。
古い仕掛けのときに一番良いと感じるリードは、もっと良い新しいセッティングには合わないかもしれないのです。
ということは、古い仕掛けで一番良いと感じるリードを使ってマウスピース等を選定するのはトンチンカンだということ。
選ぶときの手順やコツの他に、そんなことも選定のときには頭に置いておきたいですね。
仕掛けを選ぶときに客観的に聴いたアドバイスやお手伝いがほしい場合は、わたしもたまには試奏会をすることもありますが、まずは習っている先生に相談してみると良いですよ。
きれいな音、それだけ?
「艶があって丸くて遠くまで届く良い音を出せたらいいな」
そんな楽器奏者であれば必ず持っている願いが、逆に音楽を邪魔してしまうというパターンについて考えてみましょう。
わたしは大学に入りたてピカピカ一年生の頃、丁寧に音作りをせず流れ重視で勢い任せに吹いていました。
ある日のレッスンで、当時師事していた先生から
「どんなに音楽的で魅力的あっても音質・音色がダメなら聴いてもらえないんだよ」
と言われたのです。

音楽をする上で音質を気にせず音楽だけを聴くというのは不可能に近いので
「この音質はどうだろう?」
と常に注意を払い続けるのはとても大切なこと。
それはその通りで、演奏者としては大前提です。
ですが、ここで少し逆の視点から見てみましょう。
ものすごく音が綺麗で聴き惚れるけれど音楽にイマイチ推進力が感じられない、そういう場合に聴いた人はどう感じるでしょうか。
いつも変わらずに綺麗な音ではあるけれど、音楽的な主張がまるで感じられない。
それはとても良い声で中身のない話を聞かされているようなもの。
こういう『音色にはこだわるけれど、音楽の内容や流れには興味がない』タイプも現実には少なくはありません。
音質・音色に注意を向けていると、ついついその瞬間の響きだけを聴いてしまうということがよくあります。
流れや全体のストーリーや周りとの関連でその音がどういう意味を持っているか、そんなことがお留守になってしまい、とにかく音色だけを追求することに夢中になってしまうのです。
そして音色が壊れるのが嫌で思い切った表現を出来なくなってしまうということも。
普通に考えたら当然、音が良くて音楽も良いのが理想でしょう。
どちらかにしか意識が行かないという意味では、音色が壊れていて流れや歌い方だけ考えているのも、音は良いのにそれだけな演奏も、同じように片手落ち。
一つのことに注意を向けたらそれ以外がお留守になる、そんなことにならないようバランスを考えて自分の演奏を作って行きたいものですね。

