演奏を出来なかった期間が明けて久しぶりの本番、なんだか今までになく緊張した!
合奏中あちこちにソロがたくさんあるより、一箇所だけ短いソロが出てくる方がドキドキする・・。
もしかしたらこれは似たような仕組みなのかもしれません。
今回はこの頻度によるメンタル面の変化について考えてみましょう。
本番で緊張する思考
あちこちにたくさん自分のソロの場面があるとき、一体どんな気持ち本番に臨んでいるでしょうか。
「あの部分はこうやろう」
「このフレーズはこんな感じで」
「一番の難所はここだったな」
なんて考えているかもしれません。
これらはこれから向き合うストレスフルなことに対して建設的にどうやろうか考えているという思考です。
このように考えているときにはこわばりを生むような過緊張になったりはしないもの。
では反対に一箇所だけ短いソロが出てくる本番ではどんなことを考えているでしょうか。
「キタキタキタ!!」
「ミスしたらどうしよう」
「上手くできるかな?」
もしこんな思考が出てきていたら、それは残念ながら全部演奏には関係のない雑念です。
雑念に支配されているときはすごくドキドキして緊張しているのではないでしょうか。
こういう状態では満足できる演奏に繋げるのは難しいかもしれません。
たくさんソロがあるといちいち「どうしよう」と騒いではいられないので、ある種の諦めのような居直り感が出て動じにくいのかもしれません。
ミスしてからが本番
大事な本番だからノーミスで丁寧に演奏しようと思っていたのに初っ端からリードミスなどしてしまい、もうどうでも良くなって破れかぶれで思いっきり表現したらオーディションに受かった、予想よりいい演奏になったなど誰しもあるのではないでしょうか。
思ったように演奏したいというのは演奏者なら当然の願いですが、もしかしたらそう願い事によって火事場のアドレナリンによって本番でだけ出来るパフォーマンスを制限してしまっている面もあるのかもしれません。
ある意味自分の想像力の限界である「理想」というものが自分を縛る檻になってしまってそれ以上の力を発揮するのを邪魔してしまうような。
そういう見えない檻を壊してさらに良い演奏にするきっかけが諦めや居直りだとしたらどうでしょうか。
「諦め」「居直り」と言ってしまうと印象が良くないかもしれませんが、事実を事実として受け入れて起きていることに正面から向き合い、もう一歩先へ進められる本来の自分の可能性を解放するのに役立つ姿勢なのかもしれませんね。
次に久しぶりの本番にどんな準備をしていきたいかを考えてみましょう。
久しぶりでも変わらないもの
音楽に限らず何事も久しぶりに出会う人や場所やものってどんな風に変化しているかワクワクするのではないでしょうか。
子供の頃に過ごしたあの場所、今はどんな風になっているのかな?
学生時代の同級生、もう白髪になっているかな?
昔好きだったあのレストラン、今も変わらない味だろうか?
若い頃は苦くてとても飲めなかったあの高級ブランデー、もしも今飲んだら美味しいと感じるのだろうか?
久しぶりに接する前には前と全く同じであるとは思わず変わっていて当然と考えるでしょう。
そして実際に以前と全く同じであるときの方が驚いたりするもの。
わたしたちの周りの全ては変わりゆくし、わたしたち自身も変わり続けるのが自然なのです。
同じ演奏は二度とできない
旧友や懐かしい場所や思い出の味だけでなく、楽器の演奏をするわたしたちも歳を取り続けているし経験と知識は増え続けていて同じ瞬間は二度とありません。
もしも奇跡的に以前と全く同じ演奏をできたとしても、きっとそれに対して感じることは違っているでしょう。
といういことは久しぶりの本番にそれまでと同じ条件同じ結果を期待してもムダだということ。
同じように練習してきたとしても同じ結果は生まれないものと思って向き合った方が驚きや戸惑いが少ないのではないでしょうか。
期待が緊張を生む
今まで通り、期待通り、予想通り、そういう決まった結果を再現するのは現実的に可能なことではないので脳から出ている指示が身体にとっては「不可能なことをしようとしている」としてエラーを引き起こす指示になってしまうのかもしれません。
こういうケースはアレクサンダー・テクニークでよく「不可能プラン」と言われる現実的に良い結果に結びつかない動きの指示なのです。
「こうやりたい」と願うその気持ちが願いの実現から遠ざかる原因になっているとしたら、果たしてどうしたらいいのでしょう。
何が起きても対処できるように
こんな場合には瞬間瞬間で新しく生まれる感情や聴こえ方に好奇心を持って心を開いておくのが良いと言われます。
新しいことが起きるのが当然として、何が起きても対応できるように心身ともに柔軟でいるということ。
誰しも自分で思いつくことには限界があるものなので、理想とする決まった何かを追い求めるよりも新しく起きることに建設的に「ついていく」という気持ちを持つことも大切なのかもしれませんね。