反抗期の女子高生みたいなタイトルですが(笑)例えば足を組んで吹いている人を見かけたような時、とっさに「悪い姿勢だ!」なんて思っていないでしょうか。
有吉尚子です。こんにちは!
もしかしたら足を組んで吹いているのはプロモーションのための写真にかっこよく映るためのその人にとって最適な姿勢なのかもしれません。
かっこよく映る角度って誰にでもありますからね(笑)
あの美人のアナウンサー滝川クリステルさんさえ、テレビの収録では最も美しく映る角度で座らされて「実はこの角度は腰が痛いんです」なんて言ってたのを見かけたことがあります。
何にとってどう最適かは一見しただけでは中々わからないものです。
パッと見たり聴いたりした時に入ってくる情報は、良いか悪いかなんて関係のないただの情報ですね。
「肩をすくめながらトロンボーンのスライド操作をしているな」
「顎に梅干しを作りながらクラリネットを吹いているな」
「ずいぶん下向きにトランペットを構えているな」
そういう観察結果は、評価を含まないただの事実なんです。
そこに良いか悪いかなんていう評価をつけるのは観察した人の主観です。
もっと言うと良いか悪いかだけでなく吹やすそうかそうでないかを判断するのも骨格も筋力も違う自分だったらどうだろうかと言う想像に基づいた観察した人の主観も含まれますね。
音楽と関係のない例でいうと「挑発的な目をした人だ」と感じる時に事実として観察しているのは話し相手が「単に頭を斜めうしろに傾けた」というだけのことかもしれません。
頭を斜めうしろに傾けたという事実に挑発を結びつけるのは、相手じゃなくて自分です。
だってもしかしたら頭を傾けたのはくしゃみが出そうなのを我慢してるからかもしれませんよ。
入って来た情報を単に情報として捉えてそこにどんな意味づけをするかには慎重になるというのは人間関係も円滑になるし、思い込みによる不適当なアドバイスを防ぐこともできます。
最初は情報と意味づけの切り離しには戸惑う方は多いですが、試してみると意外なことに気がついて面白かったりしますよ!
ぜひチャレンジしてみて下さいな!