演奏において「ミスをしないこと」は本当に良い演奏につながるのでしょうか?
そんな問いを出発点に、ミスが起きるメカニズムや、ミスを恐れる思考がパフォーマンスに与える影響、ミスへの向き合い方までを見てみましょう。
もくじ

ミスの有無
無難な演奏とチャレンジのある演奏
安全運転でミスのない演奏とミスがあるけれどチャレンジしてるのが伝わる演奏、どちらが魅力があるでしょうか。
安全運転でミスのない演奏と、ミスがあるけれどチャレンジしてるのが伝わる演奏、どちらが魅力があるでしょうか。
自分で録音して聴いてみるときは、ノーミスであまり大きな表現のないものの方が、アラが目立たなくて安心かもしれません。
話は少しそれますが、以前プロフィール用の写真をプロのカメラマンさんにスタジオで撮ってもらったことがありました。
そのときに100枚くらい撮ったたくさんの写真の中から、画像の仕上げをして完成品として作るのはどれがいいか2枚くらい選ぶのです。

そこで自分で「これがいい!」と思ったものと、プロのカメラマンさんが選んだものは違いました。
面白いなと思ってどういう基準で選んでいるのか尋ねてみたところ、「チラシやSNSで実際に使うときは小さなサイズになることがほとんどだから、小さくなっても雰囲気がわかる大きな表情のものを選んでいる」とのこと。
なるほど!と思ったのでした。
多くの人は自分で気にしてるシミとかシワなど色々気になって、出来るだけアラの目立たないどちらかというと無表情なものを選びがち。
でもそれってチラシやホームページなどで小さくなったときには、全然主張が感じられない表情のつまらない写真になってしまうそうです。
面白いですよね。
わたしはそのプロの方が選んだ一枚を完成品にしてもらいました。
話を戻して、演奏にしたって同じことが言えるかもしれません。
自分ではアラの目立たない無難な文句のつけようのない演奏だと思っていても、お客さんや演奏の仲間など他から聴いてる人にとっては何の主張も感じられないつまらない演奏になってしまっている可能性はあるでしょう。
表情をつける時は「思ってるより大げさにやるといい」とはよく言いますが、そういう意味でも本当だと思います。
そしてやはり、こじんまりしたミスのない演奏よりも、多少のミスはあってもダイナミックでイキイキした演奏が聴きたいなとわたしは思います。
CDなどの録音物も全体を通して良い雰囲気だなというテイクからミスした音をひとつだけ入れ替えて修正するのですが、写真もいい表情のものを素材に画像加工ソフトでアラを隠すという面でも似ているなと思ったのでした。
あなたはどう思いますか?
ミスがないのがいい演奏?
「間違えないように」
「ミスをしないように」
そんな風に考えて演奏しようとするのは、おすすめではありません。
なぜかというと、間違えなければ『良い演奏』になるわけではないし、演奏するのはミスが出ないことが目的でもないから。
第一ミスをしないことだけを目標にしていては、エネルギーの低い覇気のない演奏になるだけでしょう。
それに、確実にミスをしない方法は一つだけあります。
それは「演奏しようとしない」こと。

失敗したくないからチャレンジしない。
怪我をしたくないからスポーツはやらない。
それなら新しいチャレンジによる成果やオリンピックの新記録は出ないでしょうが、ケガなく安全に過ごせるのは確かです。
でも演奏の時には、そんな風に無難にやり過ごしたいわけではないでしょう。
楽でもないし辛いことも多い演奏をわざわざするのは、間違えないためではありません。
・好きな曲を紹介したい
・楽器の魅力を伝えたい
・頑張りを見てほしい
など何かしら肯定的な意図があるはず。
その肯定的な意図を実行しようとする動作、それが『良い演奏』を作るのです。
人間の身体は否定形の言葉ではなく肯定形の意図で動いています。
良い演奏をしたければ、間違えない代わりに何をしたいのかを明確にする必要があります。
そのときに何をしたいのかアイデアが湧かない人のために、楽譜というものがあります。
楽譜にはたくさんの表現のヒントが詰まっており、読む人の読譜レベルに応じて様々な情報を提供してくれています。
『良い演奏』のためには楽譜から音楽を読み取って、それを表現したいという気持ちを持つことがスタートライン。
その表現欲求を満たすための動作にちょっとしたミスが紛れ込んだとしても、それで演奏の魅力を損なうことはないのです。
『間違えない』は『良い演奏』とは違うということ、頭の片隅に置いておきたいものですね。
ミスが起きる原因
ミスを引き起こす思考
大事な場面だからミスをしたくないと強く思うときこそ、かえって変な間違え方をしてしまった経験はあるでしょうか。
「ミスをしない」と思うと逆に変なことをしてしまうのは、「ミスをしない」という思考で頭がいっぱいになってしまい、どのように演奏するかという思考がお留守になってしまうから、というのが原因の一つです。

難しいところに差し掛かったら、まずはどういう音を出したいのかを頭の中で明確にしましょう。
というのはつまり、ソルフェージュをしっかりしましょうということです。
身体は脳が出す指令に従います。
難しいパッセージはもちろん繰返し何度も練習しているでしょうから、音を明確に脳内に描ければ身体はそれに反応します。
逆にぼんやりしたイメージで音を出せば、フレーズ感も和声感もあやふやな、ぼんやりした棒読み演奏にしかならないでしょう。
演奏したいフレーズは音を出す前にきちんと認識していることが大切。
大事な場面だからミスをしたくないと強く思うときほど、どんなフレーズをどういう風に演奏したいかをはっきりさせておくのを忘れないようにしましょうね!
間違える予感
「ミスしそう!」
「やばい!指が絡まるかも…」
そんな風に思った直後、実際に間違えたりしたことはありませんか?
わたしは一時期よく体験していて「予感が当たった」などとバカなことを考えたりしていました。
これは実は「ミスしそう」という思考が実際のミスを引き起こした良い例です。
試しに「つまづくかも…足が絡まるかも」と思いながら歩いてみましょう。

何も障害物がなくてもつまづきそうなきっかけを探してしまいませんか?
指や舌や連符など奏法も同じです。
何か動作を思い浮かべると、身体はそれを行おうと準備します。
「ミスしない」と打ち消しても一瞬で身体はミスの準備をしてしまうものであり、頭に思い浮かんだ「ミス」の思考は消えません。
《ピンク色の象を絶対に思い浮かべてはいけない》
そう言われてとっさに思い浮かべないでいられる人はいないのです。
「この箇所は不安だな」
「間違えるかも」
そう思っている時は、動作としてもミスに向かっていってしまってる、という事実を知っておくのは役に立つかもしれませんね。
出来てるかな?と思った瞬間するミス
新しい奏法に変えたときなど「ここは注意したいポイントだな」と気にしていると、普段は間違えないようなところで引っかかったりしませんか?
大事な本番で「ノーミスで!」「ここはソロだから間違えたくない」など思った瞬間に間違えるのも同じかもしれません。
その原因のひとつは『実際にやる』ことをおろそかにして『出来ているかどうかの確認』をしようとすること。

わたしたちはこの二つを無意識に混同してしまいがちですが、『出来ているか確認すること』と『実際にやること』は違います。
動作としては似ているし関連してはいますが、脳から身体に対する指示としての意図が全然違うのです。
「この音をこんな表情でこうやって演奏しよう」というのと「出来ているかチェックしよう」は別の作業なのですね。
そしてついついチェックしながら演奏してしまう。
でも二つのことを同時に行うと頭の中が忙しいので、【演奏する】という意図がお留守になる。
出来ているかどうかチェックしたら、次はそれを良いかダメか評価することに夢中になってしまいます。
気付いたときには今何をやっているのか、次に何をするのかがわからなくなっていて間違える。
そんなことがパターンになってはいないでしょうか。
「間違えないぞ!」と自分に言い聞かせるのと、実際にどう演奏するか考えるのは全然別の作業。
意図した通りに動いているか確認することは、思ったように動くことを意図するのとは違います。
ちょっと複雑なお話になってしまったかもしれませんが、アンブシュアを変えたときや構え方を変えたときなど、筋感覚でやってることを知ろうとするときにとてもよく起こってしまうことなのでぜひ気を付けてみてくださいね。
ミスの連鎖が起きるわけ
隣の人が緊張していると自分も釣られる。
ソロを前に吹いてた人が間違えたら、引き継いだ自分も間違える。
共演者が落ちて音が無くなったら、自分まで一緒に混乱してしまう。
自分は自分と思っていても意外に釣られたり影響されること、意外とありますよね。
関係ないはずなのに動揺してしまうのは、予想外の出来事に驚いたというだけではなく
「間違えた人のフォローをしよう」
「落ちた人が戻りやすいように何か協力してあげなきゃ」
もしかしたらそんな気持ちが無意識でも働いているからかもしれませんね。

しかし。
こう言うと冷たいようですが、出てしまったミスは引っ込まないし、周りで何かサポートしてあげてもミスが無かったことにはなりません。
大事な場面でコケた仲間がいたら、つい手を差し伸べたくなるのは自然な心の動きでしょう。
コケた仲間に対して本番中に自分が手助けをできるとしたら、どんなことがあるのでしょうか。
小節番号を教えてあげたり、キメのタイミングで合図したり、というのも場面によっては可能かもしれません。
でも、隣から聴こえた予想外の音に動揺して自分を疑い楽譜を見失うのではなく、お隣さんが戻ってこられるようキープするのは、意外に意志力の必要な作業です。
多くの場合には、「落ちた仲間を救い上げたい」と思いつつも自分が釣られずにいることが精一杯かもしれません。
そんな風に「助けてあげたい」と思うとき、実際に出来ることは何もなかったとしても身体は何かしようと構えます。
何かしようと構えても、身体として現実的に何をすればいいかが不明確であれば固まってしまいます。
これが仲間のミスに釣られてしまう原因の一つでもあり、自分が一つミスを出したら連鎖的に間違えてしまう原因でもあるかもしれませんね。
そういう自分に出来ることとコントロール外のことを区別して考えられるようになったのは、アレクサンダーテクニークを学んで良かったなとわたしが思う一つのメリットです。
参考にしてみてくださいね!
共演者のミスを引き起こす方法
何かアドバイスや助言をするときに「状況が悪くなって欲しい」とか「相手に不利になって欲しい」と思ってする人はいませんよね。
アドバイスというのは何かしら良くなるためのヒントであるはずで、きっと善意からすることがほとんどでしょう。
「現状に我慢できなくてつい出た!」なんて鬱憤晴らしのような場合でも、状況を悪くしたいという意図ではないはずです。
ところが。
現実には、アドバイスをしたことで逆に悪くなる例もたくさんあります。
なぜでしょうか。
これはもしかしたらアドバイスの内容は関係がなく、その伝え方や他人に何か言われたという事実自体が問題なのかもしれません。

ただ単に良くなるためのヒントを伝えただけのつもりでも、演奏技術や音楽性や人格を否定されたと受け取られたらそれは『攻撃』になってしまいます。
つまり相手に、危険だと思わせてしまうことになるのです。
そうなればアドバイス内容がどんなに的確であっても、良くなるための言動としてはマイナスな結果を引き起こすでしょう。
相手に「何か指摘されるかも」と気になった状態で演奏させるのは、最良のコンディション作りとは言えませんよね。
本番直前に今さらどうにもならないアドバイスをするのは、動揺させてミスを誘うためにはむしろぴったりな方法です。
より良い環境で快適に演奏したいと思うのであれば、何を伝えるかだけでなく
・タイミングは適しているか
・これから本番までに改善できる可能性はあるのか
・そもそも伝えた方が良いのかどうか
まで考えて言動を選びたいものですね。
ミスを克服する
ミスをするのが怖い
「ミスをするのが怖い」
楽器プレーヤーなら誰しもそんな思いは抱えているもの。
「気にしないようにする」
「しっかり練習する」
など克服しようとはしても、なかなか完全に怖さを拭い去るのは難しいですよね。
こういうメンタル面のことは気合いや根性でなんとかしようと、わたしたちはつい考えてしまいがちです。
でも気合いとか根性とかそういうことではクリアできないことも実際多いでしょう。

では例えば、ミスをしたくないという気持ちを肯定的に言い換えるとどうなるでしょうか。
「思ったように演奏したい」
「お客さんと音楽を共有したい」
それぞれで出てくる答えは違うと思います。
何かをしたくないというとき、それをポジティブな表現に言い換えるのはとても有効です。
はじめは
ミスをしたくない
↓
正確に演奏したい
程度の言い換えしかできないかもしれません。
そうしたら、さらに考えてみましょう。
「どうして正確に演奏したいのかな?」
ポジティブな表現になるまでこれを繰り返します。
なぜそれが有効かというと人間の脳は否定形での思考は受け付けられないから。
もちろん哲学など抽象的なことを考えたりすることはできますが、身体への指令としては否定形思考は通用しないのです。

「ミスしたくない」と思う場合、まず脳内でミスをするという指令が出ます。
一瞬のことですが、その時点で身体はミスをする準備をします。
そしてそれを後から打ち消す指令が出ます。
打ち消されたミスの代わりに何をするのかという代替プランがないと、「何もしない」という指令が脳から出ます。
身体は素直なのでそれにまた従います。
つまり「ミスをしたくない」とだけ思ったら、身体はそれをする準備をした上で何もしないように固まってしまうのです。
固まった状態で音を出さなければならないとしたら、とても大変で疲れるし、予想外の動きをしてしまったりもしますよね。
「楽譜にある音を出す」
「息を楽器に送り続ける」
「ピストンを押す」
「お客さんの一人を見る」
など本人が納得できれば何でも良いですが、具体的に動きを引き起こせる肯定表現の言葉を思い浮かべると、きちんと身体はその通りに動いてくれます。
ただし、「リラックスする」などの具体的に何をしたらいいかわからない言葉は、肯定表現とは違います。
教える機会のある方は、生徒さんがミスをしない代わりに何をしたいのか、それを一緒に考えてあげるというのも指導者としての大切な仕事ですね。
色々な場面で応用していただければ幸いです。
「上手くいかせる!」と思っても上手くいかない
人の身体は「ミスしないように」「音を外さないように」という否定形で動きを考える時よりも、「出したい音を出す」など肯定形で考える時の方が動きやすく、良い結果に繋がりやすいものです。
では例えば「上手くいかせよう」「成功させなければ」という意図は、本当に肯定的なのでしょうか。
これは動きとして具体性に欠けるという点で良い意図とは言い難いものですが、さらに動きを悪くする否定形の要素が潜んでいます。

というのは「一つの結果以外は許さない」というように、成功以外の起きうるかもしれない選択肢を制限してしまっているから。
実際わたしたちは普段「こうしなければならない」と思った時には、それ以外の選択肢も含めて思い出してから、改めて望まない結果を打ち消しているでしょう。
それは直接的に望む動きを考えるのとは少し違いますよね。
とはいえ「少しの意図の違いでそんなに変化があるものかな?」と疑わしく感じるかもしれません。
そんな場合は試してみましょう。
自分の手の人差し指を出して、「自分の鼻のてっぺんを指で触らなければいけない。てっぺん以外は触っちゃダメ」と思って鼻を触ってみます。
その時の腕の動かし心地や呼吸はどんな風だったか覚えておきましょう。
では次に「鼻のてっぺんを触りたいけれど、それ以外の部分に触れても良い」と思って鼻を触ってみます。
腕や呼吸はどんな風に違いましたか?
少しの意図の違いで動きの快適さは大分違うものだと感じるのではないでしょうか。
それを踏まえると、上手く演奏したいと思った時に「絶対成功させる」という意図を持つのは、逆に緊張を招いたり身体の強張りを生んで良くない結果につながってしまう可能性に気づくでしょう。
それでは本当に大切な本番ではどんな意図を持ちたいでしょうか。
ぜひ考えてみてみてくださいね!
いつも同じところで間違える
いつも同じ箇所でミスをしてしまうような場合、どんな練習をしているでしょうか?
引っかかるポイントを取り出して繰り返したり、どうすれば上手くいくのか試行錯誤したりはきっとするでしょう。
それでも通してみるとやっぱり同じところで引っかかってしまう。

これは上手くいくやり方が定着していないのと同時に、上手くいかないやり方が習慣として定着してしまっているパターンかもしれません。
もしかしたら練習の時に「できるかどうか一か八かチャレンジする!」なんてことを繰り返してはいませんか?
人間にとってはできたことよりもできなかったことの方が印象は強いもの。
なのでたとえ半々の確率で上手くいったとしても、上手くいかなかった印象の方が強く脳に残ります。
そんな練習の仕方をしていると間違えるクセをわざわざ苦労して定着させるようなもの。
上手くいった時も失敗した時も、なぜそうなったのかを毎回検証するのが練習では大切です。
「今のは偶然指が滑ったからとりあえずやり直し」そんなことはしてはいけません。
指が滑ったり偶然上手くいかなかったように思えることも、きちんと原因があります。
・なぜ指が滑ったのか
・その時にどんなことを考えていたか
・次はどんな工夫をして再チャレンジするのか
ということを1テイクごとに考えてみましょう。
面倒なようですが、やたらと無意味に繰り返して変な癖がつくよりずっと上達への近道になりますよ。
曲のイメージが頭にあるとつい「今すぐにそれを再現したい!」と思って丁寧な検証などは省きたくなりがち。
ぜひ気を付けてみてくださいね!
いつも違うところで引っかかる
次に、なぜかいつも違うことろで引っかかってしまう理由について、考えてみたいと思います。
まず前提として、当然ながら引っかかるのには色々な理由があるので一概に言えるものではありません。
その上で多いことの一つは、楽譜をよく見ずに曲の運びを指任せ運任せにしてる場合。
音をきちんと認識していなかったら、出来たとしてもまぐれでしょう。
もう一つは注意するポイントが毎回変わってしまう場合。
「一箇所の難所を集中力を持って無事に通過することが出来た!」
「でも次に出てくるプチ難所のことは忘れていた・・・」
というパターンですね。
一箇所気をつけたらホッとして、それ以外の箇所で何も意図が無くなってしまうケースはありがちです。
「それならば!」
と今引っかかったところに注意してもう一回吹いたら、今度はさっきは上手く行った箇所がおかしくなってしまった、なんてことも。

「ここは注意しなくちゃ!」というポイントを記憶だけに頼って吹いていると、特に印象的な注意ポイントは覚えていても他があいまいになってしまいがちです。
そして「ここではこれを思い出す!」と決意をしたとしても、きっと他の箇所があやふやになるでしょうし、気を付けると決意したことが必ず思い出せるとも限りません。
そんな場合は楽譜にわかりやすく「すぐにまた注意したいポイントが出てきているぞ!」とメモしておくのが役に立ちます。
目で見てパッと思い出せるようになっていたら「あ、忘れてた」ということは減っていくでしょう。
いつも違う場所で間違えるのには、注意を向ける箇所が決まっていないということが原因だったりします。
自分の記憶力を過信している、とも言えるかもしれませんね。
忘れそうならどんどんメモしていく、ぜひ取り入れてみて下さいね!
環境に左右されにくい奏法
「この奏法であっていますか?」
そんな質問をしてしまう方は「一つの絶対に揺るがない完璧な奏法があったら、柔軟性なんてなくても問題ない!」そう考えて身体を固めて演奏してしまっているかもしれません。
場面によって様々な音色の使い分けをするためには、アンブシュアや楽器の角度や響かせるときの身体の具合など変化させる必要のあることはたくさん。
そういう意味で柔軟なコントロールは大切ですが、他にも柔軟性が必要な場面はあります。
例えば
・標高の高いところに行ったとき
・ホールに冬着のお客さんがたくさん入ったとき
・急に台風が来て湿度や気圧が変わってしまったとき
・海外に行って乾燥した会場で演奏しなければならないとき
こんな「普段通りの奏法では対応しきれない!」という現場で、仕掛けそのものを見直すような時間が取れないとしたら。
そういう時にはいつも通りの音を出そうと、奏法を色々工夫するのではないでしょうか。
どんな仕掛けを使っても結局その人の音が出るというのは、出したい音が明確であり、その工夫のための引き出しをたくさん持っているということ。
いつもと違った環境でもいつも通りの音が出るようコントロールができると、環境の変化による影響を受けにくくなります。
リード楽器なら「このリードじゃないと絶対ダメ!」なんてことも減るでしょう。
ということはリードにかかる出費も減るのです。(ありがたい!笑)
顎はこの角度、噛み具合はこれくらい、脇はこのくらい開けて・・なんて固定化された唯一の正解奏法を求めてしまうと、そこから動かないでキープしようとあちこち固めることに繋がりがちです。

あちこち固めてしまったら、環境の変化や音楽の求める表現によって行いたいはずの繊細なコントロールなんて出来るわけがありません。
もしも生徒さんから「この吹き方であってますか?」というようなざっくりとした質問を投げかけられたような時には、常に色々なことに対応できる柔軟性があるかどうかに目を向けるよう伝え方を工夫したいものですね!
曲の最後が苦しくなるとき
長い曲を練習するとき、いつも最初からはじめて後半に行くにつれて疲れていき、終わり間近になるとヘロヘロ・・・「最後がうまくいっていないけれど今日はもう疲れたからまた今度」
そんなことになってはいないでしょうか。
「途中から始めればできるけど、本番では最初から始めるのだし」と思うかもしれませんね。
それは確かにその通り。
とはいえ、分解した方が集中して細部が丁寧に練習できるのなら、それを避ける必要はありません。
私が大学に入りたての頃に当時の先生から「後ろから見ていく」という練習方法を教えていただきました。
長くて複雑な曲を練習するときに役に立ったのでご紹介しましょう。
これはある程度譜読みができて「通したときにどうなるかな」という段階でする練習です。
初めての譜読みでやるような練習ではありません。
具体的には、曲の最後にかっこいい複雑なパッセージがあるようなこと、結構ありますよね。
まずはそういう部分から曲の最後までを通してみます。
最初からやるとできなくても、そこからならできるというケースは多いでしょう。
それができたら次はさっき始めたところのほんの1フレーズ前から初めてまた最後まで通します。
次はもう1フレーズ前から初めてまた最後まで通します。
この繰り返しで曲の最初からになるまで遡り続けます。

そうすると曲の中で一番たくさん吹いたことのある部分は、最後の苦しくなるところになります。
いつも最初からはじめてヘロヘロになり、曲の最後は一番苦しいのに一番不慣れな状態になっていては、緊張したりいつもと違う状況の本番で失敗したとしても不思議はないでしょう。
吹き続けて苦しい度合いも徐々に上げていくことで体力作りにもなり、テクニック的に大変な箇所をたくさん練習することにもなり、とても良い練習です。
私も学生時代の実技試験直前などによく取り入れていました。
ピンときたら取り入れてみてくださいね!
わざと外してみる練習
あえてミスをする練習をした経験はありますか?
実際、わざと下手に演奏する場面はあまりないでしょう。

たとえばサン=サーンスの「動物の謝肉祭」の中のピアニストという曲や、伊藤康英さんの「クラリネット作っちゃった」の中のリードミスみたいな音を出すという場面くらいしかわたしは行き合ったことがありません。
でも意図的に望まない音を出してみるというのは、結構勉強になるものです。
どういうことかというと、例えばクラリネットで言うならリードミスが必要な場面なんてほとんどないし、普段のわたしたちにとっては極力避けたいことですが、避けるには避け方を知らなければいけません。
どんな操作をしたらリードミスの音になるかわからなければ、リードミスを避けるために何をしなければいいかの判断ができないでしょう。
そして望まない音がどういう仕組みで出るのかを知るのは、本番ではなく練習のときにやっておくべきことです。
やりたいことのための正しい手順を何度もやって習慣にするのも練習ですが、やりたくないことや避けたいことがどんな仕組みで起こるのかを知っておくために、試しに色々なパターンの音を出してみるのも、知識や経験のストックになる良い練習です。
たまにわざと外してみるというのは意図も動きも新鮮で興味深いものですよ!
ぜひ試してみてくださいね。

