アレクサンダーテクニーク コミュニケーション 合奏・アンサンブル 思考と心 練習

「やる気がない人」に疲れたときに考えたいこと

「なんでこの人、やる気ないんだろう…」
アンサンブルや団体活動で、そんなモヤっとを感じたことはありませんか?
この記事では、“やる気の差”に振り回されない考え方を整理してみましょう。

「真剣にやりたい」というワガママ

趣味で演奏していると、練習が間に合っていない人や合奏になかなか出席できない人とも一緒になる機会がたくさんあるでしょう。

そんなとき、「練習してきてください」「出席してください」と伝えると上手くいくでしょうか。

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伝える内容が相手に対するただの要求では、例え誠意を持って伝えたとしても効果が無いことが多いのはないでしょうか。

それはなぜでしょう。

趣味としての演奏は、プロ奏者が仕事としてする演奏とは違い様々な状況の人がいるのが自然です。

お互いにやりたいことが違っていれば、モチベーションに差が出てしまうのも仕方のないこと。

練習も合奏への出席も、他人が無理やりにやらせるものではなく、本人が望んでするものです。

誰だって他人から強制されたことなんて、やりたくありません。

「宿題をやりなさい!」と言われたら「やろうと思ってたけどやっぱりやらない!」と反論したくなるのと同じです。

レッスンのときには「これが出来たらこんなに楽しいよ」「発表会までに出来なきゃ困るでしょ」など、先生があの手この手で様々な角度から生徒さんが練習したくなるように工夫をします。

でもアマチュア楽団では熱心な参加者は先生ではないし、不熱心な参加者は生徒というわけではありません。

熱心な参加者も不熱心な参加者も立場としては対等ですから、自分が熱心だからといって不熱心な人のモチベーションの管理までする必要は全くありません。

それでも練習してきて欲しい、もっと頻繁に合奏に参加して欲しいと思うのは一体なぜですか?

・一緒に演奏をより良くして本番に臨みたい

・もっとコミュニケーションを取って一緒に楽しみたい

など相手を必要とする欲求があるのではないでしょうか。

実はそれは熱心にやりたいと思う人の個人的な欲求です。

考えてみると恋愛だって同じですよね。

一方は関わりたい、もう一方は放っておいてほしい。

どちらが優先されるべきか?

恋愛なら放っておいてほしい人にしつこく絡むのは、場合によっては犯罪になります。

音楽上でのコミュニケーションだって、人間同士の主張のぶつかり合いですから本質的には同じ。

個人的な欲求を通そうと思うのなら、お互いに無理のない形で参加したくなるようにお誘いして引き込む工夫をしてみましょう。

例えば指が複雑で間に合ってないような箇所があれば休憩中に「自分も不安だからちょっとだけ一緒にやってみない?」なんて誘うのはどうでしょう。

「出来てないんだからもっと練習してよ!」など押し付けるより、ずっとお互いに気持ちよく練習を進めていけるのではないでしょうか。

相手に責任があると感じることも、実は自分の欲求が引き起こしているストレスだというケース、これはとても多いものです。

「音楽最優先で熱心に取り組むべき」「そうするのが当たり前」という状況に身を置きたい人は、プロ奏者になることで環境を整えているのです。

真剣に取り組めない状況でも音楽に触れられるというのが趣味として演奏をするメリット。

たとえ音大を卒業しても「音楽だけに縛られず自由にやりたい」と思う人は、アマチュアとして生きることを決める場合も少なくありません。

演奏は必ずしも全力で取り組まなくてはならない物ではないのです。

それを踏まえた上で、あなたの真剣にやりたい心が満たされないのはなぜでしょうか。

自分の欲求が満たされないことを誰か他人のせいにしてはいけませんよ。

ぎくりとしたらぜひ振り返ってみて下さいね!

 

相手を変えたい

期待が失望を生む

「もっと練習してくれないかな」

「そうじゃないって何度も言ってるのに全然通じない」

「あの人なぜいつも間違えるの?」

そんなイライラに悩まされること、これを読んでる熱心な奏者さんにはきっとたくさんあるでしょう。

合奏全体を良くしたいという思いが強ければ強いほど、そういう周りへのフラストレーションは溜まるもの。

自分はこんなに頑張ってるし、伝え方だって工夫してるし、もっと向上したいのに!

そんな気持ちもよくわかります。

どちらが誰が悪いってことでは決してないのですよね。

とはいえ自分と考え方や音楽への向き合い方が根本的に違う人と付き合うのはストレスなのも確か。

自分が当たり前だと思ってることをやりたくないと思っていたり、

これだけ噛み砕いて伝えればきっとわかってもらえると思ってたことをさっぱり理解してもらえなかったり。

そんなときはガッカリするし、イライラしない方が難しいかもしれません。

でもこのガッカリ・イライラって、実はあなたの期待が引き起こしているのです。

「これくらい言えば伝わるはず」

「この前提は共有してるはず」

「この気持は誰でも持っているはず」

それは実は世の中全体にとっての当たり前ではなく、「あなたにとっての当たり前」でしかないのかもしれません。

相手がダメなのではなく、ただ違う思考パターンを持っていて違う生き方をしてきていて、ただ単に自分とは違う人間であるというだけ。

伝わらないのは当たり前。

トンチンカンで当然。

考えが違っても仕方ない。

そういう前提でいたらどうですか?

自分にとっての当たり前を満たさない人に対する苛立ちも、少しは緩和さるのではないでしょうか。

「通じないのが当たり前だからもっともっと言葉を尽くそう」

「わかり合えてないのが当然だから、自分が思う以上に丁寧に向き合おう」

そんな風に思えたらしめたもの。

全ての苛立ちや失望は期待から始まると思っていたら、イラッとしたときには

「もっとわかりあえてるはずだと思ってたんだな」

「この前提は共有できてることを自分は期待してたんだな」

ということに気づくでしょう。

他人に期待しないというと冷たい感じがするかもしれませんが、むしろ心のさざ波が減って穏やかに接することができるようになるのかもしれませんね。

 

仕事の音楽と趣味の音楽

一生懸命やりたい派の人は、自分の音楽への向き合い方と同じくのんびり派の人にもたくさん練習をしてきてほしいし、もっと合奏にも出席して一緒に盛り上がりたい。

そして反対にのんびり派の人は、自分にとって音楽より大切なことがあることを理解されず、迫害されてるような気分になってしまう。

というありがちな構図。

これは一生懸命やりたい姿勢が、他にも大切なことがあるという姿勢より『優れている』と考えてしまうことで衝突の原因になっているのではないでしょうか。

実際はどちらが優れてる劣っているということではなく、ただ人生で大切にしたいことが違うというだけ。

それなのにお互いが自分の価値観を主張することで争いやいがみ合いを生むなんて、誰も得をしないでしょう。

そしてそんないがみ合いが時には「プロはそんな風にいい加減ではないから、自分たちも同じように真剣でなきゃいけない」というお説教に発展したり。

当然ながら誰しも趣味として行うことと、仕事として行うことへの取り組み方の違いはあるものです。

プロ奏者の音楽への態度は、自分にとって最優先である仕事に対する向き合い方です。

それをアマチュア楽団のメンバーの標準姿勢として求めるとしたら、ちょっとおかしな話ですね。

「えらい先生はこう言ってた」

「上手なあの人はこうやってる」

などをそのまま趣味仲間との音楽活動に当てはめるのは少し乱暴かもしれません。

誰もが快適に楽しみながら音楽をできる状況を作るために、どんなことができるのか考える。

それは「もっと練習して!」「もっと出席して!」という自分の主張を何とかして押し通そうとするより建設的かもしれません。

せっかく出会って一緒に音楽をすることになったご縁を大切にしたいものですね。

 

情熱を持たせることはできるか

中高生吹奏楽部員や一般団体にお邪魔するとよく「もっと情熱を持ってやろうよ!」なんて言葉を耳にします。

わたしはそういう言葉を耳にした時につい「《情熱を持って取り組む》って具体的に何をすることなんだろう?」と思ってしまいます。

「もっと気合いを入れろ!」なんてレッスンに出会ったときも、漠然としすぎてなんだか小学校の黒板の上に貼ってあったクラス目標みたいだなあ、なんて変なことを連想してしまいがち。

「輝く未来に向かって!」みたいな。

わたしは「一体何がさせたくてそれは誰にどんなメリットがあるのか」なんて思っているかわいくない小学生でした(笑)

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しかしそれが他人から見たら抽象的に感じるような言葉でも、自分にとって行動するのに充分な具体性があると感じられるなら有効でしょう。

でも誰かとそれを共有しようとするなら、一度立ち止まって中身を具体的に考えてみても良いかもしれません。

もちろん正解不正解のあるものではありませんし、色々な考えの方がいるでしょう。

ですが、今のわたしにとって《情熱を持って取り組む》という言葉は、どれだけの時間をそれに割くのかだと思っています。

誰にとっても時間は同じだけしか与えられておらず、身を置く状況はそれぞれです。

その中でもきっと、『どうしてもやりたくないこと』『絶対に我慢できないこと』など、避けたいことはあるでしょう。

それは自分の人生の時間をそれに取られたくないということ。

反対にどんなに忙しくても「これだけは絶対にやる!一日一分でも良いから時間を作る!」そんなこともあるのではないでしょうか。

例えばコーヒー好きな人なら、通勤の乗り換え駅でテイクアウトでもコーヒーを買うとか。

音大生などは少しでも早く学校に着いて、例え2分でも音出しをしてから授業に行き、お昼ご飯を急いで食べ終え余った時間はまた練習室にこもり、トイレに向かって行く数秒間も「あのフレーズはどうやろうか」とイメージしながら歩き、家族や恋人に文句を言われても休日だろうと練習や勉強をしています。

そうやって何とかかんとか時間を見つけてでもやりたいことは、誰にでもあるでしょう。

トイレに向かって歩いてるその数秒に、ゲーム画面を開いてポケモンを捕まえる人も同じかもしれません。

それって別にやる気とか才能とかではなくて、ただ「やりたいから」という単純な理由ですよね。

頑張ってるように見える人に尋ねると「やらざるを得ないから」なんて答えが返ってくることは多いですが、どんなにやらざるを得なくたってやりたくないことをトイレに行く数秒の間にしようとはしません。

やるということを選択するのには、実はそんなに努力や自己啓発なんて要らないのですよね。

そして音楽にそのように取り組むようにと、他人をけしかけることは誰にもできません。

馬を水辺に連れていくことはできても、水を飲ませることは出来ないのです。

あなたが情熱を持って取り組んでいることは、誰かから強制されたから好きになったわけではないでしょう。

取り組みたくなるのはけしかけられた時ではなく、楽しそうに人生を賭けている人を見た時ではないでしょうか。

周りの仲間や生徒さんに頑張りたい気持ちになってもらうのに役立つのは、「もっとがんばろうよ!」と言う言葉ではないかもしれませんね。

 

環境を選ぶ

音楽をやる資格

「こんな風にしか演奏しないなら、あの人には演奏をする資格なんてない!」

そんな言葉を聞いたことはあるでしょうか。

音楽をする資格って何でしょう。

たとえば音大生の授業やプロ奏者の仕事としてなら、オーディションで合格することや一定のクオリティで合奏に臨むのは最低限必要な条件になるでしょう。

ではアマチュア楽団のメンバーならどうでしょうか。

団費をちゃんと払っていて、はじめに決められた規約に違反などしなければ、団員としての資格はありますよね。

好きで趣味としてやっているなら、音楽をやる資格があるかないかなんて他人にとやかく言われる筋合いはありません。

もしちゃんと全員が練習してくるし出席率も問題ない状況で音楽をしたいなら、そういうことを入団の条件に掲げている団体に入るかプロとして活動すれば良いのです。

自分はそこまでじゃないし・・と思うでしょうか。

それなら他人が音楽をやる資格について、などという口出しする権利のないことをとやかく言ってはいけませんね。

今ある状況にいることを選んでるのは自分自身。

その中で本当は何を求めているのでしょうか。

プロになる道やオーディションをクリアしてハイレベルな団体に入る道を選ばなかったのは、何を優先してきた結果なのでしょうか。

今、目の前にいる仲間と一緒に、何をするのがあなたが本当に望むことなのでしょう。

長年付き合ってきて気心知れた仲間として、お互いの得意なことや苦手なことを知っているからこそのメリットもたくさんあります。

・演奏したら楽しそうな曲をお客さんの反応や収益を考えず自由に提案できる

・苦手と感じる作品を避ける

・呼びたいトレーナーを自分たちで選んで学ぶことができる

・練習時間をたっぷり取って丁寧にアンサンブルを作れる

・スキル不足でクビになる不安を抱えずに合奏に望める

そういったことが可能になるのは、アマチュア楽団ならではの強味ではありませんか?

何のために今の状況を選んだのか改めて考えてみるのは、わざわざ自分でストレスを作る考え方をしてイライラするよりもずっと建設的ですよ。

 

いやいや参加する演奏

「この条件で演奏するのはちょっと気が進まないなあ」

そんな風に思うことってありませんか?

「炎天下や小雨の降る中での演奏」というのは極端な例ですが、他にも選曲やメンバーや練習時間など色々なモヤモヤを感じる条件ってきっとあるでしょう。

そんな時にどうしていますか?

「決まったことだから」

「みんながやるから」

そんな理由であきらめて付き合ってはいませんか?

もしあまり気の進まない条件でも、いったんやると決めたら愚痴を言ったりゴネたり不機嫌でいるのは建設的ではありませんし、そんな態度は周りに迷惑にもなるでしょう。

そういう気の進まない案件のときは、思い切って断るというのも責任のある対応です。

それはわがままとか自分勝手ではなく、自分や周りに対して正直でいるということ。

「人が足りないから」

とか

「抜けたらもう戻れないから」

とか

「そうは言ってもやめられない」

など自分に嘘をついてごまかして、結局グチやゴネが出るなら最初から引き受けない選択肢もあるのです。

もしもやりたくないと思うなら、引き受けない選択をすることで自分の心や労力や時間を守れます。

またそれだけでなく、周りに対して「もっとやりたがってる別の人をリクルートする機会を与える」という親切にもなるでしょう。

わたしの例でいうと、学生の頃や卒業したての頃はどんなにギャラが安くても、お客さんを集めるのが大変でも、練習時間がたくさん必要な案件でも、「なんでもやります!」というスタンスで喜んで引き受けていました。

でもだんだん若くなくなってくると『何でもやります流』では、よりやりたい理念に近いかったり、本当に勉強になる案件を逃すことが増えてきます。

何かを引き受けることで失う時間や機会のことを考えると、引き受けない選択をした方が良いという場合も多くなってきます。

そしてわたしが断った仕事は、学生や学校を出たてのもっと若い奏者に回っていきます。

ここでわたしがそういう駆け出し段階でやるような仕事にいつまでもしがみついていたらどうなるでしょう。

自分もステップアップするための新しい機会を得られないし、若い奏者が色々な現場で経験する貴重な機会を奪うことにもなるでしょう。

とはいえアマチュア団体だと人数が足りず抜けられないと感じることもあるかもしれません。

でもよく考えてみましょう。

本当はやりたくないし実は不満を持っている人をフォローしながら練習や準備を進めていくのと、そういう余計なストレスがない新しいメンバーを募集するのと、どちらがメンバーにとって心が軽くて楽しいでしょう。

イヤイヤやることは実際のところ誰の得にもならないのですよね。

Noと言うべきところで言わず、後からグチを並べるのは無責任な態度と言えるかもしれませんね。

 

やる気のある人と音楽したいなら

あまり練習はしたくないし合奏には都合の良いときだけ来る、そんなのんびりプレーヤーをやる気にさせられたらと思うことは少なくないでしょう。

それが出来るかどうかはともかく、一度考えてみましょう。

果たしてあなたはそれを本当にしたいですか?

もしそれがしたいなら、それは音楽ではなくコーチングなどの活動かもしれません。

ただし相手が望んでいる、という場合に限りますが。

それは自分と同じように真剣に向き合う仲間を探すのとは全然別の作業です。

そして望まない相手にコーチングをしようとしても、何度も言うようにあなたには何かを相手に強要する権利はありません。

さらに相手には強要されても応えない権利があります。

もちろん自分の熱意を周りに伝えて好きなことの良さをわかってもらったり、良い影響を与え会うのは素晴らしいことです。

ですが望まない人にはどんな影響も及ぼせません。

そしてあなたには自分と同じ感覚の仲間を探す権利があるのです。

熱心に活動しているグループや、オーディションで入団にハードルを設けているアマチュア団体もたくさんありますよね。

そういうところには、もしかしたらあなたと同じ熱意を持った人が集まっているかもしれません。

「他にも自分より上手だな」「この人の音楽に憧れるな」、と思う人を誘ってアンサンブルを企画してみるのはどうでしょうか。

熱心な団体のオーディションを受けてみたり、上手な人をお誘いするのは自信がない・・・

そう思いますか?

厳しそうに見える条件を掲げている団体は、あまり音楽に対して真剣でないのんびりプレーヤーに入って来てほしくないからこそ、そういう入口にしています。

のんびりプレーヤーに尻込みさせることが、厳しそうな入口に見せている目的です。

「誰でも歓迎」ではなく「方針に賛同出来る人」をはっきりと求めているということ。

尻込みするとしたら、オーディションにチャレンジしないあなたこそのんびり側なのかもしれませんよ。

その上で、身近で気心の知れた身内である楽団仲間には「もっと熱心に」と圧力をかけるのでしょうか。

あなたは本当に一生懸命演奏にう向き合う音楽仲間と、貴重な人生の時間を共有したいでしょうか。

そのために出来ることは、今目の前にいるけれど自分とはモチベーションの違うのんびりやりたい派の人を方向転換させることしかないのでしょうか。

厳しい言葉かもしれませんが、「それしかない」というのなら、《不本意だとボヤきつつぬるま湯に居続けたい》というのが今のあなたの本当の望みなのかもしれません。

今いる場所はどんな形にしろあなた自身が望んだ場所です。

あなたの本当に居たい場所はどこですか?

 

のんびり派の方へ

周りの迷惑になっていないか心配なときに

アンサンブルや合奏の中で、ふと「自分みたいな下手くそと組むのは周りに迷惑じゃないだろうか・・」と考えてしまうことってありませんか?

謙虚で真面目な方ほど、思い悩んでしまうことも多いかもしれませんね。

そんな時には、自分はどんな人とアンサンブルを一緒にやりたいのかを考えてみましょう。

もちろん楽器演奏が上手な人とできたら良いですよね。

でも、それだけではないでしょう。

意地悪な人やツンケンしてる人とは、たとえ技術的には上手でもアンサンブルはやりにくいはず。

反対に下手でも一緒に向上しようという意欲あふれる人とは楽しく進行できるでしょう。

他にも周りに気遣いができたり、いつもポジティブな人も貴重な時間を一緒に過ごす相手としては好ましいですよね。

誰にとっても人生の時間は命の時間そのものなので、心穏やかにいられるかどうかで一緒にいる人は選ぶことは少なくありません。

それには音楽的な技術だけでなく、人として付き合いやすいかどうかも大切な要素となります。

たとえば「わたしは下手だから・・」といつもネガティブな人が側にいたらどうでしょうか。

もちろん大切な仲間がたまたま悩んでいたら助けたいと思うことはあるでしょう。

でもいくら励ましても変わらないネガティブでいることが当たり前というタイプの人だとしたら、その人のフォローをするために自分の時間を使いたいですか?

ちょっと答えにくいですよね。

技術的にはコンプレックスを抱えていたとしても、いつもニコニコして向上心がある人なら、ちょっと凹んでいるような時には快くフォローしようと思うはず。

もしも自分が周りに迷惑になってるんじゃないだろうか、と不安になったときには思い出してみると良いかもしれませんよ。

 

マイペースはゆっくりという意味ではない

「マイペースでいきましょう」

という言葉を使う時、「ゆっくりのんびり、ピリピリせずにやりましょう」という意味合いのことが多いような気がしませんか?

マイペースとは本来は自分に合った速度で無理なく、という意味ですよね。

わたしはせっかちなので急いでバババと何でも進める方が快適に感じるタイプです。

ゆっくりのんびり物事を進める方がイライラしてロスが増えるので、自分にとって無理がないペースというのは、無駄な休憩や休みなどを挟まずにとにかく限界まで最速で突き進むこと。

忙しい現代社会ではそんな人は実は多いのではないでしょうか。

ところで。

吹奏楽やオーケストラの活動は「真剣に向き合いましょう!」といってメンバーが集まることはあまり多くはないでしょう。

たいていは無理なくマイペースで、などのコンセプトでスタートしますよね。

でも情熱を持て余した人がイメージするマイペースとは、短期間でたくさんの本番をこなし、どんどんレパートリーを増やすということだったりします。

それが良いとか悪いとかではありません。

速く進みたい人がそうでもない人に「もっとがんばってよ!」と無理強いするのは、自分勝手な迷惑行為だとこのシリーズ記事では何度か書いています。

でも逆にゆっくり進みたい人が速く進みたい人を「あの人は勝手だ」という目で見て「音楽は苦しいものじゃない。のんびり楽しくなくちゃ。」などと真剣に向き合いたい人を否定してしまうのもいけません。

それぞれが自分と違うタイプの人も存在するのだということを知って、妥協点を見つけ合うのが尊重し合うと言うこと。

たくさんの人が集まる合奏団体では、そうやって熱量の違う者同士が自己主張しあうだけでなく、お互いの違いを認め合い尊重し合うのも大切ですね。

誰かと一緒に何かする場面では心に留めておきましょう。

 

音楽優先なのがエライ?

無意味な罰を与えても追い出しても上達には繋がらないのに

「やる気がないなら出て行け!」

「できなかったら罰として走ってこい!」

なんていう指導は昔はよくありました。

今ではほとんど見かけないのでちょっと懐かしいくらいですが、不快な思い出として心に残っているという方も少なくないかもしれません。

では逆の発想として、もしもあなたが当時の先生の立場になったとしたら、どんな風に指導するでしょうか。

最初から意欲にあふれた生徒に教えるのは簡単です。

そうでない場合、

・やる気のない人は排除する

・なんとか一緒に楽しめる方法を模索する

という二択になるでしょう。

アマチュア楽団や専門家を目指さない生徒さんの場合は、《ものすごくやる気に満ち溢れている訳ではないけど音楽は好き》という方も多いもの。

そういう方は「やる気がないからダメ」なのでしょうか。

なかなか練習ができない日が続いたとしても、やっぱり音楽をしたいから合奏の現場に出かけるのでしょう。

その上で、その人の生活に音楽よりも優先したい大切なことがあるとしたら、それは責められるようなことなのでしょうか。

演奏をより良くするために努力したいとか、可能な限りの準備をして合奏に臨むというのはプロ奏者なら当たり前の前提条件です。

でも別にそういうコンセプトで集まった訳ではないアマチュアの楽団で、出席率の高い熱心な人がそうでない人を批判して人間関係が悪くなり、せっかく出会ったご縁が壊れてしまうのはもったいないこと。

お互いに批判しあっていては良好なコミュニケーションが必要はずのアンサンブルにも悪い影響が出て、熱心な側の人がやりたい「真剣な音楽」からも離れてしまうでしょう。

もちろん趣味だとしても真剣に音楽を掘り下げたいと思うのは素晴らしいことですが、それを主張する時には少し立ち止まって相手が現状同じ気持ちを持っているのかどうかを考えてみるのも大切かもしれませんね。

想いを共有できる仲間と音楽を楽しめる方が一人でも増えますように。

 

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  • この記事を書いた人

有吉 尚子

1982年栃木県日光市(旧今市市)生まれ。小学校吹奏楽部にてクラリネットに出会い、高校卒業後19才までアマチュアとして活動する。20才のときに在学していた東京家政大学を中退し音大受験を決意。2003年洗足学園音楽大学入学。在学中から演奏活動を開始。 オーケストラや吹奏楽のほか、CDレコーディング、イベント演奏、テレビドラマBGM、ゲームのサウンドトラック収録など活動の幅を広げ2009年に洗足学園音楽大学大学院を修了。受講料全額助成を受けロシア国立モスクワ音楽院マスタークラスを修了。  及川音楽事務所第21回新人オーディション合格の他、コンクール・オーディション等受賞歴多数。 NHK「歌謡コンサート」、TBSテレビドラマ「オレンジデイズ」、ゲーム「La Corda d'Oro(金色のコルダ)」ほか出演・収録多数。 これまでに出演は1000件以上、レパートリーは500曲以上にのぼる。 レッスンや講座は【熱意あるアマチュア奏者に専門知識を学ぶ場を提供したい!】というコンセプトで行っており、「楽典は読んだことがない」「ソルフェージュって言葉を初めて聞いた」というアマチュア奏者でもゼロから楽しく学べ、確かな耳と演奏力を身につけられると好評を博している。 これまでに延べ1000名以上が受講。発行する楽器練習法メルマガ読者は累計5000名以上。 現在オーケストラやアンサンブルまたソロで演奏活動のほか、レッスンや執筆、コンクール審査などの活動も行っている。 「ザ・クラリネット」(アルソ出版)、吹奏楽・管打楽器に関するニュース・情報サイト「Wind Band  Press」などに記事を寄稿。 著書『音大に行かなかった大人管楽器奏者のための楽器練習大全』(あーと出版)を2023年8月に発売。Amazon「クラシック音楽理論」カテゴリーにて三週間連続ベストセラー第一位を獲得した他、「音楽」カテゴリー、「クラシック音楽」カテゴリーでもベストセラー第一位を獲得。 BODYCHANCEおよびATI(Alexander Technique International/国際アレクサンダーテクニーク協会)認定アレクサンダーテクニーク教師。 日本ソルフェージュ研究協議会会員。音楽教室N music salon 主宰。聴く耳育成®︎協会代表理事。管楽器プレーヤーのためのソルフェージュ教育専門家。クラリネット奏者。

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