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正論だけどムカつくアドバイス

「トンチンカンなアドバイスにイライラする。」

「老害扱いされて話をきいてもらえない」

音楽を楽しみたい心は同じはずなのに、どうしてそんな残念なすれ違いが起きてしまうのでしょう。

今回は楽団の近い席で起こりがちなアドバイス問題について考えてみました。

 

アドバイスをされる側の視点

トンチンカンなアドバイスにうんざり

陰口やネット上の誹謗中傷以外に、たとえ善意からしていることでも受け手からは「なんだかなあ・・」と思われてしまうトンチンカンな意見をアドバイスとして伝えてくる人に出会うことってあるかもしれません。

たとえば、フルートを吹いたことのない人が自分の知ってるフルート奏者がかつてやってたことを見聞きして、それをフルート初心者にアドバイスとして伝える場合。

また、同じ楽器の先輩奏者や自分が試して上手くいったことを後輩に伝えたいけれど、適切な伝え方をわかっていないというような場合。

「何か助けになることをしたくてでも何をしたらいいかわからない」そんな場合に一見トンチンカンに感じられるコメントはありがちでしょう。

そんな純粋な「貢献したい」という気持ちはありがたいと思えるかもしれません。

他にも

・単純に自分の話を聞いてほしい

・何か要求があってそれを通したい

というパターンはどうでしょうか。

ちょっと苛立ってしまったり釈然としない気持ちになったりするでしょうか。

そんな悪意はないけれど建設的とはいかない意見に接したら、まずはイライラして怒るよりも「この人がこれを言う理由は何なのだろう?」と考えてみるのもひとつの選択肢です。

話を聞いてほしい、要求したいことがある、単純に相手の向上のために、など人が行動を起こすには何かしら誰かの利益になる理由があるはず。

悪意からであれば自分を守るということも大切ではありますが、そうでない場合は簡単にシャットアウトしてしまわずコミュニケーションを取ってみると、本当に伝えたかったことが見えてくることもあるものです。

もしかしたらただトンチンカンだからと撥ね付けてしまうのは、少しもったいないケースもあるかもしれませんね。

 

「正論だけどムカつく」アドバイス

他人に何か指摘されたとき、「言ってることは間違ってない正論なのになんだか受け入れたくない」と思ったことはあるでしょうか。

きっと社会人なら少なからずそういう体験はしたことはあるはず。

そんなとき、ただ腹を立てたり嫌悪感を抱くだけでなく、その人の何が受け入れたくない要素なのか考えてみてはどうでしょうか。

・言い方が命令口調だった

・共感的に言って欲しかった

・昔こっぴどい振られ方をした

・その人の口が臭かった

・顔がキライ

などなどそれぞれのケースで理由はいろいろあると思います。

では逆に、厳しいことを伝えられてるのに「この人の言うことなら信用して受け入れよう」と思うのはどんなときでしょう。

例えば努力を認めてくれたり、気持ちに共感してくれたり、頭から全部否定されたとは感じさせない配慮があることは、受け入れたくなる要素の一つではないでしょうか。

それでは今度は我が身を振り返ってみましょう。

自分が何かアドバイスをする機会に、どんな風に相手に伝えているでしょうか。

「これがダメだよ」などと相手のことを否定するだけの表現をしてしまうことはありませんか?

ダメであろうとする意図でわざわざ行動する人はいませんから、どんな行動にも何かしら肯定的な意図があるはずです。

何を目指していてどんな肯定的な意図があるかに目を向けずに、ただダメ出しをされたら「正論だけど何となくムカつくから従わない」と思ってしまうのは自然なことです。

顔やらそもそも持ってるにおいや昔振られたことなどはどうにもならないかもしれません。

ですが、ほんの少しの言葉の選び方に配慮のあるかどうかで、良いことを伝えてるはずなのに拒否されてしまってはお互いにとって機会と時間がもったいないですよね。

コミュニケーションに悩んでいるのなら、気にしてみるのも良いかもしれませんよ!

 

アドバイスをする側の視点

もっと練習してほしいのに

楽団仲間に対して「もっと練習して欲しい」「もっと真剣にやってほしい」と願っているのに応えてもらえない。

それは真剣に音楽のことを考えていればこそのジレンマでしょう。

アマチュア楽団なら状況もモチベーションも色々な人が集まるので温度差を感じることも少なくないかもしれません。

そんなとき、直球で「もっと頑張ろうよ」と言ってみても伝わらなくてモヤモヤすることがほとんどでしょう。

あなたは良い演奏をしたいしお客さんに楽しんで欲しいという気持ちでいたとしても、相手の大切にしている価値観はそこではないかもしれません。

練習後の飲み会が好きで参加していたり、呼吸機能維持や体力作りのためだったり、ちょっとした仕事以外の居場所にしてるだけかもしれないし、真剣な婚活のために参加している可能性だってあるでしょう。

オーディションで選抜を行っていたり、入団に際して何かしらのコンセプトに同意するシステムでない限り、色々な人が集うのは当然のことです。

そんな場合にまず知っておきたいことがあります。

それは

「良い演奏をしたい」「お客さんに良いものを届けたい」という気持ちを抱くのは、常識や当然感じるべきことではなく現在のあなたの個人的な欲求だということ。

音楽に真剣に向き合いたいと思うのは素晴らしいことです。

そういう人と付き合いたいとわたしも常々思っています。

とはいえ、それを価値観の違う他人に押し付けたら、建設的な関係を築いていくのは難しくなるのではないでしょうか。

望んでもいないのに突然他人から「あなたはこれができていないから練習するべきですよ」などと言われたって、普通はやりたくなりません。

もし万が一それで練習してきてくれたとしたら、あなたのことがとても好きであなたの価値観を尊重したいと思ってくれたのか、楽しみに来てるのに毎度毎度面倒なことを言われるのがイヤでそれを回避するためか、そんなところです。

「この曲をこのメンバーでこんな風にできたら楽しいだろうな」

「そのために自分のパートの完成度をもう少し上げたい」

そんな風にあなたの音楽に向かう気持ちと同じ想いを抱いて練習してきたとは限らない、ということを知っておいたほうが良いでしょう。

人間は自分でやりたいと思ったことしかしたくないものです。

自分の価値観を押し付けずにお互い理解し合って譲歩し合う、そんな関係はアンサンブルをするときにも影響します。

もしも真剣に音楽に向き合いたいなら、

1、共感してくれる人を探すか、

2、共感してもらえる可能性のある何かを提示して反応してくれるのを期待するか、

3、譲歩して付き合ってもらうか、

あたりが現実的でしょうか。

他にも「音楽第一」のコンセプトを掲げる楽団に入ったり、精鋭が集まる団体のオーディションに挑戦したり、プロ奏者と一緒に演奏する方法を探したり、という選択肢もあるかもしれません。

そして「一緒にがんばろう!」という誘いに相手が乗ってこなかったとしても、それはあなたが自分の主張を通したいと思うのと対等に大切にされるべき権利です。

「どうしても相手に譲ってもらって自分の主張を通したい!」と願っても、それが叶わなくて苦しくなるのは自分自身。

そう考えてみると恋愛なども一緒かもしれませんね。

ストレスが溜まったりイライラするのは相手のせいではありません。

期待を持ちすぎたりなど自分の欲求との付き合い方が問題の原因かもしれない、そんなことを一度立ち止まってゆっくり考えてみるのもときには役に立つものですよ。

 

ただの口出しオジサンになっていませんか?

合奏中やパート練習をしていて何かアドバイスをするときに、なかなか相手に言ってることが伝わらない。

そんなときに振り返ってみたいのはアドバイスが求められている場面なのかどうかです。

もちろん相談されたときや、練習を仕切る必要がある時は求められている場面でしょう。

そうではなくてふとした瞬間に「これは伝えた方がいいのかな」と思った場合、善意でアドバイスしたつもりがもしかしたら「余計なお世話!」と思われてしまってることもあるかもしれません。

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相手がアドバイスを求めているかどうかに関わらず、一方的に自分の言いたいことを伝えるのはアドバイスではありません。

ただの鬱憤晴らしであり、「クソバイス」と言われてしまう類の発言です。

逆の立場だったらどうでしょう。

自分の求めているタイミングで提供される建設的なアドバイスはありがたいですが、気まぐれに鬱憤晴らしの苦情を言われただけの時はイラっとしますよね。

そんな時、ただ苦情を言ってくる人の発言を善意として解釈することはできるでしょうか。

よほど仲の良い相手や信頼関係がある場合はできるでしょう。

でも、自分にとってどうでもいい人が相手の場合でも、いちいちその面倒な解釈のし直しをするでしょうか。

たいていの人は「迷惑だな」「めんどくさいから関わらないようにしよう」そう思うだけです。

求められていないアドバイスをしたくなったら、自分の言いたい欲求を満たす為でなくそれを伝えることで相手にどんな利益があるのかを考えてみましょう。

そして今がそのアドバイスを提供するのに最適なタイミングであるかどうかを考慮するのも大切です。

相手の役に立つように、と考えて伝えるなら言われた方も「口出しされた」とは思わずに素直に受け入れられたりします。

なんだかコミュニケーションがうまく行ってないなという時、どうぞ参考にしてみてくださいね!

 

「指摘」をしたくなったら

相手の気持ちを考慮せず自分の主張だけを押し付けてしまっては、コミュニケーションを上手くいかせるのは難しいもの。

それでは。

お互いに関係するフレーズを吹いていて、自分としてはもっとやりたい表現などがあるけれど、違う吹き方をしている相手にはどう伝えたらお互いに気持ちよく演奏できるのでしょうか。

「こうやった方がいいですよ」というアドバイスに見せかけた自分の価値観の押し付け、

「あの有名プレーヤーはこうしてましたよ」という他人を引き合いに出した要求のほのめかし、

もしもあなたが言葉を受け取る立場ならどう感じるでしょうか?

『うるさいなあ、そんなの知るか!』

そう思われても不思議ではないでしょう。

そんな要求の代わりに「こうやってみるのはどう思いますか?」とか「こんな風にやりたいんだけど付き合ってくれない?」という《お誘い》の言葉を選んでみるのはどうでしょう。

たとえ強く要求することでその場では自分の望みを叶えられたとしても、発言力の強い相手に仕方なく合わせるという状況が続けば反感を感じるのは自然です。

仕方なくあなたの欲求を満たすことに付き合ってくれた人も、そのうち「意に染まないことを受け入れ続けるくらいなら、いっそ辞めてしまおうか」と思い始めるのではないでしょうか。

せっかく出会って一緒に長い時間を共有する相手なら、お互いに快適に過ごしたいものですよね。

何事もそうですが、周りがどんなに煽っても本人がやりたいと感じないことはさせることはできません。

それでは、「そもそも練習はしたくない」「その場で音を出せれば満足」というタイプなら、どんな働きかけが可能でしょうか。

たとえば、練習したくない人が負担にならずに楽しめる選曲で休憩中に「一緒にやってみよう」と遊びで音出しをして楽しさを味わってもらえたら、アンサンブルの面白さに気づいて息抜きとしてではなく積極的に演奏することにも興味を持ってくれるかもしれません。

これはほんの一例ですが、《演奏するのって楽しい!》を体現している人が身近にいたら、「そんなに面白いなら自分もやってみようかな?」と思うかもしれませんよね。

要求するのではなくお誘いすること、どんなコミュニケーションでも大切な視点かもしれません。

そしてお誘いしたことに対して良い反応が欲しかったら、自分が言われた時にも受け入れやすい言葉を探してみるのも大切ですよ。

 

怒るより伝わるコミュニケーション

レッスンや合奏の場面だけでなく日常のコミュニケーションすべてに共通することですが、怒ってる人は共感されないという言葉を目にして「そうそう!」と思ったのでした。

声を荒げることでなくても「なんでこれができないの?」「話にならないよね」そんな風に相手を否定する言葉は、心を閉ざさせてしまって伝えたいことが受け入れられるどころか反対に拒否されてしまったりするでしょう。

たとえそれが相手のことを思った“刺激を与えて発破をかける”という意図だったとしても、どう受け取るかは相手次第なのでただの暴言と思われることだってあるでしょう。

反対に、共感的な話し方をする人は受け入れられやすかったり、安全に間違えることが出来る場所では学びの効率が良くなるということも言われています。

それは相手がどんなことをしても肯定するということではなく、誰でもそのときにその人なりの最善の選択だと思える何かしらの理由があって言動を選んでいるという視点があるかどうかなのではないでしょうか。

相手が自分とは違ったものを大切にしていて優先したいと思っていても、怒ったり苦情を言うことでそれを変えさせることはできません。

イライラした時や怒りたくなったときには、自分が何を相手に期待していてその期待がどう満たされないからそんな気分になっているのか振り返ってみると、建設的な伝え方を選択できるようになるかもしれませんね。

反対にイライラと怒ってる人に行き合ってしまったときも、その人は何を期待しているんだろうということを考えてみると、単純な拒否の気持ちだけでなく何かしらコミュニケーションを上手く行かせる方法が見つかるかもしれません。

つい感情的な反応をしそうになるようなときに思い出せると良いですね。

 

心を傷つけずにアドバイスする

合奏中やレッスン中に何か新しいアドバイスや提案をされたときについ自分を否定されたような気分になって傷付いてしまう、ということはありますか?

アドバイスしただけなのに相手が泣き出してしまったり、という場面は小・中学生にレッスンする機会のある方は経験しているかもしれませんね。

多感な時期の生徒さんに割と多い反応かもしれません。

講師としてはより良くなる可能性の高いオススメなやり方があるからそれを伝えただけなのに、伝え方ひとつで人格否定のように受け取られてしまうのはちょっと悲しいことです。

これって、受け取り側の心の持ちようだけが問題なのでしょうか。

伝える側として出来る工夫にはどんなことがあるでしょうか。

例えば。

出来るだけ肯定的な表現を使うように心掛けることは簡単にできるでしょう。

「〇〇さんの音が汚い」を「この場面にはしっとりした音色が合うので少し音色を変えてみよう」と言い換えたら印象は大分違うでしょう。

「音程がずれている」を「リーダーの音程に寄せてごらん」と言い換えてみると、具体的にどうして欲しいのかが伝わりやすくなるでしょう。

問題点を指摘され続けたら、自分は出来ない人間なのだと思ってしまっても不思議はありません。

逆に「こんなことが出来るかもしれない!」と思えたら否定されたという考えより、「それをどうやったら実現できるか試行錯誤したい」という思考になるのではないでしょうか。

人間は自己肯定感が下がれば練習や演奏などパフォーマンスの質も下がるのは当たり前です。

レッスンを行う場合、講師のほんの些細な一言が生徒さんのモチベーションに影響を及ぼしてしまうということは覚えておきたいものですね。

 

まとめ

世の中には色々なコミュニケーションがありますが、悩みが生まれるのは何かしら関わろうという気持ちがあるからでしょう。

どうでも良い相手に時間を使うほど私たちは暇ではありません。

どうでも良く無い関係だからこそ、どう関わるかが問題になってくるもの。

自分が大切に思っている音楽の場で、せっかく関わり続けると言う選択をするのであれば、お互いに気持ちよく過ごせて目指す場所に最短で近づけるコミュニケーションを心がけていきたいものですね。

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  • この記事を書いた人

有吉 尚子

1982年栃木県日光市(旧今市市)生まれ。小学校吹奏楽部にてクラリネットに出会い、高校卒業後19才までアマチュアとして活動する。20才のときに在学していた東京家政大学を中退し音大受験を決意。2003年洗足学園音楽大学入学。在学中から演奏活動を開始。 オーケストラや吹奏楽のほか、CDレコーディング、イベント演奏、テレビドラマBGM、ゲームのサウンドトラック収録など活動の幅を広げ2009年に洗足学園音楽大学大学院を修了。受講料全額助成を受けロシア国立モスクワ音楽院マスタークラスを修了。  及川音楽事務所第21回新人オーディション合格の他、コンクール・オーディション等受賞歴多数。 NHK「歌謡コンサート」、TBSテレビドラマ「オレンジデイズ」、ゲーム「La Corda d'Oro(金色のコルダ)」ほか出演・収録多数。 これまでに出演は1000件以上、レパートリーは500曲以上にのぼる。 レッスンや講座は【熱意あるアマチュア奏者に専門知識を学ぶ場を提供したい!】というコンセプトで行っており、「楽典は読んだことがない」「ソルフェージュって言葉を初めて聞いた」というアマチュア奏者でもゼロから楽しく学べ、確かな耳と演奏力を身につけられると好評を博している。 これまでに延べ1000名以上が受講。発行する楽器練習法メルマガ読者は累計5000名以上。 現在オーケストラやアンサンブルまたソロで演奏活動のほか、レッスンや執筆、コンクール審査などの活動も行っている。 「ザ・クラリネット」(アルソ出版)、吹奏楽・管打楽器に関するニュース・情報サイト「Wind Band  Press」などに記事を寄稿。 著書『音大に行かなかった大人管楽器奏者のための楽器練習大全』(あーと出版)を2023年8月に発売。Amazon「クラシック音楽理論」カテゴリーにて三週間連続ベストセラー第一位を獲得。 BODYCHANCE認定アレクサンダーテクニーク教師。 日本ソルフェージュ研究協議会会員。音楽教室N music salon 主宰。管楽器プレーヤーのためのソルフェージュ教育専門家。クラリネット奏者。

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