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動いた方が良いのかどうか問題

演奏中はフレーズに合わせて揺れたりリズムに乗って動いたりなど、楽器操作以外の動きもしています。

今回は無意識になりがちな演奏中の身体の動きについて考えてみました。

動いた方が良いのかどうか問題

音を良くしたり怪我なく無理なく演奏するためには身体は動けるようになっている方がいい場合がほとんどです。

また、直立不動で演奏するよりもノった身体の動きを伴った方が音楽的なパフォーマンスに感じられると言われることもあります。

かといって自分がリーダーではない場面で大きな動きをしてはジャマになってしまうこともあるでしょう。

動いた方がいいとか反対に動かない方がいいとか、迷ってしまうかもしれませんね。

この合図にためにするような目に見えやすい大きな動きと、音質を良くしたり楽器を操作するために無理のない動き、実は種類が違っていて、見た目とは逆の効果を引き起こすということもあるのです。

 

遠くから見た演奏家のプレイを真似る危険

詳しく解説してみましょう。

楽器を吹くときにたくさん動いてるように見える人とそうでもない人がいますが、それって演奏にはどんな影響があるのでしょうか。

実際のところ、大きな身振りはアインザッツを合わせるのに必要だったりしますし、必ずしも音を出す以外の動きはムダというわけではありません。

しかし、大きな動きをしている人は本当に全身が柔軟に演奏のために使えているかというと、そうとも限らないのです。

というのは、大きな身振りをするために小さな関節がグラグラして全体が不安定にならないよう細部を固めているということが結構ありがちなパターンだから。

細部を筋肉が固めていれば振動を止めるので音は響きにくくなります。

勢いを持って大きな身振りで演奏してるのに意外と鳴らない、というのはこのパターンですね。

反対にほとんど動かないように見える場合、大きな動きとして表れるほどではない細かい部分でうまくバランスを取っているので遠目には微動だにしないように見えるけれど実際は常に微細な動きが起きているというパターンもあります。

これは振動を止めず活かせるので大抵の場合、よく鳴ります。

素晴らしいプレイヤーがホールの後ろの席からみると微動だにしないように見えるからといってそれを真似て身体を固めてしまうことは、結果的に響かない硬い音を作り出してしまうということを知っていたいもの。

反対に「キレのある動きでカッコいい」という場合も、そっくりそれを見た目だけで真似てしまうと身体のこわばりと奏法の不自由さを招くかもしれません。

もちろん微動だにしないように見えて実際に身体が固まってる人もいるし、大きな身振りでいながら細部も繊細に動きを持っている人もいます。

音を豊かに鳴らすという目的で大切なのは遠くから見たときの印象より実際に細部に繊細で細かい動きが起きてるかどうか。

音と身体の動きの関係、ぜひ気にしてみてくださいね。

 

大きい音≠大きい身振り

大きい音と大きい身振り、見た目の動作と音量って果たして関係があるのでしょうか?

よく見かける光景ですが、すでにかなり吹き込んで演奏している奏者に「もっと大きく!」という指示があったとき、吹込みに実際必要な動きよりも「吹き込んでいるように見える動作」をしはじめることがあります。

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大きい音は大きい身振りで出せるものでしょうか。

また逆に小さい音にしようと思ったとき、身体を縮めたら音は小さくなるのでしょうか?

縮こまったら身体のあちこちが響かなくて結果小さい音になるということはありそうです。

でも響かない小さい音は、演奏ではほとんど使わないでしょう。

そして大きい音の場合は大きな動きをしても別段大きくはなりません。

力んで音を出そうとすればする程鳴らなくなるという無限ループが待っています。

同じことで大きな身振りでアクセントをつけているのに実際出ている音はそんなにアクセントなってない場合は、アクセントに必要なことが有効に行えていない可能性があります。

他にもキレのある音形はキレのある動きとも違いますし、スタッカートで不要な動きをするために身体がぶれて必要なことができずうまくスタッカートにならないというケースも珍しくありません。

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では大きな音を出すときやアクセントをつけるときに必要な動作にはどういうものがあるのでしょうか。

もちろん吹きこむための強力なサポートはお腹周りの筋肉です。

腕や肩や指の力は、残念ながら音を大きくしたいときには関係ありません。

それから身体が出た音に共振するためには、無駄に力まず緩んでいることも必要です。

音というのは物理的な振動ですから、身体が必要以上に力んでいれば振動を止めてしまいます。

「アクセント!」と思って身体を固めたり、大きな動きをしたりするのは、逆効果になってしまうのです。

やりたいことをするために本当に役に立つことは何なのか、正しい身体の知識を持っておくことは演奏やレッスン活動を助けてくれるものです。

 

動きすぎと言われる場合

次は先生や仲間から「動きすぎ」と言われてしまうけど加減がよくわからない、そんなケースについて考えてみましょう。

複数の奏者が「せーの!」で同時に音を出すときに、コンサートマスターやパートのリーダーはアインザッツを出しますよね。

誰かがきちんとリードしているとアンサンブルは合わせやすいもの。

ではその合図とは、どんな要素で成り立っているのでしょうか。

大体の場合、「せーの」というタイミングで息を吸っていたり楽器や身体を動かしていたりするでしょう。

やはり音を出すための予備動作が、合図として使われていることが多いはず。

それでは、このときにリーダーでない人はどうしたら良いのでしょうか。

一緒に動いたほうが良いのでしょうか。

それとも動かないで待っていた方がいいのでしょうか。

これといった結論のあることではありませんが、普通に考えて合図になるほど予備動作をデフォルメしなくても音は出せるでしょう。

リーダーの出す合図に合わせて発音できれば良いのですから、リーダー以上に大きな動作で反応する必要はありません。

呼吸をしていたり音を出すための準備動作で、反応していることは充分伝わりますからね。

逆に何人かでアンサンブルをしている場面では、大きな動作で反応する人がいるとアインザッツを出してる人が誰なのか混乱することもあります。

動いているものは人の注意を引きやすいですから。

「自然に身体が動いてしまう」という表現をすることもありますが、本当に何の意図も無しに勝手に動くのであれば、楽器演奏以前に痙攣や痛みの反射、など何かの症状である可能性が出てきます。

つまり演奏のときには、演奏のために意図したことを自分で行っている状態のはず。

「動きすぎ」と言われてしまう方は、場面ごとに合図や発音にどれくらいの動きが必要なのか、その時々で自分の役割は何なのかを改めて考えてみると良いのかもしれませんね。

 

ただ身体を動かしても音楽にはならない

アレクサンダーテクニークに興味を持ってる方がレッスンの時によく気にするのは、やはり身体の仕組みや動き方に関すること。

もちろん演奏するためには身体のことは切り離せないので大切なことですが、動きに注目するときにはもうひとつ大切な事があります。

それは身体を動かす脳からの指令、つまり自分の思考や意図。

たとえば

・指の関節を曲げる

・楽器のキーを押す

・ソナタを演奏する

という同じ動きに対する3つの違った階層の目的があるとします。

それぞれの意図を持って実際に音を出してみるとよくわかりますが、目的の違いによって響きや音質が全く変わります。

これは気分とか不思議なチカラとかスピリチュアルなことではなく、単純な物理のお話。

「全身を演奏のために適切に協調させて使う」と思った時と、ただ単に「指を動かそう」 と思った時では動作による影響の範囲が違います。

どんな風に指を動かすかということは、指自体のコントロールだけでなく全身の演奏に使える部分をどんな風に扱うかということにも関わります。

身体をどうコントロールするかは、どう振動させておくかにつながっています。

振動の具合によって含まれる倍音が変わるので、結果として音質が変わって来ます。

音質は楽曲の中での役割や場面によって変化させたいもの。

その変化の集積がソナタの演奏です。

でも「指を上手に動かそう」としか思っていなければ、振動や音質には何も演奏のための意図による影響が出ません。

ただ指を動かした結果として、意思も表情もないぼんやりした音が側鳴りで出るだけ。

動作だけでなく、どんな意図を持つのかということが大切なのはそういう理由です。

演奏を聴きに来てくれるお客さんは「指を上手に曲げる様子」や「楽器のキーを良いタイミングで押している様子」を観たいのではなく「ソナタをどんな風に演奏するのか」の方に興味があるでしょう。

ソナタについての意図が何もなく、上手に身体や楽器の操作をしている奏者なんて何も面白くないし、ワクワクもしないし、刺激をもらうこともありません。

ただ指を曲げることを目的とした時の音と、ソナタを演奏するために全身を協調させながら楽器操作の一部として指を動かすときの音、どっちがどんな音になるか試してみると面白いですよ。

 

おわりに:「動かす」と「動ける」は違う

「この関節が自由に動ける方が音が良くなる」など身体のコントロールについて新しく知ったとき、試しにそこを動かしてみたくなるのは当然でしょう。

でも。

自由に振動したり、奏法コントロールのために必要なときに固まっていないで【動ける】ようにしておくことは、意図的に【動かす】のとは違います。

どういうことでしょうか。

わたしたちは何か意図を持って身体を動かすときには当然筋力を使います。

それは筋力を使っていないために外部からの力によって受動的に動かされるのとは違った、能動的な筋肉の働きです。

「自由に動ける」というのは、不必要な力みが起きていないから必要なときに身体の動きがストレスなく行えるという状態です。

動ける≠動かす

目に見える状態としては、【動ける】は「動く」と「動かない」の両方があり得ます。

【動かす】は「動く」しかないですよね。

アレクサンダーテクニークでは「undo」と言って、意図的には何もしないことで身体のシステムがやりたいことに対して上手く作用することを信頼し、自分で何かしようと余計なことをしないという考え方があります。

これは何もしないということでは無く、バランス調整などの自然に起きる動きが起きるにまかせるということ。

つまり色々な筋肉がさまざまな働きをしている状態です。

自転車に乗るときに転ばないようにハンドル操作をするため、いちいち「右に何度!次は左に何度!」と思いながら動かしてはいないでしょう。

身体が勝手に行う動きというのはそういうものです。

アレクサンダーテクニークを脱力メソッドだと思っている方がいますが、これは適切な力を適切に使うメソッドです。

そもそも演奏には筋力は必要ですから、全身がダルダルに緩んでいればいいというものでもありません。

やはり何かはする必要はある、ということ。

初心者の思い込みとしてありがちな「上達するには脱力しなければ」という勘違いによって、魂が抜けたようなヘロヘロの演奏に行き着くケースはとても多いもの。

演奏をより良くするために何を【する】のかを明確にすると、不要なことや不適切な動きから解放されて楽になることも多いですよ。

 

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  • この記事を書いた人

有吉 尚子

1982年栃木県日光市(旧今市市)生まれ。小学校吹奏楽部にてクラリネットに出会い、高校卒業後19才までアマチュアとして活動する。20才のときに在学していた東京家政大学を中退し音大受験を決意。2003年洗足学園音楽大学入学。在学中から演奏活動を開始。 オーケストラや吹奏楽のほか、CDレコーディング、イベント演奏、テレビドラマBGM、ゲームのサウンドトラック収録など活動の幅を広げ2009年に洗足学園音楽大学大学院を修了。受講料全額助成を受けロシア国立モスクワ音楽院マスタークラスを修了。  及川音楽事務所第21回新人オーディション合格の他、コンクール・オーディション等受賞歴多数。 NHK「歌謡コンサート」、TBSテレビドラマ「オレンジデイズ」、ゲーム「La Corda d'Oro(金色のコルダ)」ほか出演・収録多数。 これまでに出演は1000件以上、レパートリーは500曲以上にのぼる。 レッスンや講座は【熱意あるアマチュア奏者に専門知識を学ぶ場を提供したい!】というコンセプトで行っており、「楽典は読んだことがない」「ソルフェージュって言葉を初めて聞いた」というアマチュア奏者でもゼロから楽しく学べ、確かな耳と演奏力を身につけられると好評を博している。 これまでに延べ1000名以上が受講。発行する楽器練習法メルマガ読者は累計5000名以上。 現在オーケストラやアンサンブルまたソロで演奏活動のほか、レッスンや執筆、コンクール審査などの活動も行っている。 「ザ・クラリネット」(アルソ出版)、吹奏楽・管打楽器に関するニュース・情報サイト「Wind Band  Press」などに記事を寄稿。 著書『音大に行かなかった大人管楽器奏者のための楽器練習大全』(あーと出版)を2023年8月に発売。Amazon「クラシック音楽理論」カテゴリーにて三週間連続ベストセラー第一位を獲得。 BODYCHANCE認定アレクサンダーテクニーク教師。 日本ソルフェージュ研究協議会会員。音楽教室N music salon 主宰。管楽器プレーヤーのためのソルフェージュ教育専門家。クラリネット奏者。

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