あなたが「自分の個性」だと思っている吹き方は、実は「それしか知らないだけ」ではありませんか?
楽譜の背景にある文脈を読み取る作業は、自由な表現を封じるものではなく、表現の選択肢を100倍に増やすことです。
「型があるから型破りになれる。型がなければ、それはただの形無し」。
アナリーゼという武器を手に入れて、無意識のクセに頼らない、本当のオリジナリティを追求してみませんか。
もくじ

ここはこう演奏したいと言えますか?
練習していて気乗りがするときと、あまり気乗りしないときで演奏の質が全く変わってしまう。
そんなことはないでしょうか。
わたしは学生のときはよくそういうことがあって「気分によって演奏にムラがありすぎる」と先生に呆れられた覚えがあります。
なぜそんなことが起きたかというと、どこがどんな風に盛り上がるかまた落ち着くかなどの理論面を全くわかっておらず、その時その場の気分任せで歌い回していたから。
楽譜から読み取れるはずの「ここはこんな風に」という情報を全く受け取っていなかったのです。
たまたまそのときの気分が作品の求める表情や表現と近かったら良い演奏が出来て、そうじゃなかったらダメになる、そんなのはお風呂で歌う気分次第の鼻歌みたいなもので練習でも演奏でもありません。

自分で思い返してしょうもない学生だったなと感じます。
「こんな風に吹いたら作品がどんな見え方になるかな?」とか「今日は昨日とは違う解釈が出てきたから試してみよう」というのは、作品に向き合った試行錯誤だと言えるでしょう。
そういう風に楽譜からの情報を受け取るためには、どこが落ち着いてどこが盛り上がるかなどの理論を知ってることが絶対に必要です。
自分の気分しか裏付けのない鼻歌みたいな歌いまわしを、自信を持ってステージで披露するなんて難しいのは当たり前。
師匠はレッスンの度に「ここはそうやって歌いたいの?」と何度何度も尋ねてくださっていました。
「ここはこうやりたいとはっきり言えるくらい楽譜をきちんと読んでいるのか」という意味だったのかな、と今になって思い出します。
これを読んでいるあなたは自信を持って「ここはこうやりたい」と言える演奏をしていますか?
作品の良さに気付くために
ワケのわからない曲を吹くとき
現代曲や好きじゃない曲を演奏する時、吹いていても「よくわからない」と感じることはありませんか?
自分で意味がわかっていない曲を演奏するなんて憂鬱でしょうが、それを聴かされた人は演奏者よりもなおさら「わけがわからない」と感じるでしょう。
やはりどんな盛り上がり方をしているとか、何が特徴で面白いのかなど、演奏者が魅力に感じている部分を紹介するような演奏は聴いていても面白いもの。
本だって映画だって観光地だって同じでしょう。
オススメしている人が「山があってそれを登ると遠くまで見晴らしが良くて風が気持ちいいし、滝もあって水しぶきがかかるくらい迫力があるよ」など魅力に感じてることを具体的に教えてくれると「良さそうだから行ってみようかな」という気持ちになりますよね。

でも「山があって滝があるよ」と淡々と言われても「だから何なの」としか感じないのではないでしょうか。
音楽作品を演奏する場合も一緒でしょう。
「音符がこう並んでる。強弱はこう書いてある」という事実だけを提示されても「だから何?」でしかありません。
現実的には好きな作品ばかりでなく、課題曲だから仕方がなかったり、多数決で不本意な曲になってしまうこともあるかもしれません。
それでもせっかく音にするのなら、曲の良さを見つけて紹介する演奏をしたいものですね。
どう思って演奏してるかは伝わる
詳細は忘れてしまいましたが、以前ピアニストの中村紘子さんの本か何かの記事かで、とても納得させられることをおっしゃっていたのを目にしたことがあります。
言い回しなどは記憶が曖昧なので正確ではありませんが、「最近の新しい曲は頭脳的に数学的に作られたものが多いけれど、それらが一回きりの上演になってしまうのは演奏家に快感を与えないからである」というような内容でした。
少し前の近現代作品についての言及のようで色々な捉え方があるでしょうが、わたしはこれは作品がどうこうという意味ではなく「演奏者がわけがわからないし面白くないと思っているのに観客が受け入れてくれる訳がない」ということとして受け取りました。
奏者が良さを理解せずに演奏するからお客さんウケもイマイチ。
だからもう二度と取り上げられない、ということかと。

演奏する人が作品の魅力をわかってないのに、それが聴く人に伝わるはずがないですよね。
そして作品の意味がわかって良さを紹介するためには、楽譜から情報を受け取るスキルが必要になります。
「何にも努力はしません、でも感動させてください。」
そんなのはおかしな話です。
それは映画だって漫画だって同じで、作品の魅力は受け取る準備のある人にしか受け取ることはできないということではないでしょうか。
現代の作品も着眼点がわかったらとても面白いのに、どこに注目したら良いか知らないだけで「意味がわからないからキライ」と思ってしまうのはもったいない。
わたしは自分主催のイベントではない依頼コンサートでも、できるだけ近現代の作品を1曲は取り入れるようにしています。
シューマンやブラームスなどロマン派の作品や童謡や季節の歌などのわかりやすい曲がある中で、「あの現代曲が一番好きになったよ!」という感想を頂くことも実は結構あります。
そういうときはやっぱりすごく嬉しいもの。
演奏者が「楽しい!素敵でしょ!」と思って演奏した場合、ちゃんと伝わります。
触れたことのないジャンルでも複雑そうな曲でも、食わず嫌いは本当にもったいないですね。
理論と個性は両立しない?
個性的と奇をてらうの違い
「楽譜の通りに演奏したら、自分の個性やオリジナリティが出せない」
そんな意見を耳にすることがたまにあります。
アドリブが必要なジャンルでは、楽譜はリードシートと呼ばれる曲の大枠だけを示したものなので、そのままやっても確かに面白くないかもしれません。
それにバロック時代や古典の作品は、即興的に装飾を入れたりカデンツァを自分で作ったりすることが求められていて、その余地を残した楽譜の書き方をされてることもあります。
反対にきちんと書き譜になっていてアドリブで音を選ぶ必要のない曲は、楽譜の細部に至るまで作曲家が伝えたかったことですから、勝手に音を変えたりするのは作品への冒涜になってしまうでしょう。
ではそんな中でも滲み出す奏者によっての違いや個性って、どこから来るのでしょうか。

和声や旋律によって示されている盛り上がりや落ち着きやその他色々なグラデーションの色合いなどは、解釈によってそんなに大きく変わるものではありません。
また、con fuoco(火のように激しく)と作曲家が書いたのを「オレの解釈はこうだ!」なんてmorendo(死に絶えるように)にするというようなものは、解釈の個性ではなく作品の改変です。
それでも例えばどんな落ち着き方なのか盛り上がり方なのか、変化させる度合いはどのくらいか、どの声部を際立たせるか、そんなことを考えると同じ楽譜を同じように読んでいても表現は無限に違って来るもの。
わざわざリズムを崩して書いてある音よりも長く伸ばしたり、テンポをとんでもなく速くしたり、なんていう奇をてらうことはしなくても充分違いは出てきます。
「自分の個性を出そう!」
「わたしはどの曲もこう吹くのがトレードマークなんだ!」
そんな風に考えなくても、人それぞれ考え方や話し方が違うのと同じように、解釈というのは自然と出てくるもの。
それを意図的に作品を歪ませて奇をてらうようなことをしてしまうと、
「この人の演奏はなんだか変だな」
「気持ち悪い歌い方」
という印象につながるのではないでしょうか。
作品を通して自己主張がしたいのか、それとも作品の良さや魅力を聴く人に伝えたいのか、個性について考えるときには心に留めておきたいものですね。
理論を知るとそれに縛られる?
「理論を知るとつまらない演奏になるから、オレはあえて知識は無いままでいるんだ!」
そんな方はこの記事を読んではいないでしょう。
和音の性質や旋律・リズムを分析するための知識は、表情や解釈のバリエーションを増やすため役に立ちます。
自分のセンスだけで演奏したらどんなことになるのか、試しに日本の歌や童謡など知っている短い曲をいくつか、自分の気分や何となくの感覚で抑揚やルバートをかけて吹いてみましょう。
たとえば
・赤とんぼ
・朧月夜
・ふるさと
など、短くてシンプルな作品がおすすめです。

調は何でもいいので、吹きやすい調で吹いてみましょう。
スマホのボイスメモなどで録音しつつ吹いてみるとわかりやすいですよ。
まずは1曲目、何となくで抑揚をつけて吹いてみましょう。
その抑揚は気に入りましたか?
気に入っても気に入らなくても次の曲に進みます。
次も同じように何となくで抑揚をつけてみましょう。
今度の抑揚は気に入りましたか?
これも気に入っても入らなくても次に進んでもう一曲やってみます。
3つやってみた短いフレーズ、それぞれ違う抑揚になりましたか?
何となくでつけていけば、どれも似たり寄ったりな抑揚になってはいないでしょうか。
自分の外からの情報(楽譜やアンサンブル仲間)なしで完全に自分の"センス"だけに頼ると、そんなに豊富にたくさんのアイデアなんて出てこないものです。(天才は除く)
それに比べ、楽譜からの情報を受け取ることができたら「ここはこんな風に」という盛り上がりや落ち着きやその他たくさんの表情バリエーションが、すでに楽譜から提案されていることに気づきます。
それら和音やリズムや旋律の流れなど楽譜からの情報を受け取るだけでなく、自分がどう解釈するか。
またアンサンブル仲間がどんな風に仕掛けて来るかによって、自分がどう反応するのか。
そんなことを考慮に入れると無限の可能性がありますよね。
理論を知るとそれに縛られてガチガチになることなんて全然ないでしょう。
むしろ理論を知らない方が、ワンパターンで変化のない演奏になってしまうかもしれません。
理論に縛られると感じるなら、縛られる程度の少ない情報しか楽譜から読み取れていないということ。
知れば世界が広がって演奏も柔軟になるので、音楽理論もぜひ勉強してみましょうね!
様式に振り回されていませんか?
「モーツァルトはこんな様式」
「シェーンベルクならこう演奏する」
そんな風に楽譜を見た瞬間に決め込んでしまってはいませんか?

こういう思い込みは、これまでにたくさん勉強してきて知識のある方に起こりがちなことかもしれません。
モーツァルトならソナタもオペラもどれもこれも同じ演奏の仕方で果たして本当に良いのでしょうか。
現代曲ならば無機質でさえあればそれで良いのでしょうか。
そんなわけありませんよね。
先入観を持たずに真っさらな心で目の前の作品と向き合う、それは現代での人間相手のコミュニケーションと同じことかもしれません。
「この人はこういうタイプだから」
「こう対応すれば喜ぶだろう」
そんな風に生身の相手ではなく自分が想像したタイプ別対応法で接すれば、良い関係が築けないどころか反感を買ってしまうこともあるのと似ているのでないでしょうか。
たとえば「女の子だから甘いものが好きなんでしょ?パフェおごってあげるよ」なんて決めつけて良い顔をしようしとても、相手が甘いものが苦手だったらどうでしょうか。
そんなのは相手を見ておらず自分の理想や勝手なイメージを投影しているにすぎませんから、「不快なオッサンだ」と思われるのがオチでしょう。

しかし意外にも実は『目の前の作品からどんな印象を受けるか一切の定義を保留してただ向き合う』ということはプロ奏者でもしていないことも。
・それまで出会ってきた作品
・今までに知り合った人
そういう自分の過去の経験からの延長での想像に目を向けるのと、目の前にある作品や人がどんな風なのか常に新鮮に向き合うのとは、まったく別のことです。
それは奏法や会場の響きについても言えるし、同じ作品に時間を開けて久しぶりに取り組むようなときにも言えます。
決めつけず定義を保留するのは、自分がどう反応するか事前に決めずアドリブで対応することとある意味で同義なので、最初は勇気がいるかもしれません。
それでも新しい曲を演奏する時は心を開いて、改めて新しいものと出会う姿勢をもっていたいものですね。
こういう先入観に縛られないオープンな姿勢を持つためには、アドリブ演奏のトレーニングが役立ちますよ。
アナリーゼの実習トレーニング
好きじゃない曲を楽しく演奏する方法
アマチュア楽団で演奏していると、何ヶ月も同じ曲を練習し続けることが普通でしょう。
ものすごく好きな曲ならともかく多数決で押し切られてしまったあまり気乗りのしない曲の場合、漫然と音符を並べるだけの演奏になってしまったりしませんか?
それは好みの問題だから仕方ないのでしょうか。
結局本番で演奏はするのであり、どうせ時間も労力もお金もかけるのなら楽しく向き合いたいものですね。
でも、どうやったら楽しくなるのでしょうか。
こういうときに楽しさを見つける鍵になるのがアナリーゼです。

この曲はどんなところが特徴的で現代まで残ってきたのか。
その特徴的な部分に何かしらの魅力が隠れているはずです。
作曲者はどんなところが特徴的な作風か、それは一生のうちのどんな時期に書いた作品で、他の時期との違いはどんなところにあるか。
そういうところに着目すると曲の面白さが見えてくるかもしれません。
さらに和声学や対位法の規則から外れている部分はどんなことろか、どんな効果を狙って規則違反を試みたのか、そんなことまで気にしてみるときっと色々作品の魅力が見つかるでしょう。
あえて規則違反をしてるところや曲の特徴だなと思う部分は、強調した方が曲の性格が活かされて演奏していても聴いていても楽しいもの。
「なんとなく並んでいる音符を追いかけて表情記号に従って強弱をつけて・・・」という無気力な演奏ではなく、その作品のどんなところをお客さんに紹介したいか、どんな魅力を共有したいかを考えることが出来るのは音楽理論をきちんと勉強した人の特権です。
「よくわからない」と思う作品に出会ったら、ぜひ特徴探しにチャレンジしてみてくださいね!
一目で分析ができる楽譜の読み方
「リトミックは子供向け」というイメージがあるかもしれませんが、これは日本だけの認識です。
海外から持ち込まれた時期の色々な経緯が関係していて日本国内では勘違いされていますが、本来は音楽専門家の訓練のための手法であり、取り組んでみると相当耳と表現力が鍛えられるものです。
奥が深いので文字で全て解説することは不可能ですが、合奏トレーニングやレッスンに取り入れると良いアイデアがたくさんなので、そのエッセンスを少しだけご紹介します。
音や和声の把握にとても役立つ手法の一つに『番号唱』というものがあります。

その調の主音を1番として、何番目の音になっているかを番号で捉える方法です。
例えばC-durなら
ド→1
レ→2
ミ→3
・
・
・
シ→7
となります。
G-durなら
ソ→1
ラ→2
シ→3
・
・
・
ファ♯→7
ですね。
この番号は主音からの距離だけではなく、落ち着きや盛り上がりなど音階の中での役割も表しています。
音階や曲を階名でもドイツ音名でもなく番号で歌えると、その調での和声の機能や音の役割が一目でわかるようになるのです。
移動ド唱法を混乱の少ない形に改良したようなものですね。
慣れればスコアを読むときにとても重宝する初見移調の力もついてしまいますよ!
試しに手近にある簡単な楽譜を使って番号唱にチャレンジしてみましょう。
例としてアメージンググレースを挙げましたが、初めは慣れるまでこういう短いフレーズや日本の歌などシンプルな素材で行うのがオススメです。

それができたら別の調で書かれたフレーズにもチャレンジしてみましょう。
意外に難しいのではないでしょうか。
リトミックは奥が深いのです。
番号に変換することに慣れたら、今度は反対に番号を音名にしてみましょう。
例えばクイズです。
これは何の曲かわかりますか?
1ー23ー13ー1ー3ー
2ー344324ー
3ー45ー35ー3ー5ー
4ー566546ー
わかった方は主音がドのパターンだけでなく、主音がシ♭やソやレの調でも歌ってみましょう。
そんな風に番号唱に慣れると便利なことがたくさんあります。
是非普段のご自身の練習やレッスンに取り入れてみてくださいね!
「もっと詳しく知りたい!」という方はベーシック講座でお待ちしています♪
知らないものはイメージ出来ない
棒読み演奏ではなく歌いたいのであれば、どんな風に表現したいかの手がかりになる楽譜をよく読んで歌い回しのヒントを見つけるのが大切。
とはいえ楽譜上は盛り上がりを感じるとはわかっても、どうしたら盛り上がった演奏にできるのかわからないケースもあるでしょう。

一言で「盛り上がった表現」と言っても様々な種類の盛り上がりがあります。
たとえば
・怒るような
・急ぐような
・緊張が張り詰めていくような
・幅広くなるような
・柔らかく大きくなるような
・鋭くなるような
きっとまだまだあるでしょう。
楽譜の前後関係からその部分がどんな場面や表情なのかはある程度想像できます。
でも自分が今までに接したことのない表情や表現はイメージできないのではないでしょうか。
楽譜をどんなに読み込んだとしても、聴いたことのない表現は自分でやってみようなんて思いもしないかもしれません。
そういう意味で人生の色々な経験を積んでいることや、本や絵画など異分野から刺激を受けた経験があることは、大人の強みです。

知らないことは想像出来ません。
そういう表現のサンプルに直接的に触れられるのはコンサートやライヴです。
また、身近でリクエストに応じて色々な音を聴くことができる一番のチャンスは普段のレッスンです。
色々な表情のサンプルを聴く機会として、先生に「ここは例えばどんな風に演奏するか聴かせてもらえませんか」など尋ねることができるのはレッスンを受けている方の特権とも言えるでしょう。
コンサートに出かけたときも指回りがどうとか音程がとかそんなことばかりでなく、その奏者が作品をどう解釈してどんな風に表現するのかというところに目を向けられるとより充実した時間にできるかもしれませんよ。
あなたは盛り上がりの表現として、イメージのバリエーションをどれくらい持っていますか?

