演奏中の身体のことは注意を向けることが多くても、心の動きについては疎かになりがちなもの。
でも何を考えるかという心(思考)についても、楽器や身体のコントロールと同じようにトレーニングが必要なのです。
今回はありがちなメンタル面でのトラブルと対処法を考えてみましょう。
なぜか本番だけミスをする
ミスをしないようにたくさん練習したのに本番だけ変なミスをする。
ありがちではありますがこれってなぜ起きるのでしょうか。
ミスが不安になるほど熱心な方なら、テクニックの心配な箇所はすでに何度も繰り返し練習して、筋肉や神経などのフィジカル面での問題はクリアしていることでしょう。
普段出来るというのは、そのための体の構造とコントロールするためのスキルはすでにあるということ。
フィジカル面での問題が無ければ、脳から正しい指令が出れば身体はそれに反応するものです。
そしていつも通りうまく行くはず。
なのに、本番で変なミスをするというのは、本番の時だけ演奏のための意図があやふやになる瞬間があるということ。
演奏のための意図というのはつまりソルフェージュや作品をどう見せたいかというアナリーゼの部分ですね。
自分にとって大事なシーンの最中に、今日の夜ご飯について考える人は多分あまり多くはいないでしょう。
でも、身体のコントロールや他人からの評価など実は演奏そのものと関係ないことを考えてしまうことは結構あるもの。
もしかしたら「身体のコントロールは演奏に関係あるよね?」と思う方もいらっしゃるかもしれません。
でも「身体をどうこうする」というのは手段であり、目的は「どう演奏したいのか」の部分。
わたしたちは心身をうまく使いたいからステージに上がるわけではありません。
同じように他人からの評価やコンクールの成績なんかも演奏そのものとは全く関係のない別のトピックなのですよね。
というのは、人にはそれぞれ勝手に好きなことを考える権利があって、それを他人が横からコントロールできるようなものではないから。
逆に考えると「自分のことをこう思って欲しい」というのを強要されて相手をどう思うか変えるということはほとんどの場合はないし、そんなことを考えている時のパフォーマンスは得てして面白くないことからもよくわかります。
それよりも作品の良さを伝えようという情熱を感じるパフォーマンスの方がずっと魅力的だったりしますよね。
演奏中に何を考えるのか、気にしておきたいポイントの一つですね!
自分の震えに気づいたらどうする?
緊張したときや驚いたときなど、とっさに出てしまう動きや思考は必ずしも演奏にプラスに働くことだけではありませんが、これは仕方のないものでしょうか。
子供の頃は誰でも飲み物などで熱いものに触れたら驚いてとっさに手を引っ込めてしまうのではないでしょうか。
そうすると持っていたマグカップは床に落ちて壊れ、飲み物は散らかり、手だけならまだしも手以外に足など追加でやけどをしたりと、とっさの考えなしの反応をしていたために二次被害が起こります。
それを何度も繰り返して、熱いと感じたら後先考えずに手を引っ込めるのは最善の策ではないと気付きます。
そして大人になったわたしたちは熱いものに触ってもすぐに手を離さず二次被害を防ぐことができます。
もう一つの例を挙げるなら、
楽器を持っているときに地震がきて近くの棚から時計が落ちそうになったらどうするでしょうか?
急激な動きをして本番前なのに楽器をどこかにぶつけてしまうより、時計が落ちる方が結果的に被害が少ないから「あわてて時計を受け止める」より「時計は放っておく」=「楽器を守る」を選んだ方がいい場合もあるでしょう。
そういう風にとっさの反応というのはそれまでの経験や思考などの積み重ねで自分で選んでいるもの。
では緊張する本番中、指が震えてることに気付いたらどう反応しますか?
とっさに震えないように力を入れるというのもひとつの反応です。
別の選択肢としては、震えてるかどうかは放っておいてどういう風に作品をお客さんに紹介したいかを改めて考える、というのもひとつです。
音楽のエネルギーがどこにどんな風に向かってるかを再確認する、というのも選択肢のひとつ。
例をいくつか挙げましたが、この中で「震えを止めるために力を入れる」というのはパフォーマンスをする上ではあまり有利になりにくい選択となってしまうことが多いのです。
なぜかというと力を入れて動きを止めることと、本番で起こっている色んなことに柔軟に動いて対応することは反対のことだから。
望むように演奏するために最善の選択をするか最善でない反応を選ぶかは選択次第ですが、つい習慣で選んでしまっていることが最善でないと知らない場合もあるもの。
事前に何を選ぶかを想定した練習をするというのも緊張する場面で本来の力を発揮するのには大切なことかもしれませんね。
居眠りしているお客さんを見つけたとき
演奏中に間違えて変な音を出したとか、
お客さんが居眠りしてるのを発見してしまったとか、
仲間がミスをした自分を睨んでいることに気付いたとか、
そういう視覚や聴覚やその他の自分が受け取っている情報につい反射的に怒ったり傷ついたりしてしまうことってないでしょうか。
お客さんが居眠りをしていることに気づいて「自分の演奏が退屈なのだろうか?」「聴く価値は無いと思われたのだろうか?」などと考えて傷付くのは、実は自分の思考の選択の結果です。
「誰かのせいでこんな気持ちになってしまった!」と感じる時、それは自分がそういう気持ちになることを選んでいるのです。
もちろん人生にはとても制御できないと感じるようなショックを受けたりする瞬間もあるのは確か。
でも。
ある程度自分の感情はコントロールすることが可能だとしたら、演奏中に必要もないのにわざわざ傷付いた気分になってパフォーマンスの質を下げたい人はいないでしょう。
それなのに無意識でそういう選択をしてしまっていることは多いもの。
もしかしたら居眠りに見えるお客さんはうっとりして目を閉じて聴いているのかもしれません。
また前日が徹夜だったから身体が辛いけれど、どうしてもあなたの演奏が聴きたくて会場に来てくれて、つい睡魔に負けてしまったのかもしれません。
または突然足元を通ったゴキブリにびっくりして気絶したのかもしれません。
つまり、「お客さんが居眠りしてる」というのは単なる情報です。
それをどう解釈してどう受けとるかは受取り手次第。
演奏していると周りの音や起こる出来事に気がつけるようアンテナを張り巡らしてるので、そういういちいち本番中にリアクションするべきでないことも情報としてたくさん入ってきます。
仲間が睨んでいる気がするのは実は小節がわからなくなって助けを求めているのかもしれません。
こういうのは自分に余裕があるなら助けてあげた方が二次災害的に迷子になる人を減らすという意味で役に立つでしょう。
単なる情報に自分で意味をつけて怒ったり傷付いたりしても、それが全くとんちんかんだとしたらわざわざ反応する意味がありません。
無意味なだけならまだしも、とっさに勝手にネガティブな解釈をして固まったり集中できなくなったりなど演奏の妨げになる反応をしてしまったら、そんなバカバカしいことはありませんよね。
ポジティブな勘違いならプラスに働くのでまだ良いですが、受けた情報からネガティブな感情が来そうになったら一旦その情報の解釈を保留して、望む演奏のためにはどう反応したいかな?ということを考えてみるのはとても役に立つことです。
色々な場面で有益なのでオススメしたいことです。
まとめ
心をコントロールするのは難しいと思い込んでいる人は多いものですが、心とは思考であり脳の働きです。
平たくいうと何を考えてどう反応するよう心がけるか、ということ。
そのためには楽譜の余白にメモ書きをしてもいいし、手首に目印としてブレスレットをつけたって良い、工夫の仕方は無限にあるもの。
思考は自分でコントロールできるものであり、自分にしかコントロールできないものでもあります。
演奏中に何を考えるかコントロールできないのは、コントロールしようと心がけていないから。
あえて厳しい言葉で表現するなら、刺激や感情に流され流されっぱなしのだらしないプライベートな状態を人前に晒しているということ。
ステージに出てスポットライトを浴びながら鼻くそをほじる人はいません。
人前に出るときは服装や仕草は気を使うのに、思考には全く気を使わないなんておかしなことでしょう。
大事な場面でどう振る舞うのか、どんな言動を選択するのか、大人なら自分に責任を持った状態で演奏に臨みたいものですね。