レッスンを何回受けるかより大事なのは、「自分で考えて練習する力」です。
単発でも、レッスンに行かなくても、自分で気づいて工夫できる人はどんどん上手になります。
この記事では、“先生に頼りすぎず、自分で学べる人になるにはどうしたらいいか” をまとめてみました。
もくじ

学びの質を下げる思考
わかったつもりの知識
どこかで一回だけ体験したり本やメディアで知った音楽の知識、今までにたくさん出会ってきているでしょう。
その知識、どれくらい実際に使えていますか?
レッスンを受講される方には、継続的に受ける方と遠方からなどで一度だけ単発で受ける方とがいらっしゃいます。
どちらが良い悪いというお話ではありませんが、それぞれの受け方で当然ながら学びの深さと質に違いがあるもの。
例えば、概要を知識として知りたいだけなら単発のレッスンがおすすめです。
理解スピードに応じて段階的に良くなる手順を踏みたければ、継続的に受ける必要があります。

単発の体験では主に継続したときにどんな変化があるかの紹介をすることができます。
とはいえ、今まで自分の中になかった発想だからこそやってこなかったことを、たった一度の体験で理解するのは相当の経験と知識と理解力が必要です。
しかもすごく優秀で適応が早い方でたった一度で理解できたとしても、机上の理論ではなく実際に使えるスキルとして動作を行ったり、現場でいつでも必要なときに引き出しから出せるよう自分に定着させることは、実はかなり難易度が高いこと。
しかし、簡単ではないとは、いえもちろん不可能ではありません。

プロで長いこと活動している方は知識も経験もあるので、その裏付けとしてスッと理解して自分のものにすることができるケースもたくさんあります。
そういう方は単発で知識を得て、自分でどう応用するかを試行錯誤する学び方が向いています。
反対に、新しいことを深く理解して《どんな場面でどう応用するか》《身に付けるにはどんな手順で進めれば良いか》ということを教わりながら、ただの知識ではなく使えるスキルとして自分のものにするには、継続的にレッスンを受ける方が適しています。
あるあるなのが、知識だけ得て良いことを知った気分になって帰っても、個別のケースにどう活かすのかといった応用するための考え方や、やってみようとしたことが実際にできているかどうかのフィードバックを得られない状況で、理屈だけは知っているけれど結局使い方はよく分からないまま、というケース。
例えば単発でのアレクサンダーテクニークなら頭と首の関節がどうなってるかによって動作の質や効率が変わると説明はしますが、「わかった、わかった!首が動けばいいんですね!」なんて言ってポイントとなる関節とは全然違うところを動かして納得していたり。
これは原理は知識として理解できても、実際に自分の身体で行うこととは結び付いていない例です。
こういう『わかったつもり』の生徒さんがしばらく後に、「アレクサンダーテクニークは知ってるけど全然役に立たない」なんて言ってしまいがち。(アレクサンダーテクニークに限らず何事もそうです)
実際に知ってるのは原理だけで、使い方や自分の身体での応用はできていないなんて、すごくもったいないことですね。
ソルフェージュやアレクサンダーテクニークに限らず段階的に手順を踏んで身に付けるようなことは、継続的に何度か受けないと実際の演奏への活かし方がわからず、せっかくのお金と時間がムダになるなんてことは意外にありがちです。
ドキッとしたら、自分の持っている知識が本当に使えるものなのか、振り返ってみるのも良いかもしれませんよ!
「それ知ってる」と思った時
よく来るトレーナーの指導や長年通っているレッスンでは、何度も聞いているようなことが話題になる機会ってきっとたくさんあるでしょう。
そんなときにどういう風に受け取っていますか?
「うん、知ってる知ってる!」
「わかってはいるんだよね」
「知らなかった人のための時間ね」
そんな風に思ってはいないでしょうか。

わたしも何かしら講座を受けるときなどに、すでに知っていることが取り上げられるとそんな風に思ってしまうことがよくあります。
ですが。
それって別にそのトピックを知らなかった人のためだけの言及というわけではないのですよね。
「もしかしたら新しい発見や気づきがあるかもしれない!」と思って聞いてみると、それまでの知識でわかった気になっていたことをさらに深く理解できたり、ハッとすることがあったり、そんなことも多いもの。

以前知った時の理解度ではわからなかったレベルのことが、成長した自分で接するとわかったりすることもあって、「こんな含みがあったのに気付いていなかったんだ!」と感じることもしばしばです。
本だって読み返すと、昔読んだ時よりも理解できることが増えていたり、違った見え方をしたりしますよね。
レッスンや講座でもせっかくなら「自分には関係のない初めての人のための時間」としてボンヤリ終わるのを待つのではなく、「今の自分ではどんなことが受け取れるだろうか」と思って聞いてみると過去に知っていた以上の情報が得られるかもしれませんよ!
既知の枠組みから抜け出す
レッスンで講師から何度も聞いているトピックを「知ってる知ってる。そうだよね」と思う。
常日頃からそういう受け取り方していると、新しい情報に触れた時に「自分の知っていることの違う表現」として無意識にこじつけてしまうケースも存在します。
それでは既知の枠組みから抜け出すことはできないでしょう。

例えばアレクサンダーテクニークのレッスンでありがちなのは、こんなパターン。
腰や腕や足などで色々な動きを試し良い音が出る動き方を見つけて、「なるほど、この角度ですね!」というようなとき。
実際にレッスンを経験した方はおわかりでしょうが、アレクサンダーテクニーク教師は特定の姿勢を勧めたり決まった角度を教えたりはしません。
アレクサンダーテクニークのレッスンというのは、選択肢を増やすために動きのバリエーションを提案をするものだから。
それを「この角度が良いって教わった!」というのは勘違いなのです。
まさに自分が知っている『姿勢というのは固定化できるもので、決まった角度や身体の状態を目指すものだ』という思い込みを肯定するためにレッスン内容を歪めて解釈してしまった例です。
新しいことを学ぶチャンスなのに、そこでわざわざ古い知識の確認をするのはせっかくの機会がもったいないものです。
新しい情報に触れたときに、ついつい自分の知っている概念の中で解釈したくなるのは自然なこと。
とはいえ、新しいことをすでに自分が知ってる物事に関連付けて理解しようとするのは、世界を狭くするのかもしれません。
知っていることの裏付けとして解釈するだけでなく、時には新しいアイデアから何を感じるか、やってみた動作からどんな印象を受けるのかに心を開いてみるのも良いでしょう。
新しい発見や気付きは意外に、知っていることの中に潜んでいる場合も多いものですよ!
依存する心
先生の前に出るとヘタクソになりませんか?
普段合奏の中で仲間と一緒なら堂々と吹けるのに、レッスンになると途端に何だかヘタクソになる。
一人ならちゃんと出来るところがレッスンでは上手くできない。
そんな風に尊敬している先生の前で、ついついダメな生徒を演じてしまうことってないでしょうか。
わたしも苦手というわけでは決してないのに、どうもこの先生の前だと自分のダメな面が際立つような・・ということが未だにあります。

これは自分へのレッテル貼りの一つであり、先生と生徒という関係の中で快適にいるための自衛策なのかもしれません。
顕在意識ではもちろんちゃんと上手くなっていく方がお互いに良いとわかってはいるけれど、実は潜在意識では劣った存在であることで「いつまでも教わり続けられる状況を確保したい」と感じていたり。
または本当は自分では「自信がある!」と思ってることを否定されたくなくて、よくわからない振りをしたり。
突っ込んだ質問をされてタジタジするのが怖いから、自分の音楽的な主張を隠したり。
先生に比べたら自分なんてまだまだ・・と思う謙虚な気持ちがあるのかもしれません。
ですが、劣った存在であり続けることと謙虚に学び続けるのは違うことなのに、いつのまにか混同していることもあるのかもしれません。
実際、コンサートで演奏するようなときには、先生が来ているからってヘタクソを演じるようなことはできないでしょう。
それはわたしたちの演奏を楽しみに、わざわざ出掛けてくれた他のお客さんたちに対して失礼になってしまいます。
大人なら立場によって場面によって接し方を変えることもあるし、「誰の前でも同じ」というわけにはいきません。
とはいえ、無意識で自分を低く見せるような振る舞いが本当に自分のためになっているのか、目先のトラブル回避ではなく将来的な成長の役に立っているのかそんなことを考えてもいいのではないかな、と思うことがあります。
こんなこと、共感する方はいらっしゃるでしょうか?
問題解決と問題隠し
「息の通りが悪いからもっと優しく吹いてみよう」
↓
優しく吹いたら音量が落ちた。
↓
「音量が落ちるのは困るから少しベルを上げてみようか」
↓
ベルを上げて吹いていたら腰が痛くなった。
↓
「腰痛治療のために病院にいかなくちゃならないなんて音楽って手間がかかるなあ。」

こんなパターンはもしかしたら、そもそも息の通りが悪い原因はアンブシュアの締めすぎにあって、根本解決のために病院は関係ない、ということも考えられます。
これは極端な例ですが、原因に対処せず問題を隠してしまうようなことは、気づかぬうちに結構たくさん起きているかもしれません。
もちろん問題を隠すだけでは解決にもならないばかりか、しわ寄せとして新たな問題が出てきたりして良いことがないのは冷静に考えれば理解できるでしょう。
しかし目の前から問題がなくなれば一安心なので、つい無意識に問題隠しをしてしまってるということもあるのではないでしょうか。
力んでいるからそれをやめよう。
指が遅いからもっと速く。
どこか痛いからマッサージへ。
力んでいるのは必要な働きをしていない、サボってる部分があるからかもしれません。
指が遅いのは頭が音を認識できていないからかも。
どこか痛いのは奏法に無理があるから。
それに気づくためには
「力んでしまうのはなぜかな?」
「指の動きが遅い原因は何だろうか」
「痛いところが出てきてしまう理由は?」
こんな風に考えると、問題を隠して満足するのではなく、根本原因にアプローチするためのヒントが見つかります。
一時的に解決したように見えても、根本原因が残っていれば、いずれまた別の形でトラブルが出てきます。
抱えている問題を解決しようと思うなら、根本的な解決に至る方法を採用しなくてはなりません。
そして解決方法を探すときには、専門家に頼ることも選択肢ではありますが、まずは自分で考えてみることが大切です。
自分で考え続けることによって、段々練習方法などの問題解決策への見る目も養われていきます。
「このケースではこの対処法が機能しそう」
「この場合は別の方法を考える必要がありそう」
そんな風にボンヤリとでも練習方法の質を判断できるようになってくると、練習の組み立てがスムーズになります。
また自分で考えても道が開けそうにないと感じた時に、どういう専門家に頼るのかを選ぶこともできるようになるでしょう。
根本解決に至る道を探して誰に習うかを自分で選ぶのなら、問題隠しをして煙に巻きレッスン依存にさせる『先生』に引っかかることはなくなります。
自分で考えて自分で練習を組み立てられるようになる、自立するためのレッスンを選べるようになるのです。
「自信がないから考えるのをやめる」
それでは結局誰かに依存するしかありません。
少しでも根本解決に繋がるかどうか見極めて、練習方法を取捨選択しようとする姿勢を持つ。
大切なことですね。
替え指を決め込まない
内緒ですが、実はわたしはクラリネットの替え指をあまり覚えていません。
よく使うスタンダードな替え指はもちろんいくつか知ってはいますが、「この音の替え指はこれ!」と固定化して覚えているわけではないと言うことです。
というのは本当はいくつもある替え指のうちどれを選ぶかは、その時のアンサンブルの中での音程の取りやすさや、フレーズの前後の繋がり方によって変わるものだから。
生徒さんに尋ねられたときも、その人の吹き方によってわたしが普段使ってる指では、クセが違って音程が上手く取れなかったり、逆にややこしく複雑になったりするので、使いやすい運指を一緒に探すようにしています。

「このやり方で覚えなさい」
「このフレーズはこの指使い」
そんな風に教わって学んでくると、本当はテクニックや運指や方法はいくらでもあるはずなのに自分で考えて組み立てられなくなってしまいます。
そうなれば自分で考えて上手くいく奏法を作るのではなく、正解とされることを探すという思考習慣を作ることに繋がってしまうでしょう。
どこをどうしたいか明確なら、方法は自分で考える習慣を持つ方がその後の選択肢が広がりますし、たった一つの正解とされる奏法で上手くいかないからって自己否定に陥るようなこともなくなります。
上手くいくやり方を一つだけ教わって満足せず、『上手くいく方法の見つけ方』を教わる方が、長く続けていくのなら建設的な選択かもしれませんよ。
自立したプレーヤーになりましょう
昔々わたしたちが学生だった頃、テストの問題には正解と不正解がちゃんとありましたよね。

授業の中で先生の問いに答えるにも、やはりこれという望ましい答えがあったような気がします。
あなたはどうでしたか?
それが良いとか悪いとかについてはここで何か言っても無意味なので置いておきますが、演奏の場面や音楽のレッスンではどうでしょうか。
何歳の誰でも、どんな状況でも、必ずこれさえやれば上手くいく、そんな「正解」の奏法ってあるでしょうか。
または『初心者ならこれをやれば絶対うまくなる』そんなメソッドはあるでしょうか。
わたしはこれはありえないと思っています。
同じ時に初めて楽器に触った子供も、力を使いすぎて音が出なかったり、全然力を使ってないために音が出なかったりと様々。
大人だって体格や目標だけでなく、その日の体調だって演奏に影響するのを知っていますよね。
例えば二日酔いの日にはそっとしか吹けないように(笑)
だからレッスンでは「これが正解の吹き方です」なんて雑なことは言えないのです。
それどころか「あなたにはこれが合っています」とさえ断言はできません。
その時々、段階、やりたいことが変わったら何が合うかも変わりますから。
ではレッスンでは一体何をするのかというと、プロセスを学ぶのです。
・どうやってそのときの自分に合うやり方を探すか
・別の吹き方を見つけるにはどうしたらいいのか
・試してみた結果の良し悪しをどう判断するのか
・どんな風に練習を組み立てたらやりたいことに繋がるのか
そういう「見つけ方」「考え方」を学ぶのがレッスンだと思っています。
先生がやってることを丸ごとコピーするのではなく、何か提案されるのを待つのでもなく、自分で考える力をつけるもの。
そうしたら誰にも依存しないで、自分の音楽を、自分がやりやすい方法で、探していけるプレーヤーが増えていくのではないでしょうか。
受け身になってしまいがちなレッスンの場で、ぜひ思い出してくださいね。
レッスンを受けてうまく行かない時
教わった通りにやったら下手になった
楽器に初めて触った頃、きっと先輩や先生のお手本を見て聴いて、たくさん真似をしながら上手になってきたことでしょう。
とはいえ参考にしてきた奏法は人それぞれ違ったはず。
体格も体力も筋肉の使い方も個人差があるので、奏法が違うのは当然と言ったらそうでしょう。
もしかしたら、その中に先輩・先生には合うけどあなたには合わない奏法がまぎれこんでいて、今のあなたの演奏を不自由にしているということはないでしょうか?
例えば、わたしは海外で現地の先生からレッスンを受けたときに「右の親指は根本ではなく先端で楽器を支えなさい」と言われました。
その先生は若くて身長も190センチくらいある体格のしっかりとした男性です。

帰国してしばらくはせっかくもらったアドバイスですから試してみていました。
しかし、親指の先端で楽器を支えているとわたしには楽器が重くて、長時間持っていられなくなってきたのです。
それでも学生なので練習をする必要があるし、とそのまま無理に吹き続けます。
そして親指で支え切れない分、肩を持ち上げたり腕を固めて動かないようにして補助するようになりました。
そんなことをしていると音質はだんだん鋭く硬くなり、コントロールの融通も利かなくなっていきます。
力みを生んで響きを止めているのですから当たり前ですよね。
「親指の先端で楽器を支えると指回りが効率的になる」という理由で勧めてくれたアイデアでしたが、指の根本で支えていたわたしは指回りに特に不自由も制限も感じていなかったのに、先端で支える奏法にしたら何だか動きにくくなってしまいました。
より重さがかかる構えのために、楽器を落とさないよう腕全体を固めたら、指を動かす筋肉は邪魔されます。
なので、まあそれはそうなのですよね。
そのうち慣れるかなと試していましたが、3週間ほどで本末転倒なことに気付いたのであっさりそのアイデアは辞め、そうしたら音質も指回りも元通りになりました。
その先生はとても大柄ですから、親指の根本で支えると他の指が長すぎて余ります。
それに全体的に筋肉も強いから重すぎるという問題も起きず、彼には先端で支える奏法が合っていたのです。
ご自身が自分の骨格・体力でうまくいっているアイデアを教えて下さったわけで、もちろん生徒がより良くなるのを願ってのことです。
さて、新しいアイデアに接したときにあなたはどうしていますか?
有名奏者が大きな音を立てて息を吸っていたら、腕を引き込んでいたら、それを真似しますか?
クセというのは何かその人固有の意図があって行なっているのかもしれないし、本当はやめたいと思ってるのにやめられない習慣かもしれません。
・有名人がやってるから
。偉い先生が門下生全員にそうさせてるから
そういう理由で特徴的な奏法を取り入れるのは危険です。
何のためにどういう効果があって、それが自分に合うのかどうか、無検証でアイデアを採用せずきちんと自分で確かめましょう。
一つのアイデアが良い効果を出すのか、続けたらケガをしそうな気配があるのか、そういうのは本人でなければわかりませんからね。
一回でわからないのは当たり前
何度も同じことを言われていて、わかっているのに中々直らない。
さんざん伝えているのに一向に伝わらない。
そんな風に合奏練習やレッスンで同じことを繰り返してしまう場面って、誰にでも思い当たるのではないでしょうか。
こんな時、「一回で理解できないのがいけない」と感じてしまうかもしれませんが、このように何度も情報に触れてからやっと腑に落ちる現象は、実は何かを学ぶ過程ではよく起きることです。

一回だけ指摘されたとしてもそれですぐに腑に落ちなかったり身につかなかったとしても、本当に心から納得する瞬間が他のタイミングであったり、突然脳の回路が繋がったように理解できたりすることは多いものです。
わかってはいるけど出来なかったり、概念としては理解できても実際の楽器のコントロールではピンと来ていなかったり、という時期があるのはごく普通のこと。
この記事を読んでいても、そういうことはきっとたくさん起きているでしょう。
同じ情報でも受け取る準備が整っていないときには受け取れません。
切羽詰まってその情報を必要とする状況に陥ったり、色々な切り口から説明を受けてしっくりくる表現に触れたり、絶対に信頼出来ると思う人が同じこと言っているのを耳にしたりなど。
キッカケは様々でしょうが、ずっとイマイチ飲み込めなかったことがある時突然わかるのは結構あるあるです。
反対に、すでにわかっていると思っていたことをさらに深いレベルで納得するような、同じことに対して何度も深度を変えて気付き続けるようなケースもよくあります。
「一度でわからないのは当たり前!」
そう思ったら合奏現場やレッスンでも、コミュニケーションのストレスから解放されるかもしれませんね。
上手くなった自分を想像できない
今までにやったことのなかったソルフェージュが出来たら、もっと基礎を学んだら、自分の演奏がどんな風に変わるか想像することはできますか?
「想像できないよ!」いう方、それが自然なことです。
何事もやったことがなければ想像なんて付きませんよね。
「こうなるんじゃないかな?」と思った方、やったことがあるかやったことで良くなった人を知っていますね!
よく言われることではありますが、現在あなたが想像できることは現在の延長上にあること。

そして現在の知識やスキルでは起きえない延長上ではない、新しいことを知ったりできるようになったりした変化の先のことは、想像できないのが普通です。
やったことのある人が「やるといいよ!こんなに変わるよ!」と言ったとしても、今持っている概念で理解できないレベルのことは想像さえできません。
想像できることは今あるものの延長でしかないということは、現状の延長から外れた『より良い場所』は、自分の想像力の外にあるということ。
自分では思いつきもしない、想像できもしない場所。
それを目指すためには、ゴールを実際に知っている人に助けてもらう他ないでしょう。
子供が大人から「将来のために勉強しておきなさい」と言われてもピンとこないのも同じことですね。
・上手くなった自分のイメージが全然湧いてこない。
・もっと学んだらどんな良いことがあるかさっぱりわからない。
そんな風に思ってる人にこそ、適切な助けが得られたら大きな変化を起こす可能性があるということですね。
トンチンカンなアドバイスの裏側
楽器を構えるときの姿勢として、
・どれくらい胸を張って
・脇をこぶしいくつ分開いて
・椅子にはこの深さで座って
などなど色々聞いたことがあるでしょう。
このシリーズ記事を読んでる方は、そんなことには個人差があり、誰かに適したものが他の人には逆効果になる場合もあるということはすでにご存知でしょう。
ではもしもあなたが「脇を何センチ開けなさい」などの指導に行き合ってしまったらどうしますか?
大人として無難に平和にやりすごすなら「はいはい」と頷きながら聞き流しておくのも一つの手でしょう。

もう一つの捉え方として、その指示をした指導者が、何を改善したくて、どういうことが起きてほしいために、その言葉が出てきたのかを考えてみるのも良いかもしれません。
吹きにくくさせるために他人に指図をするような意地悪な人はおらず、必ず何かしら良い意図があって言葉を選んでいるはずですから。
・呼吸が窮屈そうに見えたから、肋骨の動きをより促すために肘のことに言及した
・指が動きにくそうに感じたから、軸に近い部分の力みを解消しようと腕のことを言った
など。
もしかしたら自分がやってみて良かったことをただ言っただけ、という場合もあるかもしれません。
ですが、指導者であれば何かしら問題解決につながる見込みを持って発言しているはずです。
トンチンカンに思えるアイデアを解決法として提示されたとしても、そこには何かしら演奏をより良くするためのヒントとなる情報が隠れているもの。
コミュニケーションの取りやすい先生ならざっくばらんに「どんな風に見えましたか?どうなると良いと思いますか?」と尋ねてみるのも良いでしょう。
提案されたことを良いかダメかとジャッジするだけでなく、そこからさらに情報を得ることを考えられたら上達も加速するかもしれませんね!
先生に遠慮するな!
レッスンでしてはいけない質問
レッスンのときに
「これを尋ねたら失礼かな?」
「こんなこと知らないのは恥ずかしいことかも・・」
そんな風に思ってしまうことってありませんか?

あるとしたらちょっと考えてみましょう。
あなたが仕事をするときに、お客さんにはどう接していますか?
ケーキ屋さんで「モンブランってなんですか」と尋ねられたら「そんなことも知らないの?!」とは返しませんよね。
「栗のクリームを使ったケーキで、山のような形が特徴ですよ」と丁寧に答えるでしょう。
病院の先生や看護師さんたちだって、専門用語ではなくお年寄りにも子供にもわかるよう、どうしたら治るのか簡単な言葉できちんと教えてくれます。
それでもわかっていなさそうなら、さらに丁寧に噛み砕いたりするでしょうし、実物を見せたり、説明を変えたりなど違うアプローチをしますよね。
音楽について専門家に質問するのも同じこと。
レッスンに通うのは、自分の専門外でわからないことがあるから。
ちゃんとお金を払ってレッスンを受けているときに、専門家に尋ねてはいけないことなんてありません。
わからないなと思うことがあるなら、萎縮せずに講師からどんどん情報を引き出しましょう!
生徒からの質問やリクエストを「先生に向かって失礼」だとか「自分で何とかしてきなさい」で片付けるのは、指導者としてプロの振る舞いではありません。
教える立場に立つときも忘れないようにしたいことですね。
先生と生徒は対等です
レッスンで尋ねてはいけないことなんて無いので、どんどん情報を引き出した方がお得です。
頭ではわかっていても、ついためらってしまう。
遠慮の気持ちが湧いてきてしまう。
それは過去の記憶とか習慣で作られる思い込みが関係してるのかもしれません。
学校教育で礼儀とか敬語の使い方を学ぶという場面は別として、お互いに社会人であれば先生と生徒という立場に上下関係なんかありません。

音楽の専門家はあなたの専門分野のシロウトです。
野菜を作れる農家の方は、野菜を作れない人に対して「オレの方が偉い」なんて思いませんよね。
車を作る仕事の方は、車を作れない人を自分より劣っているとは思わないでしょう。
それと同じことで音楽を専門にしているからって、別に人として優れているわけではありません。
そこにあるのは専門分野の違い、ただそれだけ。
厳しい競走を勝ち抜いてきたりとても努力してきたり、そういう経歴が過去にあったとしても、他人を見下していい理由にはなりません。
音楽のレッスンで専門知識を教わるのは、パン屋さんでパンの種類を尋ねるのと同じくらい気軽に行って良いことです。
人としては先生も生徒も対等で、同じように尊重されるべき存在。
必要以上に自分を劣った存在だと思うことは、上達の邪魔になってしまうかもしれません。
誰かの持ってるスキルに憧れたり尊敬したりすることは、萎縮したり自己卑下をするのとは別だということは知っておきたいものですね。
出来ていないのに得意がる
「難しい曲も一応吹けてはいる。でもどこかプロとは違うし、今までやってきた通りのことを続けるだけでは何か足りない気がする」
そんな漠然としたモヤモヤの解決のヒントがどこにあるのか知りたくて、包括的に音楽を学ぶ決断をされる方は多いです。
何が足りなくてできていないかわからないからこそ、「自分で気づいている以外のところに落とし穴があるのでは?」と考えるのでしょう。
講座を受け終わった方からたまに、「わかっていないことがより見えた気がしました」という声をいただくことも。
そうそう、それなのですよ。
見えていないものが一体何なのかわからないから、自分はわかってるつもりでいてもモヤモヤが晴れないのですよね。
わたしもそうでした。
「自分は学べるだけ学んだし、何が足りないかはわかっている」
そんな風に思っていたときは、もっと上まで行けるはずなのになぜかこれ以上進めないガラスの天井にぶつかってるような気分で日々過ごしていました。

今の自分に何が足りないかをわかっていないからこそ、行き詰まっていたということ。
それに加えて「何が足りないかわからないことは恥ずかしいことだ」という思いもありました。
それは学生時代によく「自分に何が必要かわからなければその人はそこまでだ」なんて言葉を耳にしていたから。
でも、実際はそんなことはありません。
・自分に何が足りないかわからない
・何か足りないものがあるのかどうかすらわからない
だからこそ専門家を頼るのです。
行き詰まってるのは『これを知っていれば出来るはず』という情報が足りていない証拠。
悩んで立ち止まってる今だって、誰しもいつかは使い切ることになる、限りある人生の大切な時間です。
いつかそのうち自分で偶然解決策を見つけるまで、モヤモヤしたまま待っている必要はないでしょう。
自分に足りないことが何なのかわからなくても、何かが足りてないってことさえ気づくことができたら、必ず助けてくれる人がいます。
わたしに自分では得意だと思っていたソルフェージュを「もう一度やり直してみたら?」と勧めてくださった先生のように。
本人が気づいてない問題を解決して、行きたい道に進む方法を教えてくれるのが、その道の専門家です。
今のわたしはこれまでに延べ1000人以上のレッスンを行なってきているので、演奏を聴いたら何を知らないために行き詰まってるのか大抵わかります。
もしもあなたがもう一歩上手くなれるはずなのにどうも先に進めない、そんなジレンマを抱えているなら解決のヒントをお渡しできると思いますよ。
「出来てないことを知られるのは恥ずかしい」
「何を質問したらいいかわからない。そんな状態で行っていいのかな」
「もっと上手くなってからじゃなきゃダメかもしれない」
そんな心配は無用です。
そういうときは遠慮なく「何がわからないかわからない」と言ってみてくださいね!
おわりに:レベルが高そうで受けに行って良いのかわからない
当教室のレッスンは「内容のレベルが高そうで自分なんか受けて良いのか・・」という声をよく耳にします。
ですが実際は、楽典や音楽理論やソルフェージュ、演奏のための身体の仕組みなど、全くやったこともないし用語もよく理解できてない、という方も歓迎しています。

「演奏自体は長く続けているけれど実は自信のない部分がある」
「今さら知らないとは言えないことがたくさんあって恥ずかしい」
「努力しているのに上達できないのは練習不足が原因ではないかもしれない・・」
そんな方に向けたレッスン内容になっています。
ただし。
まだドレミが読めなかったり、各楽器の運指や基本的な音の出し方をこれから知っていく段階の方のレッスンはお引き受けしていません。
それは本を読む前には文字が認識できている必要があるのと同じで、音符がわからなければ譜読み方法を知ることはできないからです。
また、楽器の取り扱いがよくわからない段階で、アレクサンダーテクニークを使ったら勝手に奏法の基礎が身に付くという都合のいいものでもありません。
楽器の初心者の段階では、わたしのレッスンに来てもお金と時間と機会がお互いに無駄になってしまいます。
「どうしても!」というご希望があるなら、もちろんレッスンでドレミの読み方からレクチャーすることも可能です。
ですが、それはもっと安い料金で初学者向けの内容を学べる音楽教室がたくさんあります。
それにわたしがそういったドレミの初歩のレッスンを行えば、「専門的に勉強したい」「もっと深く学ぶ方法が知りたい」という方の受講チャンスを奪うことにもなってしまうので、基本的にお受けしていないのです。
そういう初めての方の場合は、適した教室や講師をご紹介するという形を取っています。
せっかく交通アクセスがすごく良いわけでもなく、料金が特別安いわけでもない、というレッスンに通うなら《ここでしか得られないもの》を得て帰っていただきたいですからね!
「楽器は長く吹いているからドレミは当然わかるけれど、譜読みや聴き取りなど基礎スキルにもっと自信を持ちたい」という方が、ソルフェージュや音楽理論は初めてという場合は歓迎しています。
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