実は知らないまま演奏していることも多い音楽の歴史と時代背景。
ベートーベンからしか知らなければベートーベンの新しさと面白みは理解できません。
今回は普段触れる機会のない古い時代の西洋音楽の歩みを、社会全体の状況と合わせつつ、一緒にざっと見てみましょう。

初期の西洋音楽
音楽の起源、までは遡れませんが西洋音楽は教会を中心に発展してきました。

単旋律の無伴奏で人の声で、ひとつの声部のユニゾン(モノフォニーと言います)が6-10世紀ころから教会の典礼で歌われていたそうです。
それがだんだん4度、5度音程をずらした同じ旋律を伴うようになっていきます。
覚える必要はありませんが検索などで調べたい方のために一応書いておくと、これをオルガヌムと言います。
そのオルガヌムが時代が下るにつれだんだん声部を増やして多声部(ポリフォニー)になっていく元になり、また現代のジャズなどでも使われる教会旋法を生み出す元にもなっていたのだそうです。
教会旋法は「チャーチモード」や単に「モード」という呼び方もされていますね。
この時期は楽譜もまだ五線ではなく、何となく文字みたいなもので相対的な音高が書かれていたところから、四角の音符と4本の線(まだこの時は五線ではない)のネウマ譜という楽譜に発展し、さらにそこから現代でも使われる五線と丸い音符の記譜法に変わっていきました。

楽譜も最初から今のようだったわけではないのですね。
リズムはまだあやふやで、はじめは歌詞の1音節に音符ひとつを当てはめる歌い方からはじまり、その後に1音節を長く伸ばしてたくさんの音を当てはめる歌い方(メリスマ)が出てきました。
その頃はリズムはまだ現代のようにはっきり記譜されてはいませんでした。
この時期の1音節にたくさん音を詰め込むのは歌い手のテクニックの見せどころという面もありましたが、「祈りなのだから音数を減らしてもっと敬虔に歌うように」という動きがあらわれたこともあったそうです。

派手になる傾向が出てくるとそれを引き止める傾向も出る、何だかいつの時代も共通するものを感じますね。
リズムがはっきり書かれていなかったけれども、だんだん声部が増えていくにつれリズムが共有できてないと統率が取れずごちゃごちゃになるので、リズムも記譜されるようになりました。
それが15世紀ころまでの中世の西洋音楽だそうです。
ルネサンス
それからルネサンス期の音楽になっていきます。
宗教音楽は教会を中心にオルガン(はじめは伴奏というより複雑化した各声部のサポートとして)など器楽も取り込みながら発展を続けます。
宮廷や貴族の元では娯楽のためにお抱え音楽家がいたりして、管弦楽器も用いられるようになり、宗教曲だけでなく世俗音楽も育ち始めました。
この頃はまだポリフォニー(多声部であり、各声部は対等の重要さをもつ。それを構成するのが対位法)での音楽が主流です。
各声部が対等の旋律でも同時に鳴れば和音が出来ますから、だんだん横の流れだけでなく縦の理論(和声学)も発展しました。
ということは和声が登場するのはスケール(モード・旋法)が登場するよりずっと後ですね!
和声が発展すると、教会旋法だけでは響きが複雑になってうまくいかないので、長調・短調など現代に続く音階が使われるようになっていきます。
そして、1550年前後にルターの宗教改革に対抗して開かれたトリエント公会議でポリフォニーの音楽が制限されたり、
演劇での歌詞など、一人または少数の人が歌う旋律と伴奏の様式(モテット)が出てきたために発展したのがホモフォニー(メロディと伴奏)です。
このメロディと伴奏という組合せは現代では当たり前に見る形態ですよね。

そこからバロック音楽へとさらに時代を下っていくと、バッハなどが登場してきます。
ひとまずバロック以前のところをかなりざっくりですがまとめてみました。
興味のある方は文献もたくさんありますからどうぞ調べてみてくださいね!
バッハが登場するまで
次にルネサンス以降、バロック時代のバッハが登場するまでの部分をご紹介します。
バロック音楽の代表的作曲家にはモンテベルディ、コレルリ、ヴィヴァルディ、ヘンデル、J.S.バッハ(大バッハ)などがいます。
バロック以前は対位法が音楽作品を書くときのメインの手法でしたが、バロックでは詩に感情を乗せて表現する手段を探していたり、古代ギリシャの音楽劇を復興しようという動きもあったりでオペラが発展したそうです。

オペラはそれまで貴族の家庭内や小さなサロンで演奏されていた楽器編成よりたくさんの楽器が必要だったのもあり、全体から出てくる音量もアップして、使える手段のヴァリエーションも増えたことで、表現そのものも大きく(大げさに)なっていきました。
即興による通奏低音の他、旋律も即興的にたくさん装飾されて派手派手に演奏されました。
(注:通奏低音というのはメロディにつけられる伴奏の土台になったものです。音符と数字で和音を表すので数字付き低音とも言い、その数字を見ながらその場で即興で演奏します。現代のコード理論にも通ずるところがありますね。)
そんな派手派手な時代の代表としてヴィヴァルディをご紹介します。
ヴィヴァルディはヴァイオリニストであり作曲家でもありました。
ヴァイオリン協奏曲「四季」が知られていますよね。
オーストリアのハプスブルク家の神聖ローマ皇帝カール6世が主なパトロンでした。
カール6世の娘は後に女帝といわれたマリア・テレジア。
マリア・テレジアの娘はマリー・アントワネットですね。
この時代はヨーロッパでは領土争いの戦争がたくさん起きていました。
この頃の作曲家で一番有名なバッハは、モンテベルディやコレルリより後に活動したバロック後期の作曲家です。
バロック後期
最後にバロック後期、バッハあたりからの音楽史をざっと見ていきましょう。
J.S.バッハは1685年神聖ローマ帝国うまれ。
日本では徳川綱吉が生類憐みの令を出す頃の時代です。

バッハは聖トーマス教会で典礼のときの伴奏オルガンを弾いたり聖歌の指導や指揮をしたりしました。
作曲では対位法や通奏低音、それに和声的なことも取り込み、それまでに存在した音楽の要素をこれ以上ないくらい洗練させたと言われます。
これがその後の音楽の土台となっています。
バッハの次男であるカール・フィリップ・エマヌエル・バッハは、プロイセン王でありアマチュアのフルーティストでもあったフリードリヒ大王のお抱え音楽家でした。
フリードリヒ大王はハプスブルク家のマリア・テレジアと結婚したかったのですがうまくいきません。
その後ヴィヴァルディのパトロンだった神聖ローマ皇帝のカール6世(マリア・テレジアの父)の死をきっかけにオーストリアへ攻め込み、周辺諸国を巻き込みつつ領土争いの戦争を行ったそう。
オーストリア継承戦争ですね。
その後も7年戦争などヨーロッパでは領土争いが続きます。
そんな時代の芸術に理解がありその庇護もしたフリードリヒ大王の宮廷では、ゴテゴテしたバロック音楽に対してより洗練された古典派音楽への先駆けとなるギャラント様式が流行っていました。
それは後の古典派の大作曲家、ハイドンやベートーベンに影響を与えました。
ある時カール・フィリップ・エマヌエル・バッハが父である大バッハをフリードリヒ大王に紹介したとき、「フォルテピアノ(現代のピアノになる前の古い鍵盤楽器)で即興演奏するように」とフリードリヒ大王が大バッハに与えたテーマから作られたのが有名な『音楽の捧げもの』だと言われていますが、それは後世の人の作り話だとも言われているそうな。
ちなみにフリードリヒ大王はあまり豊かでない土地でも育つジャガイモの栽培を奨励し、人気が無ければ自分で食べて見せたりもし、ジャガイモ栽培を広めることで当時の食料事情を改善させたそうです。
今ではドイツ料理に欠かせないジャガイモ、そういうことで土地に定着したのですね。
世界の歴史の中でどんな風に音楽が変わって来たのかを見てみるのも面白いものですね!
おわりに
演奏する作品の背景は調べることがあるでしょうが、演奏する機会のない作品の時代背景を知る機会はなかなかないかも知れません。
クラリネット奏者であれば、クラリネットが登場するモーツァルト以前の作曲家や時代背景に疎いように。
今回は普段演奏会で取り上げられるレパートリーが登場するまでの流れを、ざっくりとではありますが概観してみました。
こういう流れの延長上に、わたしたちが馴染んでいる数々の名作が存在しているということ。
歴史の流れを知ると、これまで当たり前に感じていた作品の面白さが再発見できるかも知れませんね。
気になったところがあれば、ぜひご自身でも調べてみてください。

