「楽譜を読む」「練習する」「音に表情をつける」「歌う」
今回はそんな合奏前にやっておきたい準備について書いてみました。
もくじ
「歌う」とは
歌う動きって?
「もっと歌って」という指示をされて、どうしたらいいかわからないからとりあえずクネクネと歌ってそうな身体の動きをしてみる。
結構ありがちかもしれません。
確かに動きがあるというのもパフォーマンスとして魅力的になるひとつの要素でしょう。
ところで。
管楽器の場合「歌う」というのは、楽器に空気を送り込む作業を工夫することで音色や歌い回しに変化をつけることです。
どんなにクネクネ動いてみても、楽器に空気を送り込む作業に変化がなければ、音としては歌っているようには聴こえません。
言葉にしてみると当たり前のことだと感じるでしょう。
現実的に歌うというのは、
・特徴的な音やフレーズの音量を変えたり
・ほんの少し長さを工夫したり
・音色を変えたり
・アタックを強調したり
・発音スピードに変化をつけたり
など頭の中にある「ここをこう表現したい」という構想を実際の音にしていく作業のこと。
その作業を行う上で、動作として目に見える身体の動きが起きることは当然あります。
そしてそれは自分が音楽に酔って気持ち良くなったり、意味もなく身体をクネクネして見せることとは全然別物なのです。
もちろん音楽的に演奏することと身体をクネクネさせるパントマイムを同時に行うことは可能ですし、ショーの現場や演出の都合上そういうパフォーマンスが求められる場面もあるでしょう。
ですが、パントマイムと音楽的な演奏はセットではないということは知っておきましょう。
「歌って」という指示を受けたら「自分はどう歌いたいか」「それをどう実現するか」という計画を立てることが必要です。
どう歌いたいかを自分でわかっていないのにとにかくクネクネ動いたら、見ている方からしたら気持ち悪いだけですからね(笑)
整理しておきたいポイントかもしれませんね。
本当に眠くなるプロの朗読
「歌う」というのは自分が楽譜の何をどう思っていてどんな風に抑揚をつけたいのかを実際の音にする作業です。
ということは、どう表現したいかが頭の中ではっきりしていなければ、歌うも何もないということ。
「でもそのどうやりたいかがわからないんだもん」
という声も聞こえてきそうです。
では。
子供を寝かしつけるために眠くなりそうな本を読んであげるとき、早口でまくし立てるように読むでしょうか。
戦隊モノの映画で主人公が窮地に陥ってるような場面で、幸せいっぱいほんわかした声でセリフを言うでしょうか。
そんなことありえませんよね。
ではその場面に合った読み方は、どこから得たアイデアなのでしょうか。
絵本や台本に書いてある文字から状況をイメージして、ふさわしい雰囲気を作ろうと思うのですよね。
ところで。
プロの朗読を聴いたことはありますか?
アマチュアというかプロではない普通の読み聞かせは自分でも出来るので何となくどんなものか想像がつくでしょうが、試しにスマホのボイスメモで録音しつつ、自分で1フレーズ読んでみましょう。
「さあて、今からとっても眠くなるお話をしましょうか」
それと比べるとプロの朗読はどこがどんな風に違うのか、聴いてみましょう。
声の質や表情、速度や高さ、聴き比べると違いがよくわかります。
【おやすみロジャー】
プロは台本や絵本など文字からどれほどの情報を読み取っているのだろうか、と思いませんか?
楽譜を見て音にするのも全く同じことが当てはまります。
わたしたちは音符の羅列から物語や情景を読み取りたいのです。
「どう表現したいか」のヒントは楽譜に隠されています。
音符の羅列や発想標語だけではなく、たくさんの情報を読み取って豊かな表現をしていきましょう!
「楽譜を読む」とは
自分センスだけで何通りの歌い方が出来ますか?
もう音楽歴も長いし大体の曲はそれらしく演奏することはできる。
でもどんな曲を演奏しても何だか似たり寄ったりで新鮮味に欠けるしつまらなくなってきた。
そんな風に感じたことはあるでしょうか。
わたしはあります。
楽譜に求められている抑揚や表情を無視して自分のセンスだけに頼るのでは、歌い方がワンパターンになってどの曲も似たり寄ったりの演奏になるのではないでしょうか。
曲の最後はいつもゆっくりになる。
歌うとなったらいつも発音が遅めになる。
「いつものパターン以外思いつかない」という場合は、楽譜をよく見ずに自分の『センス』のみで演奏しているのかもしれません。
ピンと来なければ試しに何通りの歌い方が出来るか考えてみましょう。
10通りくらい違うパターンは思いつきましたか?
それ以上たくさんのパターンが出てきたでしょうか。
もしかしたら2パターンくらいしか思いつかないということもあるかもしれませんね。
そんな方には朗報です。
世の中にはもう無数と言っても良いくらいたくさんの曲があります。
自分のセンスだけでなく、楽譜から受け取った情報を歌い回しのヒントにしていくのです。
音符の並びが求めている抑揚についての情報を読み取れたら、歌い方のバリエーションはほぼ無限大に広がります。
よほどの天才でない限り、個人の中にあるバリエーションなんてたかが知れているでしょう。
外からの情報を取り入れて自分の表現にプラスしていくこと、大切であり楽しいことですね!
スコアは眺めるだけでも面白い
スコアを読むことについて、何だか難しい学術書を読み解くようなイメージを持ってはいないでしょうか。
実はスコアは絵を見るようにボンヤリ眺めてみるだけでも結構意味のわかることはあったりするものですよ!
例えばこのふたつの曲、ひとつひとつの音符を読まなくて良いので遠目にぼんやりと眺めてみましょう。
【一つ目】
【二つ目】
これを「あ!この曲知ってる!こういう謂わくがあって誰々はこう演奏してた!」なんて思ってしまったら、もうそれはあなたが楽譜から読み取った情報ではありません。
どこに何と解説されていたか、誰がどう演奏したか、などの他所から拾ってきた知識は脇に置いておいて、ここはゼロから自分で作品に向き合ってみましょう。
この2つの楽譜にはパッと見でどんな違いがありますか?
一つ目は、あちこちにスタッカートがついていたり、短い音が多くパッセージも直線的で、なんだか軽快で忙しそうな雰囲気が漂っていますよね。
それに対して二つ目はどうでしょう。
長い音が多くて旋律も上下に行ったり来たりと、何やらクニャクニャしています。
柔らかそうなゆったりしていそうな雰囲気を感じるでしょう。
テンポ指定や表情記号などがなくても、それだけでも曲の何となくのイメージが想像できますよね。
では、もう少し詳しく見てみしょう。
各声部(パート)の動きはどうなっているでしょう。
一つ目は内声が動いたら次に上が、その次はまた内声が、そして3段目では1拍ごとの追いかけっこになっています。
追いかけっこをしていない声部はリズムを出して伴奏をしているみたいですね。
では2つ目はどうなっていますか?
4つくらいのたくさんのパートが一緒に動いたり反対方向に行ったり途中から動き出したりと絡み合っています。
どうも追いかけっこではなく、柔らかく絡みながらハーモニーが複雑になっていそう。
音符をひとつひとつ追ったり和声分析をしなくても、これだけのことが楽譜から読み取れます。
では実際に聴いてどんな曲なのか、楽譜を眺めて想像した雰囲気と合ってるかどうか、確かめてみましょう。
一つめの楽譜
「追いかけっこ」
2つめの楽譜
「トロイメライ(夢)」
演奏はどちらもロシアのピアニストVladimir Horowitz氏です。
ホロヴィッツのピアノは音の粒が柔らかでキラキラしててやっぱり素敵ですねえ!
ロベルト・シューマン作曲の「子供の情景」からのご紹介でした。
一つ目はまさにタイトルも「追いかけっこ」という見たまま追いかけっこの曲でしたね。
二つ目もフニャフニャした雰囲気そのままのやわらかな曲でした。
すでに知ってる名曲だけでなく、知らない曲新しい曲に初めて触れるときにはこういう見方をしてみるのも面白いもの。
「アナリーゼは苦手だからスコアはよくわからない・」
と毛嫌いしてしまうのはもったいないですよ!
譜読みの手順
音を出さない譜読み方法
忙しい社会人には練習時間と練習場所の確保が大問題ですよね。
それでも楽団の練習日までに細かいパッセージを練習しておきたい!
そんなときに使えるアイデアをご紹介します。
細かい速いパッセージのときは、
「メトロノームをインテンポに設定して間違えようとつっかえようと構わずとにかくそれに合わせてトライし続ける!」
というのは一番してはいけない練習方法だというのはもうご存知の通り。
いきなり慣れていない難しいことをやろうとしてもできないのは当然です。
そして、できなくて途中で止まったり、テンポが遅くなったり、間違えたりしたら、脳はそのままの動作を記憶します。
それでは間違えるクセやつっかえるクセをつけているようなものでしょう。
つまり、こういう練習はやればやるほど下手になっていくのです…(泣)
それにこの方法では楽器を吹けないときは何もできません。
ではどうしたら?
まず、楽譜に書いてある音を声に出して読んでみましょう。
音程のない棒読みでもいいですよ。
余裕のある人は音程をつけて音読してもいいでしょう。
音色の変化を何となくつけてみたり、フレーズはどこまでかな?など同時に考えたりできるとなお良いですね!
絶対につっかえたり間違えたりしないほどのゆっくりテンポで、よどみなく音が声に出して言えるようになったら、少しだけ速くしていきます。
ポイントはほんの少しのテンポアップにすること。
それを繰り返してインテンポで音が言えるようになったら、楽器を出してテンポは一度ゆっくりに戻して音読しつつ同時に読んでる通りに指を動かしてみます。
ここまでならせいぜいキーやピストンがパタパタ鳴るくらいですから家族が隣の部屋で寝ていても、滞在先の壁の薄いホテルでも、他人に迷惑をかけずに練習できるでしょう。
それができたら、実際に音を出しながらアンブシュアやブレスなどのコントロールに慣れていきます。
これもまたゆっくりテンポに戻して少しずつ速くしていくのがオススメですよ!
この手順で練習すると、やみくもに最初からインテンポでトライする場合よりずっと少ない時間で出来るようになります。
お仕事から帰ったら着替えてくつろぎ始めるその前に、一日10分だけ楽譜を音読&指パタパタ練習をしてみると、「忙しいはずなのにこんな難しいことを一体いつ練習したの?!」と音楽仲間に驚かれちゃうかもしれません。
ぜひ試してみてくださいね!
「インテンポ」の質
合奏までに何とかインテンポで出来るように、と思って急いで譜読みをすることは実は多いのではないでしょうか。
そんなとき、ついテンポにばかり注目して音が滑ったり転んだり、潰れてる音や飛び出してる音、鳴りきってない音や音程が変でマヌケな音があったりしても無理矢理にテンポアップをしたりしていませんか?
そんな状態では『音楽』はそこにはない、ただの音符の羅列状態になってしまうでしょう。
多少の粗があったり主張したい『音楽』が無い状態でテンポを上げるのは簡単です。
でもそれは音楽を演奏する練習になっているとは言えません。
わたしたちが表現したいのは指定されたテンポで並んだ音符ではなく、それによって表されている音楽なのですから。
音楽が空っぽのままテンポだけ上げたって無意味です。
それでは聴こえない音はなかったとしても、それぞれの音楽的な主張や解釈をすり合わせる場としての合奏には用が足りません。
ただ音が並んでいるだけの状態では、指揮者やトレーナーが何かしら味付けをしてくれるのを待つだけです。
そんなつまらないことのために音楽をしているのではなく、自分で考えたり感じたりした音楽を表現したいからこそ、わたしたちはわざわざ演奏をするのですよね。
だとしたら。
絶対に間違わない、鳴りきらない音も滑っている音もない、ひとつひとつの音符ごとに音楽を主張できる状態で初合奏に臨む必要があるでしょう。
音楽が空っぽのギリギリ音が並んだだけのインテンポではなく、ひとつひとつの音に表情があって主張が込められたインテンポが音楽には必要です。
「急いでインテンポにしなきゃ!」というときこそ、何を含めたインテンポなのかをはっきりさせておきましょう。
そうでないと誰かの料理待ち用の素材しか出来上がらないかもしれませんね。
音の羅列に音楽を仕込む方法
譜読みというのは楽譜に書いてある通りに音符を並べるだけではなく、音の羅列にに『音楽』を仕込むことです。
今回はその音楽を仕込む練習の仕方について書いてみます。
「テンポが上がってから抑揚を付けていこう!」
と思ってひとまずテンポ上げに専念し、音楽は後で・・それではダメなのです。
なぜならひとつひとつの音に表情をつけるためには、それだけ微細なコントロールのスキルが必要だから。
ゆっくりテンポのときにそれをしていなかったのに、速いテンポになっていきなりその微細なコントロールが果たして出来るでしょうか。
出来るわけがありませんよね。
ではなぜゆっくりの時に表情や抑揚を付けて練習しないでしょうか。
ゆっくりだと雰囲気がつかめない?
でも速く吹いたら雰囲気を感じる心の余裕があるのでしょうか。
「速くてかっこいい」以外に何か感じることは出来るのでしょうか。
最初から速く吹いていたら細部まで気を配れないので仕上がりの精度が落ちます。
ゆっくり練習するときに微細な色合いの変化や抑揚をどうつけたくなるか、という自分の心の変化に注意を払わなければ、いつまで経っても音楽的にやりたいことは不明確なまま。
ゆっくりのときから作品のどこがどんな風な抑揚を求めているかに注意を払いながら、表情をつけて一音一音に音楽を仕込んで行くのが練習です。
作品の良さは自然に感じるものかもしれません。
でもそれはなんの注意も払わずにキャッチできる情報ではなく、きちんと注意を払った人にだけ見えてくるもの。
そしてそれを音楽表現として細かなコントロールを行い再現できるのは、そのためにきちんと準備した人だけ。
世の中には楽譜の読み込みが速くて初見で作品のどこをどうしたいかわかる人も、それを音にするためのテクニックが完成されていて長時間の練習を必要としない人もいます。
でもそれは偶然でも才能でもなく、どれだけ細かなところまで作り込む意図を持っているかに左右されるのです。
何も考えてないし何も努力していないわけではありません。
譜読みをするときには参考にしてみてくださいね!
憂鬱になる音楽
音楽が表現するものは楽しい・美しいものだけではありません。
悲しみ・怒り・絶望・激しさ、たくさんのことを作曲家は楽譜に書きあらわしています。
だからこそ、演奏するときにはただ音符をなぞって並べるだけでは音楽にはなりません。
わたしたち演奏者は場面やフレーズの一つ一つの意味を考えたり感じ取ろうとしたりして、自分の中でどう演奏したいのかを組み立てて行く譜読み作業を丁寧に行います。
そんなトピックに関してひとつ、興味深いエピソードがあるのでご紹介しましょう。
音大在学中の試験や発表会の前、クラリネット科では練習を終えて個室から出てくると憂鬱そうな顔になってる学生が何人かいます。
それはプーランクの「クラリネット・ソナタ」を試験課題として選曲した人たち。
技巧的な面もあり点数が取れやすいので試験などではよく演奏される作品のひとつです。
しかしこの作品は作曲者プーランクが亡くなった友人を思って書き、完成後すぐ自分自身も亡くなるという死の気配が濃厚な作品。
毎日長時間それに共感して向き合い続けたら、憂鬱な気分になるのも自然なことでしょう。
練習室から暗い顔で出てきた仲間に「プーランクをさらってたの?」と声をかけて、「わかるわかる、そうなるよねー」と笑い合うこともありました。
アレクサンダーテクニーク教師でありカーネギーホールでリサイタルをするヴァイオリニストでもあるジェニファー・ロイグ・フランコリさんが、ブログ記事に「音楽家にとってその繊細さは宝物であり演奏のためには繊細であることは必須だけれど自分自身がそれに飲み込まれる必要はない」ということを書いています。
まったくその通りでしょう。
日本語に訳されたページがあったはずなのですが、見つけられないのでひとまず元記事のURLを貼っておきます。
http://www.artoffreedom.me/depressed-or-anxious-read-this-its-essential/
演奏者としては時代背景や作曲された経緯やアナリーゼがわかるだけでは足りません。
一番肝心の楽譜から読み取った色々なことに共感する気持ちを持てるかどうか、これこそが表現欲求につながっているのではないでしょうか。
理論を知らなくて楽譜の意味が読み取れないのでは共感以前の段階ですが、分析だけ出来てもそれを有効に活かせなければ意味がありません。
楽譜から情報を受け取るだけでなく、共感出来るほどの繊細さを持ってるということは誇っていいくらい。
でもずっとその影響を受け続ける必要はないのですよね。
あなたは普段見ている楽譜から何か感じ、どんな影響を受けていますか?