練習やレッスンなどで、なにかできないことがあったときに「できなーい!!」と言いたくなる瞬間ってあるのではないでしょうか。
このときに本当に感じてるのはどんなことなんでしょうか?
「本当はやりたい」「出来るようになりたい」という思いができないという言葉になったのでしょうか。
本当に単純にできないなと思っただけでしょうか。
これ、わたしもよくあります。
試しに水泳の選手みたいに速く泳いでみようとしてもちろんできるわけもなく「うん、できてないな」なんて思うとき。
そしてこの場合「できない」というのはできていないという事実を認識してるだけ。
別に本気で速く泳げるようになりたいわけでもないし、速く泳げないことに傷ついてるわけでもありません。
もしもわたしが本気で水泳選手を目指していて速く泳げてないことにフラストレーションがあるなら「できないよー」と騒ぐ時間があったら何をしたら目標に届くのか考えるでしょう。
楽器の練習中に「できない!」と嘆くのはできてないことのフラストレーションを心ゆくまで味わう作業ですよね。
本当はできるようになりたい、わかるようになりたいと思うなら、できないストレスを満喫する時間はもったいなくないですか?
やっと作った音出し出来る時間に、せっかくのレッスンの時間に、出来ない自分を嘆く作業をするのは無駄じゃありませんか?
もしそれをしたいなら本当にやりたいことをさえぎらないひとりで暇を持て余した時間に好きなだけやれば良いんです。
しかも口に出すことは自己暗示にもなっていきますから「できない」といえば「自分にはできないんだ」と意識に刷り込んでるんですね。
それなら「あとちょっと頑張ってみよう」「じゃあ次は何を試してみようか」という方がよっぽどマシ。
「できなーい!」という嘆きの言葉、百害あって一利なしですね。